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「大阪の旅 その3」/阪大、駅伝コース、豊中  定年直後の2021年12月大阪への旅

令和三(2021)年12月4日(土)、仕事している時と同様朝早く起き、8時に阪急梅田駅を宝塚線に乗り、8時半ごろ蛍池駅に到着。

駅伝コース

阪大は今でも教養2年ほどは全学部豊中キャンパスだと思います。
体育会や運動系サークルはその時代に豊中キャンパスの周回をコースにしている正田杯駅伝コース(確か4.5km)を走ってトレイニングしている。
私も良く走りました。
理学部の修士時代にも研究の合間によく走り、研究のプレッシャーの発散やその時恋焦がれていた美智子(仮名)*という片思いの女性のことを思いながら自分磨きをしていました。

*は下記参照ください。

一週目

12/4(土)の8時半蛍池駅から、阪大正門まで歩き、そこから正田杯コースをまず一周歩きました。正門から中央環状と平行にしばらく下り、豊中市民病院ができたところを左折、阪大理学部、基礎工学部からグランドを左に見ながら進みます。その後左折する際の待兼山の裏の方で道を迷いましたが、道に戻り阪急石橋駅からくる道に入り、その道を下っていきます。阪大下交差点前を左折、右折、左折、左折して、刀根山寮がまだあることを確認し、その前の心臓破りの坂を上っていきます。相変わらず急な坂ですが、この坂で最も力が出るハシリドコロでした。その後、ヘアピンカーブの連続を進み、厚生棟の裏に出てきます。そのあとはキャンパスのメインストリートを正門まで、途中、旧イ号館、旧ロ号館を左に見ます。新しくなってあるいは改装して変わっていましたが、旧ロ号館の大講堂が健在に残っていることが懐かしかった。
図書館下は道路が埋め立てられ、最後の下り登りがなくなり、平坦化していました。食堂もまだあるのかなあ、、、、
かつては、天ぷらうどんが80円、阪大ランチが250円でしたが。
そのあと、理学部前まで歩いて一周完歩。

二周目

一週目のものが正規の正田杯コースでした。
我々は、大回りコースも好きでよく走っていました。
正門正面から中央環状を下り、理学部基礎工グランドを左に見て進むところまでは同じです。
その後、登り切った後少し下ったのち左折するのですが、大回りコースは左折せず、そのまま下り続けて国道171号まで出ます。
国道171号の歩道を石橋方面に向かって進み続け、旧道との分かれ道を旧道に入ります。
そのまま進み、阪大下交差点を阪大へ向かいすぐのところを右折し、元の正田杯コースに戻ります。
このあとは、先ほど同じく刀根山寮の前の心臓破りの坂を進み、その後のヘアピンを過ぎ、阪大構内に戻ります。
一応、理学部のところまで歩き、そこから戻って厚生棟らしく建物でドリンク休憩。
このコースはおそらく5kmちょっとくらいかと思います。
休憩後、石橋駅(いまは石橋阪大前駅というらしい)まで下りました。

余生への希望

天気は快晴というわけに行かなかったのですが、歩くだけでかつての息吹が戻ってくるような感覚を覚えました。
青春の躍動がひとしお恋しく、これからの道行きに余生の希望を感じながらの散歩でした。
都合、午前中に15kmくらいを歩いた勘定でしょうか。

石橋駅周辺でカレーうどんランチ

石橋駅周辺をぶらぶらして、ランチ場所の探索。
ここらへんの雰囲気は40年前と変わらんなあ、、、、
ただ店は同じ店もわずかに残っているようですが、かなり変わっていて、知らない店が多かった。
名前は忘れましたが、アーケードの中の、小さいカレーうどん屋さんでカレーうどんでランチ。
美味しかった、ご夫婦でやっている感じではやっているようでした。

その後、曽根駅から豊島公園へ

曽根駅はかつての駅を高架、踏切を無くしていてかつての面影と違っていて、寂しい感じに襲われました。
かつて、偶然に再び巡り合った、改札から踏切りを渡って下りホームにやってきた美智子さんの面影を忍ぶことは不可能となりました。

駅西側の商店街をしばらく下り、降りたところを左折、左に中学校を見ながら、豊島公園に向かいました。
このあたりに美智子さんの実家が有ったのかもしれません。
苗字が何件か、それらしいものを見ましたが、、、、

豊島公園

かつてと違った形になっていて、これもがっかりといえばがっかり、しかし時の流れは40年近く、当たり前といえば当たり前です。

球場では、たまたま中学校の試合が行われており、新しく出来た観客席でしばし中学野球を見て過ごしました。
冬の斜陽が眩しく、試合途中6回くらいで球場を一周しました。
かつて彼女と初めて出逢った時、彼女の愛らしい服装と姿ははっきりと覚えているのですが、何をどういう状況で話したかまでの詳細は思い出せませんでした。








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