見出し画像

「ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利」/四世紀から終末の五世紀へ、陰湿な権力者コンスタンティウス帝、一服の清涼剤かのようなユリアヌス帝そしてテオドシウス帝と司教アンブロシウス

キリスト教と皇帝の利権構造化

キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝時代のミラノ勅令は、実質的にキリスト教国教化のスタートだった。
利用したのは、コンスタンティヌス帝であったが、帝国の衰亡が辺境の蛮族侵入から帝国内への侵犯へと進み民衆の不安が否が応でも昂進する中で、コンスタンティヌス帝の息子、コンスタンティウス帝が権力を掌握していく中で皇帝とキリスト教の間で利権構造化が進んでいきます。

皇宮に蔓延る宦官という名の専制政治官僚

ついに、ローマ帝国内に、あの忌まわしい宦官が蔓延る世の中になってきます。宦官は文字通り男性器を去勢した男の官僚のことであり、専制皇帝の皇宮内だからこそその存在が必要となり発生するわけでしょう。
Chinaのみならず、ローマ帝国に宦官が存在していたというのはまさに人類史の汚点の極みです。

陰湿そのもの、コンスタンティウス帝

専制政治になれば、こういう陰湿な男が出てくるという典型なのがコンスタンティウス帝なのではないでしょうか、そう思わせる陰湿そのものの皇帝です。
父のコンスタンティヌス帝の残した分割統治体制を粛清により集権化し最後は兄弟を蹴落とすかのように、唯一のローマ皇帝となりおおせました。そしてこのあと、キリスト教徒との利権構造の中で権力を集中していく、、、、
ただそのために、味方を無くし、跡継ぎもままならぬ、、、、

ローマも終わった、、、、

ローマも終わったとの感が、前巻「最後の努力」からこの巻「キリストの勝利」を読み通すことでつくづく湧いてきます。

ローマ興隆期、危機の連続であったけれど、そこに活躍する英雄たちは、生き生きとそのギリシャ・ローマ文明の精髄を体現し、人間の偉大さを顕わし、読む者に大きな勇気を与えてくれました。
それは、スキピオであり、カエサルであり、オクタビアヌスことアウグストゥスであったのでしたが、宦官のような薄気味悪いものが出てくることはあっても、もうあの人間の明るく活力に満ちた凄い英雄たちが現れることは無くなったのでした。

一服の清涼剤かのような、ユリアヌス帝

コンスタンティヌス帝に、幼かったがゆえに残された肉親であったユリアヌスは、哲学の学徒であったが、請われて次期皇帝に指名されガリアで着々と地歩を築きます。
はざまに咲く一服の清涼剤かのような花をユリアヌスが咲かそうとします。ギリシャ文明の精髄からなる哲学の学徒であったからでしょうか、思想的にキリスト教の利権構造に取り込まれることのなかったユリアヌス。だからこそ、ローマの伝統を信じることができた、、、、

しかし、わずかな読者の希望も空しく、ユリアヌスもその短い治世を終える、、、

暗黒の中世が始まるかのような時代

時代は、まさに暗黒の中世が始まるかのようです。
テオドシウス帝はキリスト教徒ながら、世俗政治を頑張りますが、司教アンブロシウスのレトリックに絡め捕られてしまう、、、

権威主義的な政治が常態化していくローマ、、、、

世の衰亡と一神教キリスト教

キリスト教は、あきらかに衰亡すローマ帝国の危機の中で、人間の弱さに付け入って支配構造を作り上げていく。
塩野七生さんはキリスト教徒でなく日本人であるため、われわれの視点をもってキリスト教の興隆を冷めた目で活写してくれます。

一神教と国家の衰亡のかかわりが、これほどまでに鮮やかなのは偶然ではないでしょう。
我々はこのことに歴史を学ぶ上で最も注意を向ける必要があると思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?