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「小説 雨と水玉(仮題)(作者モノローグ)」/美智子さんの近代 

(作者モノローグ)

ここまで、よりによって年甲斐もなくプロポーズをしてしまうなどというところまで書いてしまい何をクダクダ書いているんだか、と思わないではありません。
(もともとそういうものでしょ何を今さら、と思っている方々もいるのでしょうが)

三十年以上前の未然の恋をここまでしつこく書いている意味は何なのか?
『三十五年越し』のエピローグで書いたようにそれは美智子さんの近代について考えてみたかったからというのが直接の理由ではあります。それが今の私にとってのこれからにどんな意味があるのかを考えてみたいということです。そしてそれは半ば成就されつつあります。

しかし、『雨と水玉』自体ここまで長く書くつもりがあったわけでないのに、さらにまだ書く意志が尽きないのです。このNoteは私ごときがいくら書いても文句を言う方はいらっしゃらずただ書かせていただけるのはとてもありがたいことだと思っています。それを良いことにやはりこの勢いに任せてまだ書き続けていきたいと思い始めています。
近代ということを前提として書き続けてきて、ここから先、やはり第一の人生を完結する還暦くらいまでがイメージされてきています。かなり長いものになるということです。

ただ、その勢いだけで書いていくには私の今の年齢六十一歳というのは歳をとり過ぎたところがあります。年末に少し考えこみました。
もちろんこの『雨と水玉』や『三十五年越し』を書くのは胸にあるものを嘘をつかずできれば美しい形を纏わせて吐き出したいということではあります。
そして遅くとも四十代くらいまでの若い人であれば愛の対象となるその人に宛てるという意味があるのだと思いますが、私の場合も人間である以上もちろんそれがないわけではありませんが既にそれは干支で数周回遅れで艶消しも甚だしい。

こうやって三十年以上前のことについて、自分の気持ちをなぞりながら、そして文字通り「雨と水玉」に象徴される美智子さんの気持ちを(僭越にもですが)出来るだけ丁寧に想像しながら書いてきますと新たな感じ方、捉え方が随所に出て来ます。
それはまた今なお六十一歳の私の胸に迫るものでもあります。

私はこの後に及んでまだあの時水玉に込めた彼女の思いがわかっていないのかもしれません。それゆえ胸に余震や本震を繰り返しているのです。

揺れを繰り返す胸の中のものを吐き出すのはもちろんとして、やはり誰かに伝えたい、そうとしたら誰に伝えようとしているのでしょうか?それがこの小説を書くためのパズルの最後の一ピースなのかもしれない。

そんなことを、お正月元旦に毎年一人でするルーチン、十五キロほどの散歩の中で知らず知らず考えていました。
そしてそうかこれなのか、こういうことだったのか、と思い至ったのは、あの当時の田中美智子さんに是非とも伝えたい、伝えなきゃいけないということでした。

この『雨と水玉』を書き終わったとき、次のような献辞を書こうと思っています。

昭和六十一年から平成元年の田中美智子さんに捧げる
                    こころより by K.S.

と。


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