見出し画像

理解力が低い、の話

理解力とはなんぞや


どうも、飴玉です。
以前読解力が少ないと行間が読めない的な記事をどこかで見かけて飴玉なりに経験談と照らし合わせながら考えてみました。

飴玉の親は、親自身も毒親育ちです。
非常に怒りっぽく、機嫌を損ねると物や人に当たり、人が離れると1秒前の事でも忘れたかのように媚びて擦り寄ってくる人です。
瞬間湯沸かし器のような人ですね!

親自身だけでなく発言もモラルに欠け、周囲から人がどんどん離れていっており、以前思わずその現象についてどう思っているか尋ねた所
「皆忙しいんだよ」「数回に一度は返事があるし」
と建前をそのまま受け取り、家族にべったり依存している(他にいないので)状態です。

以前友人と出かけた後から避けられている件についてアドバイスしたけど聞き入れてもらえず、結局今日まで断絶したままとなっています。

ボカして説明しますが、遊びに行く際に準備や手配全てを相手に任せ、交通費も食費も相手の負担が大きい状態で、とうとう帰り際に相手から一言あったそう。
「ここの食費くらい出してもらえる?と笑って言われちゃったから出した」
そして本当にその食事代だけ払って解散、以後誘って貰えずだそう。

そりゃそうだ


私は「友人は対等である」「労力なり金銭なりきちんとしなければ友人関係は崩れる」と説明しましたが、言われた通り食事代を支払った、と返ってきてそれ以上の説明を辞めました。

友人側が本来ならきちんと「いくらかかったので支払ってくれ」と伝えるのが筋だ、という言い分も分かりますが、それこそ友人であればそんな言い方しなくても払ってくれる(気持ちを汲んでくれる)と思ったのではないかな、と私は考えました。

はっきり言われてないからと、飴玉の考えすぎだと言われました。
でもそれを言う親自身はいつでもはっきり伝えているかと言われるとそうではないんじゃないか。

私が見る限り、常日頃から「察して」と言外に相手を動かすコミュニケーションの仕方をとっている。
要望を伝えると責任が発生するので、相手が勝手に動いた、という態度を貫いているように見える。
責任を回避するための「そんなつもりじゃなかった」を、自身の立場が悪くなるたびに免罪符のようにつきつけてくる。
(なにせ悪びれなくそれって半ギレだよね?という声音)

そんな人に「そちらが言わないから払わなくていいと思った」と言われたら、付き合いを考えてしまう人も多いんじゃないでしょうか。
私は嫌です、責任をなすりつけ楽しみだけを吸い上げるバッキバキのテイカーと遊びたくないな。

行間(言外の表現)を読む、が難しい人も(無意識に)行間を読ませる事はするんだと学びました。

理解力に割ける脳力=知ってる-聞きたい-言いたい

表題の理解力に戻るんですが、そんな親を観察していると、行間の読み以外にもひっかかる点が出てきました。
他人の説明中お喋りが止まらなくなってしまい、それも本筋からどんどん離れていってしまう点です。

例えば和菓子屋さんへ買い物に行くとします。
店「お饅頭は売り切れです」
親「そっかー饅頭といえばこの間云々」
店「そうなんですね……他のお品はいかがなさいますか?」
親「買い物でどこまで出かけて云々」

買い物、という目的を忘れて「今発生した感情を伝えなければ」とずっとお喋りが止まらなくなります。

私はこのやり取りを見て”言いたい、が一番大きく、聞きたい知りたいを上回っている状態なのかな”と思い、その後も考えていました。

既に知っている事であればそこまで拒否反応がなく受け入れ(年を重ねるごとに新たな物事への抵抗が発生しがち)知らない、聞かないとわからない、でも喋りたいが勝ってマイナスになり「お喋り」としてオーバーフローしているのではないでしょうか。

ここで「お喋り」が出来ない話題ではどうだろうか、と思い試してみました。
お喋りが始まったら「本筋から反れている」と伝え、喋りたければ正しい話題で、と促してみました。

ブチ切れました


私はてっきり「お喋り」は”連想によるオーバーフロー”だと思っていたんですが、どうやら”知らない事を指摘されない為の防御反応”だったようです。

話題の反れを指摘しても「おっと」と逃げるだけだったので、そこが気になった訳ではないようでした。
それよりも、〇〇についてどう思う?(考えて)という言葉に反応して激昂する事が多かったです。

自分にどうしろって言うんだ!!


両親とも上記の文言で食ってかかってきた事があります。
「自分で考えて責任を背負って言葉を発してね」という状況になるといつもこれです。
「お喋り」で煙に巻いて逃げられないと、理解力(に割く脳力)が「言い負かし煙に巻く喋りを封印され責任を持たされる」事に気が付いて、激昂してその場を退出する技に変わるわけですね。

決して追い詰めた訳じゃないです。
例えばお片付けをしない子供に「お片付けをして」というと、片付けできなかった言い訳を始めたり、遊び始めて片付けの手が止まると思うんですけど、その度に「手が止まっているよ」と言う。
そんな感じのやり取りをしていました。

行間を読む事と、自分の置かれた立場を弁える事、どちらにも理解力が必要なんですが責任から逃れたい一心で理解力がないフリ(なりふり構わず)をしている人もこの世の中にいるんだな、と知れたので大事な出来事だったな、と思った飴玉でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?