引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。
発言人物一覧
○朴普煕(パク・ボーヒ)……統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)の最側近のひとり。韓国文化自由財団(KCFF)会長。
○ジョン・M・ブレイ……弁護士。
○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長。
○ハワード・T・アンダーソン……同小委員会スタッフ(調査員)。
『朴普煕聴聞会』を読む〈二〉
1978年4月11日、統一教会教祖・文鮮明の最側近のひとりである、朴普煕 に対する2回目の聴聞会が開かれた。前回、朴が長々と自分の声明を喋ったので、尋ねるべき質問が聞けなかったためである。
◎朴普煕独演会再び
公聴会の前日、ブレイ弁護士は国際機関小委員(いわゆるフレイザー委員会)の上部委員会である国際関係委員会のザブロッキ委員長宛に抗議の書簡を出していた。聴聞会の内容がまたしても新聞にリークされ、それも曲解するような内容であること、また、朴の聴聞会に合わせて作った700ページ弱の付録冊子に誤りがあるにも拘らず、あたかも事実であるかのように掲載されるのは不当である、という中身である。
あー喋らせちゃ駄目なのに〜。またしても朴普煕は長々と喋りだすのだ。
箇条書きにしてみる。
●前回の聴聞会で記憶のかぎり誠実に答えたにもかかわらず、小委員会は自分を嘘つき扱いするべく、証言のリークや誹謗中傷をしている。
●英語が母国語で無い自分が英語を母語とする百戦錬磨の弁護士などからなる調査チームと弁論で競い合わされるのは不公平であり、今回は当方の弁護士と相談した上で回答していく。
●KCFFの活動が妨害されたり、ROFAが潰されたのは国務省の陰謀であることが付録文書から明らかになった。当然、自分も国務省の策謀の被害者だ。
●コリアゲートのせいで韓国人のみならずアジア人がみな偏見に基づき苦しんでいる。
●小委員会の付録に収録された不正確な情報のせいで統一教会はセックス教団扱いされ、文鮮明は性犯罪で逮捕されたかのように書かれている。これらは間違いである。教団は魔女狩りにあっている。
かくして、この日の聴聞会も朴の演説に長々と費やされた。やってることは前回の聴聞会での声明と大して変わらない。しかも、
声明を読み続けるか、打ち切るかをスッタモンダした挙げ句、押し切られる形で全部読み上げられてしまう。いやはや。
◎池田文子をめぐる謎の金の流れ(続)
前回(3月22日)の聴聞会では、朴普煕、「日本人妻自由往来実現運動本部」代表・池田文子、そしてKCIAを巡る奇妙な金と人の流れを委員会は追求した。今回も引き続き追いかけるが、まず前回の聴聞会で判ったことを前回書きそびれたことを含め、まとめておく。
まず3月22日聴聞会での朴普煕の証言。
外交ポーチ(外交公嚢(のう))とは、
当然ながら現金もポーチに入れて、中身を知られずに運ぶことが出来る。すなわち、「見られてはいけない」金であったといえる。
次に朴に現金と手紙を渡した元韓国大使館員(でKCIA職員)の金相根の証言を見てみよう。
金が梁斗元からの手紙を渡した年が1975年か76年か、というのは『フレイザー報告書』でも特定できていない。
前回とここまでの証言からわかる、金の流れをまとめてみよう。
①KCIAは外交ポーチで、現金3,000ドルと元KCIAワシントン支局長・梁斗元(ヤン・ドゥウォン)の直筆の手紙をワシントンの韓国大使館へ送る。
②大使館員でKCIA工作員の金相根は、朴普煕の自宅までやってきて、現金と手紙を渡す(金は手紙の中身を具体的に知らない)。手紙には朴の手から池田に現金を渡す旨の依頼が書かれていた(ただし手紙の所在が不明なため、本当にそう書かれていたかはわからない)。
③朴は長期間寝かす。
④朴が韓国へ向かった際、池田を韓国へ呼び出し、朴から池田へ現金を渡す。
それにしても、前回も述べたが、なぜ梁斗元はわざわざ韓国からアメリカにいる朴に金を渡し、かつ朴から、日本にいる池田に渡させるような面倒なことをしなければならなかったのか。池田が報酬の受取りを拒否していたという証言を仮に信じたとしても、そして同じ外交ポーチを使うにしても、在日韓国大使館に送ってから松濤にある日本の統一教会経由で渡してもよかったはずだ。すなわち、渡す相手は朴普煕でなければならなかった理由があった、と考えるべきであろう。
ここで想起されるのは朴普煕が主導しているKCFFの存在だ。前回、KCFFの業務プロジェクトのNo.2に『講演者局』があったのを覚えておられるだろうか? これは反共宣伝のため、著名人に講演してもらうためのマネジメント業であった。つまり、韓国政府の依頼による池田の講演を仕切っていたのは「池田の講演は知らなかった」ととぼけた朴普煕自身であり、そうであるならば、金を渡すのが朴である合理的な説明がつく(朴の言い訳では、梁斗元は池田がアメリカに帰ったものと思っていたのでは等々としているが)。
そうなってくると、梁斗元直筆の手紙が出てこない以上、朴に渡された現金3,000ドルが全額池田に渡った可能性すらあやしくなってくる(そもそもそれが池田のギャラだという証拠はどこにもない)し、朴が訪韓の際に池田を呼び寄せたことも疑わしい。なにしろ、池田に渡してくれと書かれていたと言っているのは朴普煕だけだから。
以上の推察を踏まえつつ、今回の聴聞会を見ていこう。朴普煕の長々とした演説を聞かされうんざりしていたであろうが、気丈にも質問を繰り出していく。
前回に引き続いて見つからなかった、ということはあっても見せられない内容だった可能性はある。
ここで出してきたのは、池田文子が日本時間4月10日に開いた記者会見について書かれたAFP通信の記事であった。
さて、先程の朴普煕や金相根の証言と比較しても、時期がおかしい。証言した順に並べると、
朴は1976年春に池田の講演が行なわれ、同秋に梁斗元から手紙を受け取り、1977年秋に韓国で池田に現金を渡したとしている。
一方、池田は1975年11月に講演を行い、翌年2月に渡されたという。
更に金は、1975年夏に梁から現金と手紙を受け取ったという。
果たして誰が正しいのだろうか?
などと朴は胸を張っているが、既に見たように時期についての証言が大きく異なっている点を見れば、「説得力がない」だろう。
一転、しょげる朴普煕の姿が目に見えるようだ。
若干の休憩後、小委員会調査チームのアンダーソン調査官が質疑に立ち、引き続き池田女史のことを尋ねた。
さらに驚くべきことに、前回の聴聞会(3月22日)から今回の聴聞会(4月11日)の間に、池田文子がニューヨークにやって来て、朴普煕と会っているのだ。
池田が朴と何を話し合ったかはわからない。だが、3,000ドルの現金受け渡しの件について、アリバイの擦り合わせをしたのではないのか? と勘繰られてもやむを得ないだろう。なにせ、何から何まで覚えていない、わからないのだから。
◎政府関係者か否か?
少なくとも、アンダーソン調査官の提示した手紙が実際に書かれたものであることは認めた。朴に当時の記憶がなくとも、金鍾泌からフリーダム・センターの支援を促された可能性はあるということだ。
では、その金鍾泌は政府関係者か否か?
民主共和党は朴正煕(パク・チョンヒ)政権の最大与党である。その党首が全く政府と無関係というのは通らない理屈だ。
こうした屁理屈は、朴がKCFFの構想を相談し、のちKCFF初代副会長となった、元駐米韓国大使・梁裕燦(ヤン・ユチャン)氏の当時の地位に対する質疑に関しても言える。1964年3月にKCFFは設立されるが、
ここで、アンダーソン調査官は1964年12月10日付の朴から梁裕燦に宛てた手紙を手掛かりに朴に尋ねる。
少なくとも、この手紙以前は無役(李承晩時代の1960年に駐米大使を解任)だったようだ。
朴はあたかも梁裕燦の就いた職は大したものではないと、彼が特別顧問になったことを矮小化しようとしているが、梁がこの翌年に巡回大使(Ambassador-at-large)となり各国を廻ったことを考えれば、韓国政府は当時の梁を決して過去の人間として扱っていなかったといえよう。
KCFFは朴普煕が切り盛りしている以上、統一教会関連組織であることは疑いない。だが、その設立経緯や活動に、韓国政府関係者(或いはかなり関係者に近い者)との人的繋がりがなかったとは言いきれないのだ。
金鍾泌や梁裕燦の地位について、朴に質問を浴びせるアンダーソン調査官に、ブレイ弁護士は異議を唱える。
無論、フレイザー委員会は記憶力を試しているわけではない。朴普煕がそれを見て記憶が甦ればそれを聞き、なくても証拠資料の真正性を認めさせているだけである。なぜなら、
つまり、故意かどうかはわからぬが、朴は小委員会の求めに応じてすべてのKCFF関連文書を提出したわけではない、ということだ。
しかし、朴普煕が前回、今回と声明で散々あげつらった『付録(製本された証拠資料集)』を、ブレイ弁護士は全く読んでいなかったのだろうか? いささか、能力に疑問を持たざるをえない。
この回の聴聞会はここ迄である。だが、次の聴聞会までの間に、池田文子事件はまたまた新たな展開を見せる。
〈三〉につづく。