認知症日記1 20220515

義父母が認知症である。

義父がその兆候を表出しはじめたのは、退職の直前ということなので、もう30年前にあたる。現在90歳。先月肺炎で入院して、危ぶまれていたが、なんとか一命をとりとめた。ただ、もう長くはないだろう。

義母は、義父の認知症の老々介護をしていた。ただ、日に日に暴力と徘徊衝動の発作が増えてきたので、施設に入れた。おおよそ、コロナ騒ぎの始まった2020年2月ごろの話である。そして、一度は我が家に同居したが、私もコロナで家にいたので気が休まらなかったのか、家に戻ると大騒ぎした。結果、一人暮らしとなったのだが、そこから、奇行が増えていった。2021年8月4日に熱中症で病院に入院。その間に認知症は進行していた。

2021年10月に、紆余曲折あって、義母だけ郷里から住民票を移し、我々が住む市町村のグループホームに入居した。最初の一か月は認知症の深まりとともに相当の抵抗があったが、ホームの人たちの尽力もあって、なんとか居心地よく過ごしている。

さて、本日20220515に、コロナ患者の減少を受けて、面会が3回ワクチンを行い16歳以上の人の許可が出たので、義母に妻が会いに行った。子どもたちは直接面会できないので、私が車の中で付き添ってZoomで話をさせることになった。

しかしながら、私はともかくやはり孫たちも基本的には覚えていない。ただ、会話のコンテクストを読み取って、孫だと同定するのか、愛想の悪いことはない。以前と同じ、あたりさわりのない会話によって、おだやかに時が過ぎていく。

Zoom終了後、妻と話したようだが、二人の姉についてはぼんやりと覚えている程度。夫(すなわち義父)についてはまったく覚えていない。覚えているはずの妻(三女)についても過去のエピソードについては全く欠落している。そして、トイレについても、尿意があるのかないのかの判別ができず、水が床を濡らしてから気づくということが増えたらしい。

本当は、そろそろ義父がアレなので、最後に一度くらい面会をすべきなのかどうなのかを迷って、その判断のために面会をした。結論は、本人たちは覚えていないが、我々(義父母の子どもたち)の納得のために近々でいった方がいい、だ。

他にも話はしたようだが、タンスの中から蛇が出る、とか、サイフも何も取られて子どもたちに買ってあげることもできない、とか、まだギリギリ認知症ではなかった時期に気にしていたようなことばかり発言していたようだ。

この種の、ナチュラルな記憶の改変はもう日常茶飯事になってしまった。義母の中では、私はアメリカにいって働いていると私に聞いたようだし、家の壁が黒いのも工務店の陰謀だそうだし、サイフを取りにこの間家に帰ったら、ベッドの上に怖いことが書かれた紙がおいてあったようだし、実はすべて断片的にどこかで経験した記憶が入れ子になって組み立てられているのである。

義母は、昔から蛇が嫌いだし、認知症になって猜疑心という感情が突出して残ってしまったので、何かあると人のことを疑う。この疑い癖は、それ以前にもあったが、これは認知症の前兆だったのかもしれないと今なら思える。義父の場合は暴力、義母の場合は猜疑心、人それぞれだとは思うが、本質的にその人の持っている特異な感情がより強調して現れるということなのだろうか。

自己紹介に書いた「放置された空き家の実家の整理」とは、この義父母が住んでいた家に引っ越す前の家、のことであるが、期せずして、義父母が直前まで住んでいた家も片付けなくてはならなくなった。すなわち、空き家2軒を何とかしなければならない。売る、壊す、色々手段はあろうが、まず、片付けねばならない。

私のNoteの一番大きな主題は、酒でも読書でもなくて、日々忙しい自分が空き家二軒をどのようにして片付けることができるのか、のドキュメントを書いていくつもりだったのだ。しかしながら、義母の認知症がここまで進んでしまった以上、義母の了解を取りながら事を進めることは期待できない。要介護度も1ではなく2になる可能性があるだろう。

認知症と向き合っている人の中では比較的軽い作業に属するような気もする我が経験だが、参考になる人もいれば幸いである。

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