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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ3」/行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、、、、定年講演

「行蔵は我に存す、毀誉は他人主張、我に与らず我に関せずと存じ候」
という言葉を、定年講演での2つ目の結論として引用しました。

この言葉も、会社で話した折には知ってる人がありませんでしたが、勝安芳海舟の言葉です。
この言葉も単独で雰囲気はご理解いただけるものと思いますが、いきさつも含め簡単に説明します。

これは、福澤諭吉が、勝海舟や榎本武揚らに対して、明治24年に執筆した「痩せ我慢の説」で徳川への忠義を忘れて明治政府で栄達するとは何事だと詰問したことに対しての、勝海舟の言葉です。

このあたりの勝海舟の事歴を含めての事情については、江藤淳が「考えるよろこび」中の「転換期の指導者像」、「二つのナショナリズム」及び「海舟余波 わが読史余滴」で詳細に解説してくれています。詳細はそちらをご覧ください。

要は、海舟としては、維新後も旧幕側の人たちを暴発させず日本のために動くよう統制するために自分はやるべき立場でやるべきことをやってきた、その行動の責任は自分自身がとる、しかし他人がそれをどう批評しようが構わない、ということなのでしょう。

こういうふうに言えるように男は人生を仕事を、生き抜くべきだろうと思います。

私自身はもちろん、30年を超える技術者人生で、こんな大見栄を切れる生き様をできたわけではありません。
しかし、数少ないですがそう思い、職を賭し体を張って行動しそれが実を結んだということがないわけではありません。
そのわずかな誇りを胸に、
「行蔵は我に存す、毀誉は他人主張、我に与らず我に関せずと存じ候」
という言葉を定年講演の結論(これができたという意味ではありませんが)の言葉として引用したわけです。

以上です。



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