見出し画像

【2023年度 3本目】思い出の味 ~Nom Indécis 2019~

私が、妻と知り合って、初めて旅行したのが長野県の小布施町だった。

実は、小布施町、以前、村上春樹さんの『1973年のピンボール』について書いた文章に出てくる「N」の故郷なのである。

「N」と私は、とりたてて親しいわけではなかったが、「N」の人柄には好感を持っていた。「N」はよく故郷の話をしていて、大学を卒業したら帰るつもりでいるという。私のように通えるくせに一人暮らしをしているごくつぶしとは違うなと思いながらも、その心意気には共感していた。

だから、妻と暮らし始めた長野県で、私が最初に行きたいと申し出たのが小布施町であった。

そのときまだ、小布施ワイナリーのことは知らなかった。日本ワインそのものの存在を、妻の故郷であった上越市にもワイナリーがあるんだよ、程度の知識だった。

小布施で初めて行った観光地は、八方にらみの鳳凰が天井に描かれているという曹洞宗の岩松院だった。葛飾北斎の作である。

2003年だから、いまからもう20年も前になるが、まだそこまで観光客も多くない平日には、ねっころがって龍を眺められたものである。今は、そうしたこともできなくなったようだが、確かに、目はどちらを向いてもにらんでくるように見えた。

この岩松院の庭には、小林一茶の句である「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」の舞台となった「蛙合戦の池」がある。若干、さびれて苔むした池で、風情はいささか減じていたが、なるほど池だった。

さらにこの岩松院は、戦国武将の福島正則ゆかりの寺であるという。福島正則は豊臣恩顧の武将で、賤ケ岳の七本槍のひとりである。関ヶ原では家康方にたち、広島の藩主になるが、改易・転封されて、この小布施の地を与えられて晩年を過ごしたそうである。

戦国晩期の英傑のひとりの最期の地としては、なんともわびしい感じもするが、それでも小布施の地は、現在に至るまでこじんまりとしながらも、観光立町としての威厳を持っている。

小布施ワイナリーは、そんな小布施町の中心部と中野市の間くらいに位置する、日本ワインの開拓期を代表するワイナリーである。

毎年、栗の時期になると首都圏へのお土産を買いに、小布施町に繰り出した私たちは、あるとき、小布施にもワイナリーがあるということを知る。2004年から2005年くらいのことだったか。

駐車場は広かったが、店舗がまだ仮のものだったころに伺った。運転手で試飲はできなかったが、何本か購入して、家で飲んだら、大変においしく、それ以来購入を継続している。

ちょうど、上越に行く途中に寄れるので、多い時には年に4回。少なくとも2回は、近年になっても小布施を訪れることがある。中野市の市街地や小布施町までは、寒くても雪があまり降らないので、過ごしやすい。昔、飯山市の職員の人が、どこに住んでるんですかと尋ねたら、中野と小布施の間と答えられて、えっ飯山じゃないんですか、と訊き返したら、やっぱり雪が…と答えられた。

中野、小布施、須坂は、そういう意味で独自の立ち位置を長野県の中でも持っていると思う。無粋な高速道路が、善光寺平を分断しているが、千曲川があるので、それも致し方ないが、私は右岸(河口に向かって考えて)の中野、小布施、須坂、ついでに松代が好きである。

いつも疑問に思うのは、千曲川左岸の三才や豊野がりんご果樹園が多くて、右岸がぶどう果樹園が多いというすみわけの歴史である。

Nom Indécis 2019

2019年はソービニヨン・ブランにプティマンサンの混醸であるNom Indécis
。その年のイメージがわかるセパージュになっていると思う。

裏エチケットの説明

2019年は、結構ミネラル感が強く、中央により思い果実感とパッションフルーツのような南国っぽい果実の酸味がある。

実は先日アワビのバター焼きに合ったのは、こっち。アワビの磯の香りとぶつかるかなと思ったら、そうでもなく、むしろ、果実味が際立った。

海のものに山のワインが合うというのも面白いけれど、川が近いから、案外合うのかもしれないなと思った次第。

Nom Indécisがリリースされ始めたのはもう子どもも生まれたころのことだけれども、初期のころに味わったおいしさと連続する感じがしている。

思い出の味である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?