山登りの話

仕事もだいぶ回せる様になってきた頃。入社3年目ぐらいだったかな?そろそろ何か新しい事にチャレンジしてみたくなって色んな趣味を模索してみた。その中の一つにハイキングがあった。
最初は車山高原とかだったかな?
旅行で遊びに行った時の遊び方にハイキングが加わった様な感じ。ハイキングと言うよりも散策に近いスタートだったと思う。
何がキッカケかそのまま吸い込まれる様にのめり込んで行った。今思うと景色を見る事自体も好きだし、特に日常に無い景色は気分が高揚した。また、ただ歩く事だけでも気分が晴れるというか、無心になれるというか、ニュートラルに戻ると言うか、気分転換が上手く出来ていたんだと思う。
時間をいっぱい使ってひたすら歩くという贅沢な趣味だと自負していた。

スタートは入門のトレッキングシューズと安売りのソフトシェル。何が必要かもよく分かって無いまま、見よう見真似。トライアンドエラーと言う程検証も何も無いが、ただ物欲に任せるがままいろんな登山用品を買ったと思う。

職場の先輩に誘われて富士山に登ったのがある意味転機だったと思う。
富士山自体はガスってて終始雲の中。何も楽しめない登山だったと思うが、この登山以降先輩に付いて訳もわからずだったが、ハイキングから登山に変わったのだと思う。
その次はいきなり前-奥穂だったから驚き。
今だったらあの装備であの経験値では行かなかったろうし、そんな初心者が居たら止めるかどうか躊躇するレベルだと思う。若さと無知って怖いな。と今では思う。
結果的には凄く楽しめたし、宿泊のありがたさも高地ではアルコールがよく回る事もいろいろな経験が出来たと思う。

その後は先輩と一緒に行ったり、ソロでも登ったりだった。ソロでは、八ヶ岳が多かったかな?基本前泊日帰りで行けるし。
ソロをやり出してから自分のスタイルが徐々に固まってきた。

ロング。とにかく歩いた。1日の行動時間もぐんぐん伸ばした。木曽駒-空木なんかは凄く良い思い出。夜中に駐車場からスタートで登りながら日の出を迎えた。あの雲海の美しさは多分一生忘れないし、塗り替えられる事も無いかも知れない。空木までの縦走路も爽快でルンルンだったと思う。
この時は結局14時間ぐらいの行動時間だったと思う。寝不足もあったし、ナイトハイクも初だったと思うし、ソロでやりきった時の達成感かな?身体の疲労感もあるかな?充実した休日だったんだろうね。

もっとやりたいと思う様になって、ツェルトを買ってテン泊を始めた。
そう何回もやれてないと思うけど、鳳凰三山に北岳-農鳥をくっ付けた2泊3日。
この時は確か先輩が北岳の小屋泊ピストンをやってて、すれ違ったんだよね。多分こんなルート取るのは自分だけだと思いながら。
なかなか強烈だよね。初日に鳳凰三山登って、テン泊。2日目は北岳を対面に拝んだ後に、一度降ってその北岳を登った。3日目は農鳥までの縦走路を雨の中歩いた。(この縦走路はなかなか気持ちいいらしく、次回は晴れた日にやりたいと思いつつ。。)農鳥山頂でスカッと晴れて、この登山の全行程が見渡せた時にはちょっと感動したよね。
ただ、農鳥からの下りは長かった。下れも下れも森の中。気持ちはやられたが、降ってからの温泉は最高だったと思う。

他には聖赤石荒川の周回ルートもなかなか良かった。これも2泊だから聖平と荒川小屋かな?
聖までがまず長い。そして聖の登りが朝イチの身体でキツイ。そこから赤石へのルートが思った以上にアップダウンしてて、しかも道も細い。北アルプスと違って人があまり入らないからかな?そして赤石がデカかった。
荒川はガスってたのか、登った事すら覚えてない。南アルプスのボリュームを感じた登山だった。下りと最後の林道は恐ろしく長いはずだったけど、この時はトレランの人と一緒に下ったので、楽しめたのは良い思い出。彼女はまだ走ってるのかな?こっちも引くぐらい、ガツガツに飛ばしていたので笑えたけど。あの出会いが無かったら辛い下山だったんだろうと思う。ほぼソロ活動だったけど、一緒に登る楽しさと言うか、初めましてでも励まし合えるというか、同じスポーツをしながら分かり合えるというか。こういう事をもっと普通に出来ていたら多分もう少し違った登山人生だったのかな?と思う。

その後か先かわからないけど、地元の山に結構通ったし、周回ルートを取ってロングにしたり、基本日帰りだったけど、ランに本腰入れてたのかな?時系列が分からないが。トレランにもどっぷりな時期だと思う。(トレランの話はまた別途)

あとはやっぱり槍に行きたくて。新穂高から双六まで登り、西尾根東尾根を通り本当は常念まで行きたかったがもうこの頃は若く無くなったのか、上高地に降ってからの焼岳経由で新穂高に戻った。この時は雪が降り始める季節で荷物が多くて、登り始めから気持ちが折れてたね。夏なら良かったかも知れないけど、でもやっぱり冬が近づくと空が澄んで綺麗。双六へのアプローチは何度穂高連峰を振り返った事か。
穂高に登った時は穂高から北側ってほとんど登った事なくてでも本当に山が深くて。この深い山に入りたいなーという思いを持ちつつババ平に敗戦処理含めての下山は結構寂しかった。多分これが分かれ道だったのかな?
ここで登らずに下った事が自分の限界というか、これで良いやと投げたと言うか。ここで登っても多分何とかなってはいたとは思う。やりたい気持ちも有ったけど、安全を見てしまった。やりたい事をやらなかった。多分だんだん冷めていく方向へのスタートだったんだろうね。今思うとだけど。

どこ以来登って無いのか、よく覚えてないけど、また登りたいなー。出来るかなー?という気持ち。
子供が産まれてから山は行ってないのかな?
一緒に行けるようになったらまた行きたいな。
そしたら多分楽しみ方が以前とは違うんだろうね。
子連れ登山?ファミリー登山?キャンプついで?いろんなパターンがあると思う。もう少し大きくなってからの楽しみ。

山は逃げない。この言葉には救われた事がある。先輩と行きたかった山に自分だけ都合が合わず行けなかったのだと思う。
また行けば良い。ただそれだけなんだけど。早る気持ちの落とし方を知らなかった当時の自分には凄く染みる言葉だった。
山はいろんな楽しみ方が出来ると思う。山暦何年だろう?空白期間も結構あるし。
でもこれからも付き合えたら良いなと思う。
改めて書いてみるとやっぱり山が好きだったんだなと思った。

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