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「『日露戦争と日本人 国難に臨んだ明治の父祖たちの気概』鈴木壮一著かんき出版 この雄渾な叙事詩を是非ご一読ください」

近刊「ロシア敗れたり」に関連して本書を再読

鈴木壮一さんの近刊「ロシア敗れたり」に関連して、本書「日露戦争と日本人」を再読しました。

「ロシア敗れたり」は「日露戦争と日本人」及び「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」を合わせて再編集したものという書評を掲載しました。またそういう編集もまた良しとも申し上げました。

再読して「日露戦争と日本人」の良さを再認識

私は、気に入った書物については再読に再読を重ねるということを良くしています。
再読に耐えるもの、あるいは再読によって認識の深まるもの、再読するたびに感動の深まるものを読み込む愉しみは、読書の最も深い喜びなのではないかと思います。
この「日露戦争と日本人」はそういう書物に当たると言えます。私は今回三度目の再読でしたが日露戦争の、特に陸戦について自分でも論説を書いてみて(下記マガジンを参照ください)、

改めて認識の深まりを感じるとともに、この本の帯にある「日本民族の雄渾な叙事詩」とのコピーに感じ入るところひとしおでした。
まさに、雄渾な叙事詩と言えるものを鈴木壮一さんが公にしてくれたと思います。

「ロシア敗れたり」、「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」とは異なる雄渾な筆致

本書「日露戦争と日本人」では、あとがきに著者の鈴木さん自身が、
騎兵将軍や連合艦隊参謀の手柄話ではなく、
「招集され、命じられ、行軍に喘ぎ、泥水をすすり、脚気や凍傷に苦しみ、堅牢な要塞に挑んで斃れ、厳寒の満州の荒野に屍を晒した八万八千余の将兵一人一人の戦死の様子を、兵士・下士官・尉官らの視点から記録しておきたい、というのが本書の目的である。
『我々の若き父祖たち一人ひとりが、国難と、どう向き合ったか』
を記録するには、日露戦争の実相が正確に記述されなければならない。
そこで本書は、理屈抜きで、日露戦争の実相を語ることにした。」
と記しています。
そしてそれは、一次資料から丹念に収集したものに基づいて、第一線で苦吟にあえぐ将兵一人一人の名をあげながら実戦さながら共にその労苦を味わうがごとくに記された筆致により見事に成功していると思います。

陸戦としては、二書にない「黒溝台会戦」が盛り込まれている

本書「日露戦争と日本人」では、「ロシア敗れたり」、「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」の二書にはない、「黒溝台会戦」が盛り込まれています。
それはラスト、「八甲田山」訓練行に功のあった福島泰蔵大尉が戦死した会戦であり、その忘れ形見の二歳の女の子の描写のためにも本書には必須の構成だったと思われます。
そして盛り込まれた「黒溝台会戦」は日露戦記にはやはり欠くことができない陸戦だとの思いを新たにしました。

著者鈴木壮一はなお司馬史観と闘わなければならないと思い続けている

著者鈴木壮一は、2009年に「日露戦争と日本人」を2021年に「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」を書き、司馬遼太郎史観と闘った。
しかし、なお現代の日本、将来の日本を思い、今年「ロシア敗れたり」を書かなければならなかった。
現在の日本は、そう思わされざるを得ないほど、イカレテしまっている、という著者の声が聞こえます。

私自身もまさにそう思っています。
これからも闘わなければなりません。



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