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『アル中ワンダーランド』

以前書いた私の叔父さんはアル中だった。

それに比べれば、「アルコール依存症」は、段階が低いのかもしれないが、この「依存」という状態もなかなか辛い。

本書『アル中ワンダーランド』は、著者のまんしゅうきつこさんが実際に経験したアルコール依存症の記録だ。

闇がありながらも軽妙な語り口と、自分を突き放したユーモアセンスは、まんしゅうさんならではのものだ。

シンクロし過ぎる部分が多い読者だと、笑うよりも前に、私のように心が痛くなってしまうかもしれない。

***

比喩で語ろう。

サーカスに入りたてなのに、人がいないので空中ブランコをやれ、と言われるのと同じ状況で、私は空中ブランコを一年間行った。

しかし、失敗の連続、最後まで成功しなかった。

最初は、ついてきてくれた観衆も、最後は冷ややかな目を向けてくる始末。

一番堪えたのは、観客たちが「あの人は空中ブランコをやる資格がない」という指摘を、私をブランコ担当に任命した座長の側近(コイツが一番の悪)にべらべらと悪口を告げ口していたくせに、私の前では「あなたの空中ブランコ素敵ね」みたいな顔をしていたことである。

で、座長の側近は「できませんよ」と言う私にむりやり空中ブランコをやるように指示しておきながら、一年後、観客の反応があからさまになると、次年度の練習に勤しんでいる私に、「ねえ、あなた本当に空中ブランコできるの?できないんならやめてほしいんだけど」と迫った。

悔しいが、このままだと体を壊すと思って、空中ブランコに挑戦することは止めた。

なぜなら、空中ブランコ挑戦の前日には、ほぼ徹夜、火曜日の夜と水曜日の夜は寝ない、という日々が続いていたからだ。

座長は、まだ空中ブランコを私にやらせたかったようだが、さすがに一度やらなくなると、もう私自身挑戦しようと気がなくなった。

なので、その後何度となく座長に、空中ブランコの話をしかけられても、座長の側近のことを丁寧に話して断ることでなんとか心身の均衡を保っていた。

心身の不均衡は、とはいえ、そんな空中ブランコ挑戦の日々の後に訪れる。

「ブランコ」の話を耳にするたびに、私は胃の下がもやもやして、手が震えるようになってきていた。

そして、4月なのに異常に汗をかく。

電車に乗っていると疲れて、意識を失ったかのように寝てしまう。

そして、異常なほどの心拍数。

なんかヤバいな、絶対、「空中ブランコ」のことが俺の精神を苛んでる、と思った私は、家の最寄の駅に到着すると併設されているスーパーマーケットに立ち寄り、安い甘いポリフェノール3倍の甘い赤ワインのボトルを購入して、家まで歩く12分間の間に飲み干す、という日々が続いた。

ブランコを失敗したときの、観客の顔。そして、観客がそのときは神妙に見ていても、あとで、

「あいつ、ブランコできなくせに、できるふりしてやってますよ、マジで金返してほしい」

とかなんとか、座長の側近に言い、

「あの人はブランコやったことも、ブランコやるために特別な練習をしたわけでもないのにね」

とか、任命した癖に調子を合わせてへらへらと笑いあう連中のことを思い出すたびに、酒をがぶ飲みして忘れなければやってられなかった。



ブログの文章は荒れた。

まんしゅうさんが、ブログのアイデアが思いつかない、たびに酒を飲んで気づくと翌朝にはある程度できている、ラッキー、みたいなことは、しょっちゅうだった。

素面では「空中ブランコ」のことが思い出されて、集中できない。

なので酒を飲むと、その空中ブランコのことがすっぽり記憶から消え失せてくれるので、その下に蟠った様々な言葉にやっと到達できる。

まんしゅうさんの言う、酒を飲んでいないときに、駅のベンチでボーっとしているような瞬間も、同様に経験する。

ボーっとしている最中に、奴らの笑顔が見えてくると、N極とS極がひきあうように、ホーム下へと落ちる自分を夢想するのである。

何度も、シミュレーションを重ねたのち、最終的にハッと気づかせてくれるのは、怒りの感情だった。

「怒り」は、負の感情だが、この時ばかりは自分をそれが助けてくれた。

自責ばかりしてても仕方がない。

やれることをやっていこう。

そして、私は座長の側近に対しては、心ある人にとにかく悪行を訴え続けるという挙に出た。

苦手な飲み会や、偉い人とのサシ飲みも断らない。

敢えて、若い人が一緒に行ってくれないんだよう、と嘆く偉い人(面倒くさいのでみんな行きたがらない)と一緒に飲みに行き、自分の窮状を訴えた。

側近はその後、座長がいなくなったあと、閑職にいる。閑職なのに、自分は素晴らしいことをやっているという自負を撒き散らしていて、不快ではあるのだが。

その時に「遠交近攻」という戦略を実感できた。

閉じた社会の中で「敵と自分という構図」を自ら作り上げてしまうとなかなか抜け出せない。

まんしゅうさんのように、断酒会でのコミュニケーションが、非常にうまくいくパターンもある。

私の場合は、それら体の不調が最終的に精神的なものというよりは、バセドー病のせいだったので、自分なりに納得できて、コントロールできるようになってきた。

が、今でも、「空中ブランコ」は出来ない。

ただのブランコすら乗りたくない。ブランコをすることを考えるだけで、失語症になる。

なんでもチャレンジするものだと思っていたが、できないものは断った方がいいということも学んだ。

少なくとも、嫌な奴の頼みは断っていくことにした。

この一件で得たものもあるが失ったものも多い。

収支は大赤字だ。

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