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人文、歴史系

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人文系の記事を収録します。政治、金融、経済関係以外の文学、歴史、人間に関する記事と思ってください。政治、金融、国際政治及びそれに関わる社会事象は「世界情勢、歴史、政治、経済、金融… もっと読む
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#乃木希典大将

「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」及び「日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで その1から5」に関する、俯瞰及び目次を、読者の皆さんの便宜のためここに作成します。 1.日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 2.日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 1)その1 2)その2 3)その3 4)その4 5)その5 今後ともご愛読賜りますようお願い申し上げます。 2.その他

書評「かたくなにみやびたるひと 乃木希典」乃木神社総代会(展転社)/乃木さんの軍人として貫く一念と広くたゆたき心が、尊きまでに胸を打つ

かたくなにみやびたるひと みやびたる、という言葉が現今一般に受ける印象は、やまと心の中でも、たよやめ、にぎみたま、といった優しさを表すものにどちらかといえば近いです。 しかし、この書の中では本来の「みやびたる」を敢えて説明しており、やまと心の、ますらお、あらみたまのほうの荒ぶる戦人(いくさびと)のみたまをも合わせたものを言うとしています。 その意味で、敵に対して、戦人としての勇気のすべてをかけて打ち勝つ、そういう忠君軍人として貫く一念が「みやびたる」の中の核心としてあるの

「日本民族の叙事詩 祖国を形づくるもの」西村眞悟著(展転社)/日本人は大東亜戦争の意味を再認識しなければならない。”昭和天皇と明治天皇そして乃木希典大将”

西村眞悟さん 平成九(1997)年に衆議院議員として、はじめて国会で拉致問題を取り上げ、同年腰の抜け続けていた政府をよそに尖閣列島魚釣島に国会議員として初上陸・視察を行ったのが、西村眞悟さんです。 その功績は、日本の歴史に応え得るものと私は思っています。 西村さんは、六期務めた衆議院議員時代から、数年ごとに日本の国家としての存在意義を問う著作を出版されてきました。国会議員としての実践と国家としての思想とも言える著述をともに行ってきたことに敬意を評さざるを得ないものがありま

「『日露戦争と日本人 国難に臨んだ明治の父祖たちの気概』鈴木壮一著かんき出版 この雄渾な叙事詩を是非ご一読ください」

近刊「ロシア敗れたり」に関連して本書を再読 鈴木壮一さんの近刊「ロシア敗れたり」に関連して、本書「日露戦争と日本人」を再読しました。 「ロシア敗れたり」は「日露戦争と日本人」及び「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」を合わせて再編集したものという書評を掲載しました。またそういう編集もまた良しとも申し上げました。 再読して「日露戦争と日本人」の良さを再認識 私は、気に入った書物については再読に再読を重ねるということを良くしています。 再読に耐えるもの、あるいは再読によって認識

「新刊『ロシア破れたりー日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』鈴木壮一著毎日ワンズ」/司馬遼太郎史観に騙されないで

新刊『ロシア破れたりー日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』鈴木壮一著毎日ワンズ、令和五年九月二十三日第一版 鈴木壮一さんが再度、というより再再度、日露戦争に関する「坂の上の雲」の過ちを正すべく、新刊を刊行しました。 鈴木壮一さんの著作については、再三本コラムで取り上げさせていただいています。特にこの日露戦争のいわゆる司馬遼太郎史観の誤りを正したということについては近年の傑作だと私は思っています。 ですのでたびたび引用させていただき、私自身も「坂の上の雲」の司馬遼太郎史

「戦後の昭和天皇と乃木希典大将」/その深い関りを拝察する

先日、昭和の日に靖国神社と乃木神社を参拝してきたことについて記しました。その記事中、昭和天皇と乃木大将の関りについても述べましたが、今回その関りを忍ぶために「昭和天皇実録」から、戦後の中での記載を取り上げてみたいと思います。 戦後の昭和天皇と乃木大将 第二次大戦後の「昭和天皇実録」には、乃木大将のことは四記事が記載されています。もちろん戦中、戦前はもっと多くの記載があり、実に51も有ります。 ここでは、戦後の四つについてのみ記させていただきます。 1)昭和二十年九月二十七

「昭和の日に、靖国神社と乃木神社参拝しました」/昭和天皇と乃木大将の深い関りについて改めて思いをいたしました。

昭和天皇と乃木大将 昭和天皇と乃木大将の因縁についてはどこかで書いたつもりですが、思い出せず改めて記させていただきます。 文字通り乃木大将と明治天皇ついては深い因縁で結ばれていますが、明治天皇の御大葬のときに乃木大将が御夫妻で殉死されたということをここでは述べるにとどめておきます。 乃木大将を深く信頼された明治天皇は皇孫である後の昭和天皇の教育を託されました。そして昭和天皇小学校入学時に学習院院長に命じられたのが乃木大将であったわけです。 乃木学習院院長 乃木さんは残さ

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」

 この8月で、日露戦争の旅順攻防戦(1904年:明治37年8月~1905年:明治38年1月)開戦から118年を迎えます。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は小説として書かれたと言え、史実に厳密ではありません。特に乃木希典大将の記述に関しては酷い偏見が見られ、「坂の上の雲」後の昭和年代は一時乃木大将愚将論が闊歩しました。  その後、多くの歴史家の努力により、乃木愚将論の呪縛が説かれてはきましたが、改めて乃木大将の日露戦争における位置づけを私なりにまとめておきたいと思います。  以下