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「時に絶望を伴っても人生の根本を問わずに生きていくのは詰まらない」/長い目で見て豊かな人生を生きるためにですが、中長期の損得勘定にも合わないことです

先ほどの下記記事に、若い頃のことを振り返って、鬱に近い状態でしょげてた若い自分を改めて思い出し何事かを記してみました。あの頃、良く言えば近代に乗り出していくにあたりその遥かな眺めに時に絶望していたこともあったのだろうと思います。

しかし、そういう言わば、

人生の根本を問うということは如何に迂遠であっても必要なことなのではないか

と思います。

それに類いする最近の記事を見つけたので紹介しておきます。

1)グーグルが哲学者を雇う理由 なぜ今、世界のトップエリートは哲学を学ぶのか

この記事には、煎じ詰めて言うと、大きな時代の曲がり角に来ている現在、新しい概念、コンセプトを想像できるような素養を持っている人間でないとグーグルを発展させていけない、というような趣旨が書いてあります。

別にグーグルでなくたって、今の、あるいは今でなくても企業社会では、そういうクリエイティビティのない人間は時代の荒波に翻弄されはしても、そこから藻掻きにもがいて新しいコンセプトなど想像できようはずも有りません。

2)「本から学ばない人」と「読書家」の致命的な差/斎藤孝「読書の効用が疑似体験にある」

最近の若者と話していて、もちろんそんな人ばかりではありませんが、読書体験が短期損得を狙った浅薄なものばかりの時ほどがっかりすることはありません。

長い目で見て豊かな人生を生きるためにですが、中長期の損得勘定にも合わないことです

本当に心から思いますが、
「時に絶望を伴っても人生の根本を問わずに生きていくのは詰まらない」
です。
会社に入っていろんな人間の実相を見てきて、いつも思うのは、
出世欲のみで人間や社会の実相を問わずうまくやっていこうだけしている人間ほど据えた臭いのするものはないということです。

また、それでそこそこうまくやってる人間がいるのも事実ですが、ひどいのは場末に澱む如くに会社社会から放逐されている人が圧倒的に多いものです。

しかし、なにか胸の奥できらっと光るものを湛えている人間は、いつか頭角を現すと言うのもしばしば散見される光景です。

やはり、人生は長いものですので、どこかで平仄が合うようにできていると思わないわけにはいきません。

時に絶望を伴っても人生の根本を問わずに生きていくのは詰まらないです。それは、長い目で見て豊かな人生を生きるためにですが、中長期の損得勘定にも合わないことなのです、と若い方々には、はっきりと申し上げておきたいと思います。
蛇足を言えば、ユーモアというものも、そういうプロセスからこそ出てくるものであろうと思います。



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