見出し画像

「法然、親鸞と西欧近代、宗教改革との類似性に関すること」/エマニュエルトッドも法然親鸞とルターの共通性について記載していた

私の定年講演録の中で、西欧近代に対する考え方について一貫して論じてきました。

その中で、日本が東洋の国としていち早く近代化を成し遂げたことに対する理由として、法然親鸞の鎌倉仏教がキリスト教における宗教改革との類似性を挙げさせてもらいました。
実際に、その近代性は法然親鸞の教えの中に感じられたのでそう論じたのですが、以前に書評で取り上げたエマニュエルトッドの『老人支配国家 日本の危機』で彼がそれについて記している箇所があり、まさに同感と膝を打つ思いがしました。

私が法然親鸞とルターの宗教改革に共通性を感じたのは、人間性の本然に基づくその信仰にあります。難しいことは私にも十分わかってはおりませんが、例えば倉田百三氏の『出家とその弟子』に見る親鸞にはその普遍性が胸に迫るように感じられるのは読んだことがある人には良くわかることです。
そういう意味でやはり、法然親鸞には近代性が濃厚に存在し、だからこそ倉田百三氏も明治大正に近代が重くのしかかった日本を背景に親鸞を書いたのではないかと思われるのです。

残念ながら、エマニュエルトッド氏は、法然親鸞とルターとの共通性については、ほんの断片的にしか触れておらず、また法然親鸞について上掲の本の執筆段階ではあまり深められていなかったため、ほとんど記載がありません。
今後、トッド氏の著作での考察を楽しみにしたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?