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「私のような不器用な人間がそれなりに必死で仕事、家庭に取り組み、還暦時に達した一定の結論です。『「私の定年講演 」俯瞰と目次』
職業人である前に人間であり、日本人である 既に記事に挙げたものではありますが、自分でも時々読み返してみて改めてこの先の人生を考えるよすがにもしているものです。 (家庭、家族のことについては ↑ に書いています) 貧しいながらも私に旧帝大の理学部の修士課程まで学ばせてくれた、中学までしか学んでいない両親に思いをはして書いたものでもあります。 こてこての技術者=エンジニアではありますが、技術者である前に人間でありたいと思い、日本人であることの意味に深く思いを致して人生を送っ
「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ12」/かつてたぎる湯壺の中で技術開発が沸騰していた 私の定年講演
今日、仕事中過去の会社の技術開発事績を見る機会があった。 私の会社は、自ら開発した日本の技術で世界に冠たる製品を世に出し、事業として成功をいくつも成し遂げた。 それは、主に前世紀から今世紀初めにかけてのことで、今もやれてないわけではないが、大きな世の中を変えるような製品を次から次にというわけにはいかなくなっている。 時代がいろんな意味で変わってきていることで、そういうことが起きにくくなっていることは間違いない。 ハード技術が飽和してきていること、技術の情報化、デジタル化に
「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ11 寂しさについて」/会社の古い友人が出身地の実家に帰っていきました。
昨日、会社の古い友人が、出身地の山口に帰っていきました。その友人は、同い年で昨年一緒に会社を定年となった府来るからの友人です。 お互い子供二人づつの家庭を持ち、子供たちが独り立ちしたこともあり、出身地の山口にUターンしたということです。 夫婦ともに山口の人であったということがUターンしやすかったのかもしれません。 これまでも一月に一遍くらいづつ、会って一時間ほどだべっていたのですが、これからはそうもいかなくなります。 それで昨日、その友人の住んでいたところへ車で訪問し、
「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ10」/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その2 定年講演
前編/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その1で述べましたように、40代初めまでは主に新規事業のための技術開発に取り組んできました。 40代の半ば以降、10年くらいにわたっては、既存事業部の先行技術開発 それまで私の会社では、本社研究開発の材料開発部門が既存事業部の先行技術開発を手掛けることはほとんどありませんでした。 というのは、それまでの事業部はある意味独立採算で技術開発も自前でやっていたという事情がありました。 そういう意味で、本社部門との協業とい
「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ9」/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その1 定年講演
私の会社生活における経歴については、以下の記事で述べました。 経歴リマインド 34年間、大手精密電機メーカーで川上の研究開発、技術開発を行い、煎じ詰めれば7つほどの技術開発を行い、2勝5敗だったとは他のところでも記しました。 大学、大学院で有機化学を専攻し、有機化学をベースに高分子科学、材料科学を志し、機能材料の技術開発を行ってきました。 有機化学出身の材料技術者の夢 理学部で有機化学を学び、基盤としたため、その経歴の上からも基礎的な技術基盤の上に革新的な機能材料を創
「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ5」/宗教戦争とウェストファリア条約後の近代と旧約聖書 定年講演
近代とは、ウェストファリア条約後の信仰と世俗の分離だと講演で紹介しました。 また、宗教改革と不可分であり旧約聖書と分かちがたく結びついているとも言いました。 宗教戦争といわれる三十年戦争ですが、旧教のフランスが新教側に立って参戦したことで宗教戦争とは言えなくなったとウィキペディアには書いてあります。 しかし、神聖ローマ帝国やローマ教皇の権威主義に対して、国家の主権を重要視する国家主義の近代側が対したと見れば、フランスも国家主義であり、そのままある種の宗教戦争であったことは