見出し画像

2人目の子が生まれる話

上の子は3歳で9月から一足先に幼稚園に入った。最初は園まで送り迎え。親が教室の前まで送って荷物を仕分けして子供を預けていた。10月からは通園バスが始まり、バス好きなので、毎日笑顔でバスに乗るようになった。
とりあえず楽しいようで行き渋りもほぼ無く助かった。

下の子は予定日が11月の3週目だったので、まだしばらくは余裕あるなー。と思って仕事の引き継ぎがそこそこでもそれほど心配してなかった。

9月の終わりに妊婦検診に行ったきり、入院する事になり、大学病院まで救急車で運ばれていった。
仕事中に知らされて、急いで帰宅。入院荷物を作って、幼稚園にお迎えに行って、救急車を子供と2人で見送った。これが子にとっては少しトラウマで、妻の姿が見えなくなると、救急車で入院したの?と聞いてきた事が何度かあった。
それもそうだよね。急に救急車を見送ってそのまましばらく会ってないものね。テレビ電話は毎日朝晩したけど、急な親離れはやっぱり寂しいようだった。

そこからは、幼稚園児と父との2人の生活が始まった。
仕事は毎日半休。下の子が生まれれば育児休暇を取る事にしていたので、それまでの辛抱だとは思っていたが、まだ2ヶ月近くあり、どうなるのか?この生活が2ヶ月続くなら有給休暇保たないぞ?そんな事を考えてた。
先んじて幼稚園に入れていて本当に良かった。春まで待っていたら、有給休暇を使い切り、その後は欠勤するしか無かった。

朝起きてから幼稚園の支度をして、バスに乗せてから職場へ。午前中だけ仕事して、帰ってからは夕食の仕込みして、お迎え。まだ夕方なので、しばらく遊んで、風呂、飯、歯磨き。の3コンボ。特に最後の歯磨きは毎日苦戦だった。
寝静まってから片付けやら洗濯やらを回したらあっという間に寝る時間。
ワーキングマザーはコレをフルタイムの仕事をしながらやってるんだから、尊敬しかない。ワンオペ大変!

結局10日程で退院したけど、その後は自宅安静。生活は変わらず仕事は毎日半休。
でも母親が居るとやっぱり安心するのか、一対一での生活とは違うと思った。絶対安静なので、何かやってもらう訳では無いけど、親の目がもう一つあるのは全然違う。常に付きっきりにならなくて済むので助かった。

そんな生活を結局3週ぐらいしたのかな?
臨月を迎えるまでは、片道車で1時間の大学病院まで通っていたので、検診の度に休んでた。しかもコロナ対応で、子供は連れて行けなかったので、幼稚園の時間内で済むように毎回バタバタ。
大学病院は街にあるので、病院内の食堂とか街でご飯とか、束の間の夫婦の時間を少しだけ過ごせたのは案外良かったかな?あそこのハンバーグ屋さんは今度は2人を連れて行きたいな。

臨月を迎えて、発育も順調らしく、また地元のクリニックに戻って来れた。
上の子は総合病院で産んだので、病院食はもうこりごり。クリニックの食事は評判が良く、コレが1番の楽しみだったらしい。

安静解除されたのと、クリニックに戻れたのとで、安心したのか、次の日には破水してしまい、今度はクリニックに入院。予定より早いけど破水してしまっては待つ事も出来ず、また絶対安静で陣痛待ち。すぐ来ると言われつつもなかなか来ず、結局は促進剤で出産。
破水してからはいつ産まれても良いように私も付き添い入院。上の子は父実家に疎開。この疎開経験は本人は楽しかったらしく。これ以降ジジババに懐いてるので、結果的に良かったなーと思う。

産まれてからは1週間入院していたので、また父と上の子とのマンツーマン生活だったが、流石に疲れが溜まったらしく、風邪を拗らせていたので、幼稚園はお休み。父と子で家でゆっくり退院を待っていた。
仕事の引き継ぎはメール送っただけで、私はそのまま育休突入。職場には迷惑掛けました。戻ったら取り返します。

6ヶ月の育児休暇も残り1ヶ月半。
仕事行きたくない感マックスだが、父が居なくても回るように生活を整えないとね。
暖かくなってきたので、まずは楽しい春休みが過ごせたら良いなぁ!
明日はイチゴ狩りだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?