認知症日記2 20150914

それは突然にやってきた。

東京は田町の芝五丁目というところに仕事の都合で引っ越してきた。四階建ての小さな軽量鉄骨、各階に一部屋しかない新築物件に引っ越した。周囲は飲み屋街、湿気が多い。まあ、仕事のリズムが整うまでという形で入居を決めた。

6月に第一陣の荷物を入れた。そして、9月に義父母の手伝いも借りつつ、引っ越しを完了した。忙しかった土日の二日間が終了、あとは、昼間は子どもたちは保育園に連れて行くので、二人でTVでも見ながら過ごしていただき、一週間もしたら新幹線で帰ってもらう予定だった。

ところが、朝5:30ごろに、義母が話す声で目覚めた。

「おじいちゃんがいない!」

玄関を調べてみると、サンダルがない。サンダルで外に出たのか。鍵は開いている。おそらく外に行ったのだろう。私も、多少出版社勤務時代にこの辺りの土地勘はあるとはいえ、あの時代は古川を超えた南麻布の方に住んでいたし、引っ越してきてまだ日が浅い。

どうしたらいいのか、気は焦るばかりだ。服を着替えて外に出た。妻も外に出た。ひとまず、周囲を探し回るしかない。朝の飲み屋街をうろうろとした。

果たして義父はサイフをもって出かけたのか。どこを目指しているのか。義父もまた私よりも土地勘がないはずだから、確実に道に迷うに違いない。世の中では、徘徊老人がそのまま失踪するなどということもあるし、どうする?心の中で、何をすべきか葛藤した。

まず、駅にいき、駅員さんに義父の身体的特徴を告げ、こういう人が通過しそうになったら、呼び止めて電話をくれという話をした。朝がまだ早かったので、快く了承してくれた。サンダルなので、いやがおうでも、目につくだろう。服も何を着ているかはわからないが、寝間着のようなものだろう。

次に、交番に行った。交番では事情を話し、細かな身体的情報を伝えた。妻はこの間周囲を歩き回っている。そしてまた、電話をいただけるという約束を得た。このときすでに7:30。仕事は9:00からだ。妻などは8:00である。とにかく慌てた。

一つの仮説を立ててみた。土地勘のない地方から出てきた年配者は、いったいどこへ向かうだろうか、と。以前も、夕方になると「おい、帰るぞ怒」と自宅にいるのに言ったりすることはあったが、「ここが自宅ですよ」というとすぐに納得した。その帰る先が、地方の実家だとすれば、果たしてどう進んでくるのか。

とりあえず私は、そこから一番目立つランドマークである東京タワーの方に歩いて行った。東京タワーなら地方出身の義父も知っているかもしれないし、と思って、なかば諦めの気持ちで歩いて行った。さすがに、歩きくたびれていたので。すると、赤羽橋付近で、向こうから義父が歩いてくるではないか。

「おとうさん!どこに向かってますか!ぼくですよ!一緒に行きましょう!」

「おお、どこやね、ここ。ちょっと東京タワーがあったんで行ってみた」

途中、交番によって見つかった旨を話した。駅にも行った。8:00ちょい前。深い安堵感に身が包まれた。一緒に帰ると、キレる義母。きょとんとしている義父。どうも、朝方にトイレを探していたら、ドアが開き、そのまま出てしまったということらしかった。それ以降、朝方のトイレのときには必ず誰かが起き、ついていかねばならなくなった。

この作業が加わったことで、義母も我々も疲弊の度合を深めた。子どもが小さいころのように、物音がすれば起き上がり、確認する必要ができたからだ。これ以降、家に呼んで、子どもの面倒を見てもらうという作業を任せることができなくなった。

今日20220515に義母と話した際、私のことを忘れている義母に妻が「あの、おじいちゃんが朝方出ていったとき、見つけてくれたのは○○さんだよ!」と言ってくれたみたいだが、「ああ、それはありがとうねえ」という会話で終わったようだ。

いずれにしても、この日がターニングポイントだったと思われる。


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