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「渡良瀬橋」に出て来る男の真似をして、足利市駅前を歩き回った話 中編

正確に記しておこう。

朝からゲームをしてしまったので、出発は9:45分になった。

いささか遅い。逆に調査する時間があまりなのではないかと懸念する。

まあいい。

今日は読書タイム。1日をゲームで過ごしてしまった反省のために、そうしよう。

10:07分、小金井行の宇都宮線で大宮を発。4人がけに1人で座れるくらいの空き振りかと思われたけれど、靴を脱いで、前の席に足を置いて、横にカバンを置いて、あまつさえ寝ているサラリーマン風の男がいて、ダメかな、と思ったら、そやつは慌てて出て行った。到着から出発まで、五分くらいのバッファがあってよかったね。

私はアイスコーヒーを飲みながら、立って、出発を待っている。

「渡良瀬橋」の歌詞の謎で、答えが出ないのは、1990-1991ごろの時点で、女が足利市を離れられないどんな事情があったかだ。森高の経歴を見ると、一つの土地に長くいたわけではないから、個人のアンビバレントな気持ちの成分が多少含まれているにしても、私小説的なものとは言えない。

けれど、「県庁所在地ソング」のようなものを作っていたわけだから、地方に対する気持ちが強い部分がある。この、男と女、敢えて私小説的に見るとするならば、地元に残りたかった森高と上京して夢を叶えたかった森高のアンビバレンツが劇化されたものと考えてもいい。

蓮田で、遅れている特急電車を待つ。大手ゼネコンに入った高校時代の友達の出身地だ。彼ともずいぶん会っていない。中野に住んでいると聞いたが、どうなっているだろう。

私が小さい頃は、大宮の次は東大宮、蓮田、白岡、久喜の順番だった。駅も四つしかなかった。今では、土呂駅、新白岡駅という2駅が加わった。埼玉の東北部は、だだっ広い原野である。ずいぶんと人は増えたのだろう。

小山駅まで行って、両毛線に乗り換えたい気持ちは山々だが、両毛線の高崎行きが一時間に一本ということで、取材を優先したいため、久喜で東武伊勢崎線に乗り換えることにする。昔は、伊勢崎がどこなのかわからなかった。伊勢なんかどこにもないじゃん、と思ってた。

乗り換え。えっえっ、特急りょうもう、今10:38だけど、11:07発なの?各駅とどっちで行ったほうがいい?事前準備の大切さ。よくわからないのとgoogle先生の導きで、各駅でえっちらおっちら行くことにした。例の男も「電車にゆられ」て、はるばる来たわけだから、まあいいよね。

方向がバグる。私は岩手に帰る時にどうしても東北方面に向かう意識がある。だからそれと異なる館林方向に行くのが不思議な感覚だ。初めて乗る路線だ。鷲宮、花崎、加須、南羽生、羽生。普通車で行く。

思えば、バブル期、東京で夢を追ってた男が車を持っていなかったのはなぜだろう。いや、今なら、当然で、車など持たない生活で十分だ。しかし、かつては、車を持つことが若者といえどもステータスだった時期がある。おそらくは1980年代前半に男子大学生だった人は、都市部であれ車を得ようとしていたのではないか。野暮天さんと話すと、いつも「若者がクルマを買わない!」と嘆いている。私も「クルマを買わない」側の若者だったので、神妙に拝聴している。

ということは、「渡良瀬橋」の男は、夢追い人で、車を買って見せびらかすほどの財力はなかったのではないか。当時はバンドブームでもあったので、バンドマンか劇団員だろう(偏見、芥川賞作家になると一足飛びの夢を語ってた俺よりマシ)。大手企業に入ることを良しとせず夢を追い続けていた男が、暇なもんで、休みのたびに足利市まで電車で来ていた、そんなストーリーが想像できる。

電車で利根川を越えるなんていつ以来のことであろう。羽生は、この間、田山花袋の田舎教師に会いに行った時に、訪れた。羽生の先に電車で行くのは初めてだ。これ、通勤用の特急がないとさすがに足利駅からは通えないな。羽生まで大宮から50分。1991年時には、湘南新宿ラインなんてなかった。開業は2001年。ここからまだあるんだろ?

川俣、茂林寺前、館林。知らない。利根川を超えた。

ヤンキーたちのわだち

館林に着く。11:07分。綱吉のことを知りたいものだけれど、今日はそういう企画じゃない。平日行くのは、割と空いてそうなので、今度行ってみようか。大宮から一時間。

館林では、サクッと正面の電車に乗り換え。ここから五駅、多々良、県、福居、東武和泉、足利市だ。館林は、ここいらのターミナルなんだな。佐野、小泉町、太田方面、三つの路線が混じり合ってる。てか、一度栃木に入って、また群馬に戻る路線であり、こういう線路の引き方になった経緯には何かありそうだ。

wiki情報を読めばわかるけど、まず久喜ー北千住間開業、のちに埼玉県の利根川右岸に川俣駅ができ、川俣ー久喜間が開業、のちに、足利市まで延伸。その後、足利から伊勢崎まで延伸。この足利延伸によって、東武鉄道は赤字を免れたと書いてあるけど、これは足利から何を輸送できたことによるものか。明治期なので、船で渡良瀬川を輸送し、足利近辺に蓄えられた物品を、電車で運んだがゆえか。渡良瀬川といえば、古河の鉱山。その辺の事情は郷土史に当たらないとわからないな。

閑話休題。11:23分。東武和泉という足利市から一つ手前の駅まで来た。もう少しで到着だ。11:26分予定。大宮まで、だいたい一時間半か。通えるのか?微妙なところですな。久喜の乗り換えから534円。妥当な額。

足利市駅から近いぞ。と、思ったら最寄りの大きい橋は中の橋というらしい。

もう一つ向こうの橋か。そこまで歩いていく。曇りで、いつもに比べて涼しいと感じるものの、汗は出る。渡良瀬橋。あれか。

何もなければ風情のある橋なのかもしれないけれど、二度、カラスに襲われている私としては、カラス多すぎだろ!と思う。隣にある浅間神社の境内の中に、巣がいくつかあるんだろう。おそらくは斥候の役割をしているものと思われた。

古墳のようなこんもりとした小さな山がちらほら。自然との共生とはいえ、宿敵カラスがこんなにいると、一瞬たりとも気が抜けない。

さすがに渡らないという選択肢はなかったので、浅間神社付近では、カラスをずっと見つめて、後ろ向きで中腹まで。ここで来た道を撮影。あの浅間神社の緑をどうにかしてくれないかなあ。鬱蒼を通り越して、不穏な感じがする。

北側はとてもひらけていて、こっちに夕陽が落ちたら綺麗かもしれないね。

南側はちょっと遮られて冴えない風景だけど、でも岸に容易に降りられる仕様になっているのはいいね。

へえ、相田みつを展なんてやってるのね。トイレも行きたいし、足利市立美術館も行ってみたいなと思ったので、そこを目指すことに。

目抜通り。これが歌われた街並みの通りなのかもしれないが、平成を経ていずこも同じ寂寥感。人も歩いていないのは地方が車社会になったからだろう。

スーパーは元気。寄りたいと思えども、あんまり道草するわけにはいかない。

アッ、こんな看板も!あれから30年だぞ。

まあまあ歩くぞ、渡良瀬橋から。足利市立美術館。

トイレ行きたし、暑いし、今の私。

相田みつを展。そうか相田みつをは足利市の出身なんだ。普段の私なら、そこまで食指が動かない。けれども、トイレに行って、せっかくだからと見学したら、思った以上によかった。感動した。それはまた別の話で。

ふう。じゃあ、両毛線で帰ろうか、なんてJRの駅に来た。

なんか忘れた気がする。

アッ!歌碑。

音楽が流れるあの歌碑!

忘れてた!

電車が出るまで40分。それまでに歌碑に行って戻って来れるか?

私はそれが泥沼の入り口になることを、この時点は全く予期していなかった…!

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