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「BSテレ東 『男はつらいよ』第二十五作『寅次郎ハイビスカスの花』」/面白くて切ない寅とリリーの三度目の恋

繰り返し見続けても泪する「寅次郎ハイビスカスの花」

9/23放送の「寅次郎ハイビスカスの花」は、昭和55(1980)年夏にリアルタイムで観て以来、もう20回以上見ていますが、毎回面白く切なく、新たな自分発見がありました。これも最近は毎回ですが、冒頭のリリーが小岩でヒロシと再会する最初から涙が出ました。
「寅さんに、リリーがとっても逢いたいって言ってたって」という浅丘ルリ子のセリフ、もうたまりません。浅丘ルリ子は本当に名女優です。

リリー三部作の完結編とでもいうべき「寅次郎ハイビスカスの花」

すでに、本ブログのマガジン「三十五年越し」でリリー三部作については記事にしています。「ハイビスカスの花」についてももちろん特別に思いを込めて書いています。

ですので、私としてこの作品は忘れがたい恋の思い出とともに、また青春の始まった大学入学直後リアルタイムで観たときから、心の中の様々な形にならないものと共にあります。

寅とリリーの恋の完結編『寅次郎ハイビスカスの花』

リリーが旅先の沖縄で病に倒れる、
死ぬ前に寅に逢いたいと届いた手紙が、とらやに帰還して寅と面々のいつものような喧嘩の際中に開封される、
そして沖縄に着いた寅のまごころがリリーに生きる力を暖かく育んでいく最高の恋の名場面が続く、
しかし、至福の時間が長くは続かなかった、、、、
日常という普通人には安住の中で、寅の、意気地のなさ、やくざで中途半端な生きざまが否応なく見えてくる、、、、そして暑い沖縄での破局、
行き倒れになって帰ってきた柴又にリリーがやって来て再会する二人、
しかし、そのエニシは元に戻らない、
ああー哀しいかな、、、、
しかし、毎回のことだが、あの素晴らしい草津バス停での寅とリリーの再再会、永遠の契りを結んだかのように、、、、

新たな発見

ラストの素晴らしさがこの作品の哀しさを救ってくれています。そういう意味で第二作(シリーズ15作)の『寅次郎相合傘』の結末に対して、ある種絶望を救ってくれる作品になっていると思います。

いままで私は、そういう意味でラストのカットを想い続けることで、作品への思い入れを持ち続けて来ていました。
しかし、今回改めて思ったことが有ります。
これまでにもおそらく言葉にならない形で心の中にはあったのでしょうが、沖縄での二人の恋が結ばれなかった寅の意気地のなさ、中途半端な生きざま、これに自分の弱さをぴったりと重ね、あの昭和62(1987)年4月の美智子さんとのデートで、あるいは平成元(1989)年10月の曽根駅での偶然の再会で、何もできなかった自分の弱さという心の構造を深く見つめたことでした。

その弱さの克服には、それなりの経験が必要だったということは結果論なのです。
そうではなく、今もおそらく私の中の古層としてある心の構造です。
あのときどうして局面を突破するその意志が現れてくれなかったのか?
それはそれまで報われることの無かった恋のトラウマか、
キラキラ輝くような美智子さんに気後れしたのか、
本心を曝せばとんでもない奇態を見せてしまいそうな恐怖だったのか、
技術に対する過信の裏返しとしての不器用さだったのか、
人並み以上にあった近代への憧れと激しい情熱に隠れて出てこなかった人間らしさだったのか、

そんなことを昨日『寅次郎ハイビスカスの花』を観た後、繰り返し反芻しています。
それは、三十五年越し」の中で進行していて、2カ月ほど中断している、小説「雨と水玉」に反映させていきたいと思っています。













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