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東京散歩 キリシタン屋敷跡〜佐藤春夫旧宅〜神田上水取水口大洗堰跡

午前中で仕事が済んだ。

これでやっと私の短い休暇が始まる、と安堵した。

今日午後と明日。

いや、結局今日は15:00から薬をもらいに医者に行かねばならないので、実質12:30から少しの時間だけ、ゆとりある時間を得た。

9月から文京区に出張ることがあって、月曜日は必ず。だから、今日のような、帰社しなくてもいい日は、文京区の史跡や文学碑を回ろうと思っていた。

今日はその日だ。

小日向にいた。Googleマップをみると、なるほど、キリシタン屋敷跡が、近くにある。

まずはここだと歩いて行った。

文京区は坂の街だ。

至る所に坂がある。

やっと、着いた。

享保以降は、ある程度幕府も海外のチャンネル持つからあんまり意味なくなったんだろうな

道が細く、完全に住宅街だ。

これを撮影している間も、配達の車が通り過ぎる。

背後は民家

以前、遠藤周作の『沈黙』から、主人公のロドリゴのモデルとなったジュゼッペ・キアラの足跡についてちょっと書いたことがある。

そして、その下人として働いていた長助と春のことも。

その時、

幕府が、30余年にわたる彼等夫婦の功績ゆえ、一緒に眠ることを許したというメロドラマなのか。それとも、キリスト教に帰依した三人を仏教的な感覚で埋葬することで死してなお屈辱を与えようとしたのか、その辺はよくわからないが、人間と云うのは、理屈では割り切れぬ行いをするものだな、と感じた。

「晩秋のある夕暮、私は思いたって、キアラこと岡本三右衛門とシドッティが死に、長助、はるも死んだこの切支丹牢屋敷の跡をたずねようと思った。地下鉄の茗荷谷駅から拓大に向う細い坂道をおりた頃は、先ほどまでまだうす明るかった空がとっぷり暮れて、両側の店々の灯が夕靄のなかでうるみ、私は二、三度、道に迷っては道ゆく人にたずねてまた別の坂道をのぼった。このあたり一帯は既に切支丹屋敷の敷地だったのだが、山屋敷と当時呼ばれた通り、今でも坂の多い場所だった。」

私もふと、この切支丹屋敷跡を訪ねてみたいと切に思った。

と、書いた。

それが思わぬところで叶ったのだった。

もう、遠藤周作が訪ねた頃の風情もないのかもしれないが、今の建築基準法では建替えはむりな道幅に建てられた建築物は昭和の記憶を色濃く残しているように思った。

次に向かったのは佐藤春夫の旧宅なる場所だった。

小日向台を音羽に降りて、目白台に上がっていく。

上がったり下がったり、結構、キツイ。

えーっ

ここは鼠坂というらしい。

これ、マジでキツかったっす。

あんまり音羽の通りを通ったことはなかったので、今回初めて通ったが、確かに昔、川が流れていてもおかしくないような谷だ。

音羽。講談社とは仕事したことないな。いや現代ビジネスは講談社か。

高速の橋桁を超えて、またすぐに坂がある。

思っている以上にきつい坂。土ならヤバいし雪が降ったらもうダメじゃない?

キ、キツい…。

周り刈ってやれよ

鳥尾坂というらしい。

昔は揚々と歩けたものだが、今や一歩一歩踏みしめて登らねばならない。

横を中学生だか高校生だかわからぬ子どもたちが歩いていく。

文京区歌は春夫先生の作詞のようです

あった…春夫。でも何もないやんけ。隣に立っていた民家が立派で、そっちを旧居にしてもいいぞ、と思うくらいの風格のある家だった。

こういうのもやっぱり東京だなあと思う。

春夫については、あんまり記憶にない。

次に向かったのは、

字が読みにくいよ

神田上水取水口大洗堰跡、だ。

何のこっちゃと思うけど、ここは泉鏡花の問題作「妖剣紀聞」の舞台なのだ。

問題作なのは、この作品で鏡花が被差別民とされた鳥追いの娘と役者の美男の悲恋を描いたからだ。

美しい鳥追いの娘・お町にもらった杜若を、役者として待望されていた清三郎は、仲間にあれこれ言われて捨ててしまう。それをみたお町は、この大洗堰に身を沈めることになった。清三郎は己のやったことを後悔し、お町の血を飲み、役者をやめ、刀剣鍛冶の道へと入る。

そんな話。

いくつのぼれば気が済むのか

春夫旧宅から、また名もなき坂を登った。

こっち、30年前は来たことがなかったな

神田川沿いに出る。

向こうは鶴巻町だ。

もうほとんど行くこともないが、30年前を思い出す。

我々の入って2年目まで学祭やってて、3年目に中止。会計の不明瞭を正すんだと当時の文学部長?は言ってたな。タロット占いとかやったよ。パレードにもサークルの代表として出させられた。「公安がいますんで、歩道には上がらないでください!」とか言われたな(笑) ハイロウズのライブの脇が出店のある教室だったので、ヒロトとマーシーが楽屋にはいるの見に行ったな。徹夜準備して寝ずにやったのも懐かしい思い出だな。

第一学館の取り壊しの時もそこにいた。あれが最後の年だったのかな。思えば、平成になっても、期末テストボイコットストライキみたいなのやってたな。

うわ、高い

切り立った崖になっている。

下から見上げる

降りるのが辛い。

芭蕉、土木得意で、隠密説あるよね、藤堂藩の人だもんね

やっとついたわい。

軽く秋がみれた

向こうに見えるのは早稲田の高速出口。

雰囲気ある

椿山荘の下。


入りたかったな

早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、ってあるけど、確かに崖上から眺めたら、広く向こうが見渡せたかもなあ。

芭蕉庵

また坂を登る。

いくつ坂を登ったか

胸突坂というらしい。

右が水神様、ここは雰囲気ありすぎて、写真を撮れなかった

胸突坂上から。

我孫子もそうだけど、風光明媚なところって、建築基準法的にもう家建てられないよね。

風格あるね

旧細川下屋敷跡、永青文庫。

来たことはない。

永青文庫

大学の時、『細川日記』って読んだな。

風情ある建物

なんか江戸と明治と昭和と現在はまぜこぜだね。

明日は何もなければ温泉に行く。

そう決めた。

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