夕、新宿の路上で
また、カラスに襲われた。海人さんが仰っていたように、カラスには光のネットワークが備わっているようだ。さいたまの路上と新宿の路上。もはや疑うべくもない。
二度目のカラスは後ろから襲ってきた。
「ぐわっ」
他の人がたくさん歩いている中で、情けない声が出てしまった。
逃げると、やっぱり追ってきて、二度目は足の爪が頭にヒットした。
どうして、あれだけ人がいて、俺なのか。
それ以来、日傘を指すようにした。50のおっさんが日傘。異様な風景だが、カラスから身を守るためだ。明らかに日傘が必要そうではないおっさんが指していたら、アッ!パッパルだ!と石を投げてくれて結構である。汝らの罪なき者パッパルを石もて打て。
さて、数日経ってしまった。
特に何もやっていない。
いや、もちろん仕事はしていて、結構嫌なことも、ムカつくこともあった。
プレステ4の本体も買った(え、今?)。
夏のキャンプの予約もした。初の2泊3日行程である。
学童の六月の役員会もやった。
下の子のエピソードも聞いた。これを少し記録として残しておきたい。
ダンス好きな女子が集まっている集団の話を聞きたいと下の子が一緒にいたら、ある女子が「この話はダンスに興味がある人だけに聞いて欲しいの」と、暗にお前どっか行け、と下の子に言ったらしい。
下の子は「私はダンス習ってないけど、ダンスに興味あるよ」と言ったらしいんだけど、腕クロス?みたいなのができるかどうか聞かれて、できないと言ったら、それみたことかと黙ってしまったらしい。埒が開かないから、わかった自分いなくなるね、と引き下がったようだ。もう1人いた友達が「興味あるということとダンスができるかどうかは関係ないんじゃない?」と言ってくれたそうなのだが、そのことがモヤモヤしているようだ。
下の子はぽっちゃりしていて、運動神経もお世辞でもいいとは言えない。ダンスができるようなスタイルではないのだ。だからまあ、見切り発車のような感じで、ダンスに興味がない、あるいは冷やかし程度の気持ちだと判断したのであろう。それを兄に言ったら、練習して見返すしかないんじゃない、とか至極普通の返事をされて泣いてしまった。そこに私が一階から上がってきた、というタイミングらしい。
現実にはよくあること、ではあるのだが、人間関係のモヤモヤはとにかく言語化しておかないと、いつまで経っても、わだかまったままであると思って、根掘り葉掘り聞いた。ダンスができない人には言いたくない、と言った子は、下の子をダンスに誘ってくれた子とは違うということ。その親しいグループの人は、そこには誰もいなかったということ。同じ班では特にないこと。助け舟を出してくれた子は同じ班であること。
自分はだから仲良しこよしゴッコが嫌いである。という思いはもちろん口にせず、よく引き下がったね、と褒め、これからダンス教室に見学に行こうと言い、明日もその言った子とは会うかもしれないけど何事もなかったように振る舞いなさい、なんなら親切にしてあげなさい、と言った。そんなこと言ったのに親切にされてやましさを感じない人であれば、もうあんまり近付かなくていいです、と言った。
そうした排除をナチュラルにやる人であれば、現実近づかない方がいいと思うし、自分のやったことを多少なりとも振り返るだけの頭の働きがある人なら、通常のコミュニケーションくらいはとってもいい。みんなにそうしてしまう人ならば、それは性格なので気にしなくていい。いずれにしても、悪意のようなものの萌芽を自覚し、コントロールしようとする意思があるのかどうか。
まあ、普通は、自分の言動をそんなに振り返ることもないんじゃないかと思う。内省できるものにも限界があると思う。その言った子が、下の子を多少なりとも重要人物と考えているんだとすれば、多少の内省はあってしかるべきだと思う。なければ、向こうはこっちをモブとしてしか認識してないのだから、こちらもモブとして扱う、それでいい。
ただ、それは多分に男性的な発想なのかもしれない。妻に後で、下の子をして話させたら、妻はかつて運痴で陰キャだった自分の苦い思い出があるのか、ダンスをする女子に対するあからさまな偏見を口にしていた。それは多分に立場的、世代的偏見である、と思いつつも、なぜか説得されてしまった自分もいた。
妻の主張は、陰キャ強者の主張だ、と慌てつつ、まあでも一回ダンススクールにチャレンジしてみてから、どうするか考えようとなった。
私は漫画『あさひなぐ』に出てくる摂ちゃんが好きである。競技を勝ち負けではなく道として捉えて、自分自身の鍛錬として行いたいのである。そんな話を下の子にしたら、薙刀競技に興味を持ったようだ。勝敗はもちろん、成功体験とやらに必要なのかもしれないが、勝ち負けよりも、その競技に打ち込んだ自分の強度こそ、人生においては大切なものなのではないか。
PTAかいちょーさんもブログで先生の言葉として仰っていたように、誰もがどこかで敗者となるのだから。
こないだ聴いてたユーミンも、「ノーサイド」で、
と言っていた。
そんなことを考えさせるような、ぬるい風が吹いていた。
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