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ドゥニ・ディドロ「これは物語ではない」

18世紀までさかのぼると、たかが文章とはいえ、これはもう研究対象になるので、うかつなことを言えなくなる。リサイクル本でもらったディドロ集の中の短編である「これは物語ではない」も例外ではない。

これは◯◯ではない、という表題は、日本語だけでみると、ルネ・マグリットが絵のパイプの下に書き込んだ「これはパイプではない」という文章と共通点がありそうな気がして、あさはかにもそういう事柄を文章の枕にしようかな、と思ったりするのだが、原文やニュアンス、象徴などが実は全然関係ないと言われそうなので、何も言えねえ。あ、でも原文は、「Ceci n'est pas une pipe」と「Ceci n'est pas un conte」でほぼ同じか。

とりあえず、内容から推測して、これは物語のようで作り事ではなく、事実なんですよー、といったメッセージに読めたということだけ記して切り抜けようと思う。いずれにしても、なんだこのタイトル、という気持ちの揺らぎが、この短編を読むように促したのだが、まとめ辛くて閉口している。持ち歩くにも重いしね。

ドゥニ・ディドロは18世紀はフランス啓蒙主義時代の思想家で、ルソーなんかと同じ時代の人。あっ、また雑なこと言っちゃったけど、だいたい同じくらいの生没年ですよね。wikiに紹介されている肖像画を見ると、どうしてもムロ・ツヨシさんを思い出す。あっ、「・」は必要なかったか。ただ、自分はディドロの方が、どこか安心できるので好きです。

「これは物語ではない」は、何か深遠なことが書いてあるのかと思いきや、尽くした挙句別れを切り出される男女のことが書かれていて、なんじゃこりゃと思う。ただ、こうした定型が決まってない時期のテキストを読むと心が軽くなったように感じるのは私だけでしょうか。はい、私だけですね。

あらすじ

語り手が、この物語(話)は物語(作り話)ではないことを告げる。

二人の男がいて、噂話をしている。一人は、その話をしたがっているがもったいつけている。もう一人は、面倒になって、話しやすいように、懇願してみせる。一人の方、すなわち「ぼく」が話し始める。

アルザス生まれのレーメル夫人という人がいた。そのレーメル夫人に、ナンシーからパリにやって来たばかりのタニエという男が恋をした。レーメル夫人を不自由させないように、タニエは「どんなに卑しい行為」にも従事した。

レーメル夫人には、多くの男が言い寄っていた。彼らはタニエを遠ざけようとしていた。タニエは、別れを決意し、アンティル諸島にまでいって「運を試しに行こう」とした。そして、タニエは、10年の間サン・ドマングで財産をつくり、毎年レーメル夫人に送っていた。そして、帰国した。

ちょうどレーメル夫人は、つきあっていた男と別れたところだった。レーメル夫人はタニエがいない間に蓄財した1万5千リーヴル以上の年金を秘匿したまま、タニエと付き合い始めた。また、タニエにたかりはじめたと同時に、タニエのお金の使い方に不満を持ち始めた。

また、タニエはモールパ氏(ルイ15世治世の有力な政治家)に懇請で、カナダにいって働かなければならなくなった。レーメル夫人は、再度、お金が入ってくると同時にほかの男と付き合えると思って、タニエをいかせようとした。そして、タニエはカナダで熱病にかかって死んだ。

こうした「意地のわるい女ときわめて善良な男性」とがある一方で、「きわめて善良な女性ときわめてたちのわるい男がいる」ことも事実だと、「ぼく」は言う。

デルーヴィール氏は「あらゆる国民の戦争の通史」を作ろうとしていた。そんな通史をつくるメンバーにガルドイユという男がいた。ガルドイユは愛人のド・ラ・ショー嬢と暮らしていた。ド・ラ・ショー嬢は、両親のもとを離れて、無一文のガルドイユのもとに嫁いだ。多少の財産をもって。

ここで二人は脱線する。「ぼく」がもう一人の男の醜聞について触れ、少し言い争う。話が戻る。

デルーヴィール氏は、完成を急がせた。そのためにガルドイユは体調をくずした。ド・ラ・ショー嬢は、彼の任務を軽減するために、ヘブライ語を学び、ギリシャ語を学び、イタリア語や英語も学んだ。そして、ガルドイユの代わりにクセノポンやツキジデスを訳したりした。

しかし、ガルドイユはド・ラ・ショー嬢に愛想をつかした。ド・ラ・ショー嬢は、そのことで取り乱した。「ぼく」が彼女についていたが、ガルドイユと話すのについてきてくれと半狂乱で訴える。そして、ガルドイユの家にいき、対面した。ガルドイユは「ぼくはもうあんたを愛していないんだ。愛はぼくの心のなかではあんたにたいしては消えてしまった感情なんだ」とはっきり告げた。

ド・ラ・ショー嬢は、今までガルドイユにしてあげたことを告げる。しかし、ガルドイユは開き直る。ド・ラ・ショー嬢は蒼白になって、横になる。「ぼく」は、あまりじゃないか、という。ガルドイユはそれに対し「女ってものは頑丈な命を持っているものさ。これっぽっちのことで死にやしないよ。何でもないんだ」という。そして、「こんな陰気な場面は勘弁してもらいたいもんだ」と言い捨てる。

ド・ラ・ショー嬢は、生気を多少取り戻し、「時間を失ったことについてあのひとはなんて申しまして?わたしは彼の仕事を軽くするため、四か国語を学びました。千巻の本も読みました。昼も夜も書き、訳し、写しました。わたしは自分の力を使いはたし、眼をすりへらし、血を燃やしてしまいました。わたしは悪い病気に感染し、もうそれから癒ることはないでしょう。彼は嫌いになった原因をはっきり口に出して言えないのです。」と「丹毒のあと」を「ぼく」に示し、「彼の心変わりの原因はこれです。これなんです」と訴えた。

ド・ラ・ショー嬢はなんとか回復し、ヒュームの『人間悟性論』の一部を訳したりした。彼女を献身的に看病していたル・カミュ氏は、彼女に求愛したが、彼女は断った。「ぼく」は、ド・ラ・ショー嬢に物語を書くことを勧めた。彼女が書いた物語をポンパドール夫人にみせた。夫人は、パリに来てくれれば面倒をみようとも書いてくれた。けれども、彼女は、それものらりくらりとかわしてしまう。

ル・カミュ氏の求愛とポンパドール夫人の庇護とのどちらもド・ラ・ショー嬢は断った。その結果「ある屋根裏の部屋で、藁蒲団の上で、死んだ」。

そして、「ぼく」は神なる存在の皮肉なことを申し立て、その存在を懐疑してみせる。「ぼく」とはディドロのことである。

感想

感想も何も、商業的な意図で書いているわけではないから、商業的な意図の達成を面白がることは出来なくて、そもそもどんな意図でこんなことを書いたんだろうなあ、と想像することから、読みは始まる。それは知らないし、テキストにも明示はされていない。だから、ディドロの研究書や評伝に、目を滑らさないと、「これは物語ではない」の妙味はわからんのだよなあ、と独りごちて何もしないことにする。

とりあえず、素朴に思うのは、いつの時代にも恩知らずの男女には、献身的な男女がくっついてしまうのだなあということである。要するに、18世紀のダメンズ・ダウィメンズの話なわけだけど、これにもディドロの無神論的な深遠さを読み込みたくなる自分を抑える。ただのおしゃべりでいいのだ。

なんかね、やっぱり古典の人の書いたものを読むとそれなりの知を読み込みたくなるものです。ディケンズくらいになると、そういうこともしなくてもよくなるんですが、スターンとかリチャードソンくらいまでは何かあるんじゃないかと思って、真剣になっちゃう。いや、もちろん真剣に読むのはいいんですが、もう疲れたようパトラッシュ。

ま、そんなどうでもいい感想しか出てこないのですが、ディドロというか『百科全書』面白いです。昔、浜松にあった大学の図書館で、『百科全書』の服作りの項を読んだことがあるくらいですが、面白いです。何でしょうね、書かせないようにする権力の間をすり抜けて書き、書かれてはないが読者に意味は届く、といった闊達かつ柔軟な筆法が心地いですよね。

ルソーとかヴォルテールなんかに比べると、なんというかいろんなことを書きすぎてるきらいがないわけではないですが、読んでおくべきですゾ。

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