『フレイザー報告書』こぼれ話(19)

 引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言人物一覧

○朴普煕(パク・ボーヒ)……統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)の最側近のひとり。韓国文化自由財団(KCFF)会長。
○ジョン・M・ブレイ……弁護士。

○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長。
○エドワード・ダーウィンスキー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員。

『朴普煕聴聞会』を読む〈三〉

 前回の聴聞会から9日後の1978年4月20日午後、統一教会教祖・文鮮明の最側近のひとりである、朴普煕 に対する3回目の聴聞会が開かれた。当日の午前中はニクソン、フォード政権時代の国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏への聴聞会が開かれるハード・スケジュールだった。

◎朴普煕独演会三たび

 ブレイ:すみません、委員長。当初、我々はアンダーソン氏に対し、朴中佐が声明を配布しており、その短縮部分を読みたいと希望していることをお伝えしましたが。
 フレイザー:弁護士さん、これで3回目です。前回は自分が非常にリベラルだと思っていました。 朴氏にはその際、言いたいことは何でもおっしゃる機会があったのだ、と私は思っていました。
 公聴会を遅らせなければならない理由は今あるのでしょうか? 私たちの記録によると、時間の3分の1は中佐の発言を聞くのに費やされたことがわかります。
 付け加えさせていただきますと、私たちがこのようなことを経験している唯一の理由は、通常の調査のやり方で中佐と普通に話すことができなかったからです。 私たちが彼から得たいと思っていた情報は、この手続きに頼らなくても、彼からもっと簡単に得られたはずだと私は確信しています。私たちはこのように進める必要があります。
 私たちが発言に多くの時間を費やすのは、小委員会にとって公平ではないと思います。 今回、小委員会の時間を割くことにどのような正当性があるのか知りたいです。
 ブレイ:朴中佐としては、ここに3回も戻って来ないほうがましだと思っていましょうが、彼はそうしています。 以前の証言で起こったこと、小委員会が発表したことに基づいて、彼は正当な指摘をしていると考えています。
 朴:それに加えて、委員長、あなたのすべての質問にお答えしたいと思いますが、その前に私の声明を少し読んでいただきたいと思います。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 うんざりしているだろうフレイザー委員長は、それでも譲歩し、15分の時間を朴に与えた。
 ところが、朴はそのフレイザー委員長に牙をむいたのだ。

朴:なぜあなたが統一教会、KCFF、ROFAの破壊にそこまで熱心だったのかを知るための調査の過程で、私は、委員長であるあなたと、あなたが私たちに不利な証言をするために呼んだ何人かの証人たち、特に元国務省コリアデスク局長ドナルド・ラナード氏が、共産主義組織との「業務上の関係」を維持していることを示す情報に遭遇しました。そのうちのいくつかは北朝鮮と直接関係があります。
 1977年、『トランスワールド・ニュース』紙に掲載された、ジャーナリストのウォルター・ライリーによる記事「国会議事堂に対する北朝鮮の影響」は、ラナード氏が率いる組織「国際政策センター」は、「 国家安全保障研究センター」と会議室を共有しております。国家安全保障研究センターは、ラナード氏の団体と同じカンファレンスセンターで、「戦争とファシズムに反対する青年団」の反韓国記者会見を後援しました。戦争とファシズムに反対する青年団は、北朝鮮の大義を支援し、米国の韓国からの撤退を主張する国会議事堂のロビー団体「米国脱韓委員会」を後援する共産主義戦線組織であります。委員長、あなたはラナード氏の国際政策センターの顧問委員会のメンバーです。 これは、あなたが共産主義北朝鮮政府と「業務上の関係」を持っていることを意味するのでしょうか?
 委員長、これがあなたが共産主義組織と唯一関係があるとしたら話は別ですが、そうではありません。これは物語の始まりにすぎません。
 長年にわたって、あなたは非常に多くの共産主義の大義に名前を貸してきました。1973年3月、あなたは「イランの芸術的および知的自由のための委員会」を支援する、元社会主義労働者党のアメリカ合衆国大統領候補者ピーター・カメホや、共産主義者の『デイリー・ワールド』紙のトム・フォーリーを含む人々のリストに、ご自分の名前を追加しました。この委員会は共産主義者・トロツキスト社会主義労働者党のプロジェクトであります。
 あなたは政治家としてのキャリアを始めた当初から、共産党の積極的な支持を受けてきました。 1964年7月4日のニュース記事によると、共産党全国広報局長アーノルド・ジョンソンは、あなたの敵対者である反共産主義者のウォルター・ジャッド(共和党、ミネソタ州)を「いかにして倒すかを教えるために」派遣されたとされます。同じ記事の中で、元共産主義者でFBI潜入捜査官となったルース・ゴディエンコ夫人によれば、「共産主義者はドナルド・フレイザーの選挙活動に積極的に取り組んだ」といいます。
 さらに、1977年の報道によると、1960年のミネソタ民主労働党【訳註:米民主党の下部組織。略称はDFL。】の郡大会の代議員15人以上が現役の共産党員であることをあなたに伝えた際、あなたは「この国には共産主義による内部脅威はない」と答えたと、同FBI潜入捜査官は述べました。また、1975年にミネアポリスで共産主義者をDFLから一掃すべきだという提案を受けてDFL幹部が集まった会議で、あなたは「この国には共産主義による内部脅威はない」と、15年前の発言を繰り返しました。当時、その発言は間違っていました。それは今では間違っています。
 委員長、あなたに対する最も深刻な告発は、米国に亡命した元ポーランド諜報員ヤヌシュ・コハンスキーによるものです。ウォルター・ライリーは1977年に、〈複数のポーランド諜報ネットワークの亡命責任者であり、「海外在住ポーランド人」部門の責任者であるコハンスキー氏は、ドナルド・フレイザー下院議員がソ連の国会議事堂で「影響力を行使する代理人」として働いていると宣誓証言した〉と報じました。
 本日、この小委員会の聴聞室で、私たちは答えを求める重大な質問を提起しました。 証拠が示すように、委員長、あなたが密かに韓国とアメリカの関係を弱体化させるために働いているとしたらどうしますか? あなたがトロツキスト共産主義者・社会主義労働者党の熱烈な支持者であればどうしますか? あなたがこの党の支援者だったらどうしますか? もしあなたがここ国会議事堂でモスクワの「影響力のある代理人」だったらどうしますか?
 これらのことが真実であれば、米国政府自体が重大な危険にさらされていることになります。 アメリカの存続そのものと自由世界の安全が危機に瀕している。 これらの主張が真実であれば、あなたは裏切り者であり、第二のベネディクト・アーノルドであり、この国とすべての自由国家の敵です。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 ベネディクト・アーノルドは独立戦争の際の英雄でありながら、他方、イギリス軍に砦を引き渡そうと画策した(が未遂に終わる)ことで、アメリカにおいてその名が「裏切り者」の代名詞となった将軍である。彼とフレイザー委員長を重ね合わせて貶めたことに、さすがに同僚委員も色をなした。

 ダーウィンスキー:中佐。言っておきますが、あなたの広報活動において誰があなたのアドバイスをしているのかは知りませんが、あなたが今読んだこの声明があなたの大義を助けたり、この委員会でのあなたの立場を取り戻すのに役立つとは信じていません。
 明白な点を申し上げておきたいのですが、たとえあなたが委員長であるフレイザー氏に責任を負わせているとしても、委員会の委員を務める私たち全員に責任を負わせているのです。私たちはフレイザー氏と協力し、調査分野の責任を共有しています。あなたの発言はあまりにも安易すぎます。
 私はあなたが告発するいかなる隠された動機も知りません。この委員会は、下院の規則に従って運営されています。私たちは、自分たちの管轄区域を合法的に守ってきたと思います。政治問題、いわゆる世界政治や外交問題に関して、私はたまたまフレイザー氏とかなりの意見の相違を持っています。しかし、私は委員長としての彼の有効性と、彼がとってきた粘り強い姿勢を真っ先に擁護したいと思います。秘密や邪悪なことは何もありませんでした。
 私個人としては、この文書を読んでいると、あなたの立場は不当なものであり、これは私たちの報道機関がいわゆるマッカーシズムと呼ぶものに似ていると思います。ここには、フレイザー氏に対するあなたの批判や、あなたが導き出した結論を正当化できるものは何もありません。委員会の少数のメンバーとして、私はあなたの批判が委員会全体に対するものであると感じていますが、私はそれが正当であるとは信じていませんし、そうすることであなたが主張しようとしている主張を強化するとは思いません。
 しかし、委員長、質問を続行するのが最善だと思います。
 フレイザー:ありがとう、ダーウィンスキー委員。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 かくて聴聞会は始まった。

◎池田文子をめぐる謎の金の流れ(続々)

 朴が池田文子に渡した3,000ドルに関する証言聴取は前回で終わっている。ところが、ちょっとした動きがあった。

 フレイザー:あなたは韓国に来て、手に入れた100ドル札30枚を彼女に渡した、と証言しました。……その女性の名前は池田文子さんですが、これは正しいですか?
 朴:その通りです。
 フレイザー:江利川安栄とは?
 朴:その名前をもう一度言っていただけますか、よく聞こえません。
 フレイザー:えりかわ・やすえ。
 朴:それは日本の名前です?
 フレイザー:おそらくそうだと思いますが、江利川安栄という名前をご存知かどうかを尋ねているだけです。
 朴:最近日本の新聞で名前が報道されたことは知っています。その名前を聞いたことがあります。
 フレイザー:江利川安栄とは?
 朴:存じません。
 フレイザー:その名前の人物をご存知ないですか?
 朴:皆さんにお伝え出来るのは、私が報道機関、日本の報道機関を通じて知った内容です。
 フレイザー:でも、あなた自身はその名前の人をご存知ないと?
 朴:池田文子に正式な名前があることを最近知りました。その名は江利川安栄です。
 フレイザー:言い換えれば、これらは同一人物です。
 朴:それが私が日本の報道機関から学んだことです。
 フレイザー:彼女がこんな別の名前を持っていたことをご存知ないのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたは国際勝共連合の会員である江利川安栄のことをご存じないのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたの証言では、彼女に100ドル札しか渡さなかったそうですが、正しいですか?
 朴:それが私の一番の思い出です。わかりません。ソウルの私の事務所で彼女と会う予定があり、それは少し前のことです。他には何も思い出せません。私は彼女に、その特別な目的のために私に会いに来るように頼みました。
 フレイザー:また、東京の報道関係者は彼女へ次のような質問をしたと聞いています。「朴普煕があなたにお金を渡したと証言してからしばらく時間が経ちました。その間、あなたは彼と何か相談しましたか?」答え:「いいえ。」
 朴:それは聞きませんでした。質問は何ですか ?
 ブレイ:議長、それは何のことを言っているのですか?
 フレイザー:私にも理解できる質問が彼女に投げかけられたました。
 ブレイ:私たちが見ることが出来る速記録を教えていただけますか?
 フレイザー:読んでみましょう。
 ブレイ:速記録から読んでいますか?
 フレイザー:ここにあるいくつかのメモを読んでいます。

 質問。朴普煕があなたにお金を渡したと証言してからしばらく時間が経ちました。その間、あなたは彼と何か相談しましたか?
 答え。いいえ。

 これは4月10日の記者会見のときのことでした。しかし、実際には彼女はあなたと会い、このことについて話すため、特別にニューヨークに来たと証言しました。そうですよね?
 朴:彼女に他にどんな目的があったのかは分かりません。私が知っているのはそれだけです。私はニューヨークで彼女に会いました。
 ブレイ:これらのメモまたはこの記録と称されるもののコピーを提供していただけますか?
 フレイザー:スタッフが用意してくれると思います。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 残念ながら、前回から今回の聴聞会の間までにどのような報道が流れたかはわからない。統一教会絡みの報道はなかなか一般紙に流れないからだ(ひょっとすると赤旗かもしれない)。だが、この9日間で新たなことが明らかになったわけだ。
 朝日新聞1978年4月11日3面に池田の記事(『朴普煕氏からの三千ドル 私が受け取った 池田里帰り運動代表、名乗り』)が掲載されている。池田の肩書きは「日本人妻自由往来実現運動の会」代表世話役とあり、記事を引用すれば、〈一九七五年十一月十二日から十九日まで、個人として韓国以北五道民会主催の「離散家族省墓実現決起大会」に招かれ、ソウルなど四カ所で演説した。〉とある(省墓とは墓参りのこと)。池田は「里帰り運動の池田文子はKCIAとは何の関わりもない」と強調する一方で、本名としては〈統一教会の会員、国際勝共連合のメンバーであり、脱退手続きはしていない〉ことを認めている。つまり、池田は日本時間10日の会見時点で、自分が統一協会の信者であることを認めているし、本名も露見していたことになる。
 江利川安栄。これが池田文子の本名である。フレイザー報告書(和訳版)の注釈にもあるように、のちに日本の統一教会々長となり、文鮮明の死後は、彼の七男が教祖とする統一教会の分派である、サンクチュアリ教会の日本支部会長に就任した。
 現金受け渡し事件後の経歴とはいえ、これだけの重要人物である。朴普煕が全く知らなかったとは思えない。事実、先の会見で、朴とは統一教会を通じて知り合ったと池田(江利川)は述べている。
 こうなると、朴が証言の際に提出したAFP通信記事は意図的に誤訳していた可能性が高い。だが、委員会が日本から情報を取り寄せれば秒で嘘とわかる話を、堂々と証言する朴の厚顔無恥さに呆れ返るほかはない。

◎朴普煕の食い扶持・

 1965年、朴普煕が米国移民帰化局(INS)にした声明陳述書によれば、

Q. 最近で米国に入国したのはいつ、どこですか?
A. 私は1965年1月3日にパン・アメリカン航空でハワイのホノルル経由で米国に入国しました。
Q. 韓国軍からの年金はドルでいくらですか?
A. 1回限りでおよそ2,000ドルです。
Q. 毎月の年金はありませんか?
A. いいえ。
Q. 銀行口座をお持ちですか?
A. ここで銀行口座を開設したところです。
Q. どこの銀行ですか?
A. リッグス国立銀行です。
Q. どれくらい入っていますか?
A. 現時点では、当座預金口座では500ドルだと思います。

1965年2月2日付・朴普煕による米国移民帰化局への宣誓陳述書(一部抜粋)

 また、3月22日の第1回目の聴聞会の中で、

 ダーウィンスキー:1964年10月に除隊を認められましたか?
 朴:その通りです。
 ダーウィンスキー:中佐、付録に記載されているKCFFの議事録によると、1966年1月(註:おそらく1965年1月の誤り)から、月額750ドルの経費が認められるまで、あなたはKCFFから給与も経費も受け取っていませんでした。1968年3月20日の議事録、つまり付録の657ページにあるものによると、あなたはその月、1968年3月からの給与について[KCFF役員会で]投票されました。さて、朴中佐、1964年10月から1968年3月まで、あなたはどうやって自活されましたか?……言い換えれば、その期間中に韓国政府の代理人や役人から、何らかの援助、補助金、または支援を受けましたか?
 朴:答えはノーです。私は支払いました ー これがKCFFからの私の給与表です ー 私は1965年の1年を通して1,032ドルが支払われました。1966年全体では8,065ドル。1967年、8,745ドル。1968 年、15,814ドル。
 まず第一に、KCFFの発足当初の数年間、私と妻は大変な苦しみを経験しました。確かに、私たちはとても苦しみました。しかし、私の妻は私の外交官としてのキャリアの間に、3年半だったと思いますが、いくらかの貯金を持っていました。また、当時私には仲の良い友人が一緒に住んでいました。私たちはなんとか自活できました。
 しかし、私たちは一生懸命働いたので、あまりお金を使いませんでした。当時、韓国の食料品や米や野菜はそれほど高価ではなかったので、私たちは生き延びることができました。韓国政府からは一銭も来ず、私は何の指示も受けませんでした。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年3月22日)

 1964年10月の在ワシントン韓国大使館で駐在武官として勤務中に韓国軍を除隊してから、いったん韓国へ戻って1965年1月3日に再来米するまでの行動も、小委員会は疑惑として扱っているがここでは省く。
 ダーウィンスキー委員が言及している1968年3月20日の役員会における、梁裕燦(ヤン・ユチャン)会長の声明によれば、

 韓国文化自由財団は「ゼロから」誕生しました。2年間はリソースも開始資金もまったくありませんでした。私は1966年7月から1967年7月までの会計年度の監査報告書を読みました。 総収入は250,000ドルを超えました。この結果を可能にするために、朴中佐がどれほどの「汗、苦しみ、個人的な犠牲」を払ったかを私は知っています。私の知る限り、これがすべてです。 奇跡としか言いようがありません。財団の状況が初めて好転しました。
 朴中佐とその家族にこれ以上個人的な犠牲を強いることはできません。これまでのところ、私たちは彼に給与としてではなく、個人的な経費として月額750ドルを支払っています。 1965年中はこの金額さえも支払うことができず、彼は1年を通して2,250ドルを受け取りました。 さて、私は初めて、朴中佐に財団から税引き後月額1,500ドルのまともな給料を与えることを提案します。これは、財団の事務局長としての職務遂行と家族への十分な支援を考慮した場合、妥当な初任給のように思えます。」

1968年3月20日KCFF役員会議事要旨

 さて、ここまでの情報を踏まえて今回の聴聞会の質疑に戻ろう。

 フレイザー:さて、中佐、あなたは退職して一時金2,000ドルの年金を受け取ったそうですね? おおよそ。
 朴:わかりません。実際にどれくらいのお金を受け取ったのかはっきりした記憶はありません。
 フレイザー:当時のあなたの宣誓証言の中で、それが2,000ドルだったことを示しています。私はそれについて議論するつもりはありません。
 朴:金額が何であれ、そうです。 支払いを受け取りました。
 フレイザー:あなたは3月22日、KCFFに入った最初の年に、1965年の1年間で1,032ドルの給料を受け取ったと証言しました。あなたは2,000ドルの一時金年金を受け取っていたようです。1965年には、明らかにもっと生活できるお金があったはずです。追加のお金はどこで手に入れましたか?

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 朴は以下のように反論をする(一部内容は3月22日証言と重複)。

 朴:原則として、私たちはワシントンでの外交官としてのキャリアの間に、最低限の貯蓄をしていました。 妻はあちこちにヘソクリを持っていました。多すぎるわけではありませんが、ある程度の貯金はありました。正確にどれくらいかは分かりませんが、多少はあったことは確かです。
 フレイザー:1965年には他にどのような収入源がありましたか?
 朴:第一に節約。 第二に教会の兄弟姉妹の助けです。
 フレイザー:覚えていますか? およそどのくらいの貯蓄がありましたか?
 朴:覚えていません 。
 フレイザー:1965年4月の宣誓声明では、リッグス国立銀行に500ドルを持っていると述べたようです。あなたの貯金はそれくらいでしたか?
 朴:おそらくリッグス国立[銀行]には500ドル持っていたと思います。だからといって、貯金がないわけではありません。
 フレイザー:それについて話しましょう。 他にどこに貯金がありましたか?
 朴:私は知りません。思い出せません。ですが、おそらく私の妻には、おそらく4年間で貯めた現金貯蓄があったと思われます。
 フレイザー:銀行に?
 朴:いいえ。
 フレイザー:貯蓄貸付組合では?
 朴:いいえ。
 フレイザー:いかなる種類の[金融]機関にも?
 朴:通常、私たちは現金で保管していますが、妻もそうです。
 フレイザー:現金で?
 朴:はい。
 フレイザー:自宅に?
 朴:はい。
 フレイザー:資産または預金に関して、リッグス国立銀行の口座以外の、他の金融機関に口座をお持ちですか? 他の[金融]機関にもありましたか?
 朴:全く覚えがありません。
 フレイザー:いずれも?
 朴:はい。
 フレイザー:ただ知らないだけですか? 銀行口座を10個持っていたかもしれませんよ。
 朴:私は銀行口座を10個も持っていないことを知っています。私が主に使用した口座はリッグス国立[銀行]でした。
 フレイザー:リッグス国立[銀行]を覚えていますか?
 朴:その通りです。
 フレイザー:他に何か[金融]機関を覚えていますか?
 朴:完全に確信を持つことはできませんが、おそらくそうではないと思います。他の口座は開設していません。
 フレイザー:500ドル。今思い出せる限り、少なくとも他の金融機関に口座を持っていませんでした。そうですか?
 朴:はい、持っていないと思います。
 フレイザー:あなたの奥さんもそうでしたね?
 朴:私の妻が口座を持っていたか、と?
 フレイザー:彼女は口座を持っていませんでした。あなたはすでにその質問に答えています。そのときあなたが持っていたのは、リッグスの口座にある500ドルと、自宅にあった現金の一部でした。 それは公正な発言ですか?
 朴:はい 。
 フレイザー:それ以上は何もありませんか?
 朴:はい、覚えていません。
 フレイザー:その年にあなたが必要とした追加のお金は、教会の兄弟たちから出たということでしょうか?
 朴:私は考えられる財源がふたつあると言いました。ひとつは、その時点で私たちと妻が持っていたかもしれない貯蓄の種類です。第二に、おそらく私たちの教会の兄弟姉妹からの、さまざまな方法での何らかの形の援助です。
 フレイザー:これらは寄付または融資の形になりますか?
 朴:私たちはその形式的なことについては話しませんでした。
 フレイザー:もらったお金を返したことはありますか?
 朴:融資があった場合は返済しました。それが借金であることが明らかであれば、私は間違いなく返済しました。
 フレイザー:1965年に生活のために教会の兄弟たちから得たお金は、ほとんどが融資でしたか、それとも寄付でしたか?
 朴:先ほども言いましたが、私たちはそのような手続きを経ていません。その時に私たちと一緒に滞在した人も何人かいます。 たとえ収入があったとしても、彼らは生活に貢献しました。私たちは一つの家族であり、幸せであり、お互いを信頼していました。信頼、それこそが信頼の言葉です。
 委員長、私はあなたが何をしようとしているのかわかりますが、理解を深めてもらうために、私に秘密の使命があり、その対価として、私が現金でも何でも、秘密の[資金]源から、多額のお金を報酬を貰っていたなら、委員長、私は、1965年、1966年、1967年のあのひどい苦しみを家族と一緒に経験するつもりはありません。妻も、年長の子供たちでさえ、私たちが肉体的にどれほどひどい生活を送っていたかを知っています。私たちは、今話している同じ家の地下室を事実上、郵送ショップに変えました。私たちは事実上、土日もなしに、数百万通のメールを押し出しました。それは楽な人生ではありませんでした。 ある日、元韓国大使が私の家に来て、私たちが何をしているのかを見ました。それから彼は文字通り涙を流しながら、「あなたがこんなことをしているとは知らなかった。」とおっしゃいました。もし私が自分の生活のために外に出てお金を稼ぐなら、それが最も簡単だったでしょうに。私の妻は稼ぐことができます。私も稼げます。私の長女も稼ぐことができます。しかし、私たちはKCFFの大義を追い求めているのです。
 私の結論はこうです。もし私自身をサポートするだけでなく、政府のためにKCFFを立ち上げるための一時金や融資が私に来てくれたら、私はこれほど悲惨な時期を経験することはなかったでしょう。この部屋にいても、私が当時どのような生活を送っていたかを証言できる人はいないでしょう。
 フレイザー:中佐、あなたのコメントは役に立つと思います。もしあなたがあまりお金を持っていなかったら、あなたはあまりお金を持っていません。わかっています。どういう状況だったのか調べ中です。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 KCFF、あるいは朴の生活にKCIAの資金が流れていたのではないか、という話であるが、この手の話は筋が悪い。なぜならKCFFのバックに統一教会がいるからだ。朴の反論のように信者からのカンパ(寄付)に、KCIAの資金が紛れ込んでしまえば、わからなくなってしまう。

 フレイザー:1965年1月に韓国から帰国したとき、米国に家を所有していましたか?
 朴:韓国から帰ってきたとき?
 フレイザー:はい。
 朴:1965年1月?
 フレイザー:はい。あなたは家を持っていましたか?
 朴:はい。まさに私が外交官在職中に購入した家です。
 フレイザー:それがあなたが住み続けた家ですか?
 朴:それは正しいです。
 フレイザー:その後、1968年5月にバージニア州マクリーンに家を購入されましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:83,000ドルで?
 朴:それはほぼ正しいと思います。
 フレイザー:新しい家の購入費を工面するために所有していた家を売りましたか?
 朴:私はそうではないと述べました。それについてはすでにアンダーソン氏に説明しました。
 フレイザー:言い換えれば、古い家をそのままにして、新しい家を83,000ドルで購入したということですか?

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 3月22日の証言で、1968年における朴のKCFF理事の給与は16,000ドル弱であった。果たして5倍もの価格の家の資金をどうやって捻出したのか?

 朴:実際に家を買ったわけではありません。私は家を建てました。
 フレイザー:あなたがそれを建てたのですか?
 朴:はい。つまり、少しずつ家を建てていきました。最初に土地を購入し、その後最初の住宅ローン(50,000ドル)を確保し、1968年から1969年までの間、一時金を支払う必要がなく、一定期間に分けて家を建てました。最初に土地を買って、少しずつ建てていきました。
 フレイザー:さて、当時あなたは2軒の家を所有しており、1~2年かけてさらに30,000ドルの現金を手に入れたようです。それはどこから来ましたか?
 朴:答えはとても簡単です。……1968年に私が給与で稼いだ所得税申告書によると、その年の収入は18,200ドルでした。また、私の所得税申告書には、モダン・メーリング・サービスが示されていました。私は小規模な郵便サービスを利用しており、家族が協力して郵便を行うことで収入を得ていると言いました。私たちには機械もあり、ノウハウもあります。それで私たちはそうしました。その年の収入は 1,055.47ドルでした。前年、モダン・メーリング・サービスによりIRSに4,330.46ドルの収入が報告されました。1968年のその年、私があの家を建てたその年に、私はさまざまな金融機関から合計 34,441.53ドルのお金を借りました。
 言い換えれば、私が言いたいのは、定期収入または家族の副業からの収入、モダン・メーリング・サービス、ローンとローンの返済、その年に私の口座に入ってきたお金の合計は 53,697 ドルです。それは私の預金伝票によって証明されました。
 フレイザー:ということは、25,000ドルの不労所得から得なければならなかったということですか? その年のローン収入はいくらでしたか?
 朴:34,431.53ドルです。
 フレイザー:その借金の出所は――
 朴:ローンとローンの返済。 それはおそらく数十の異なる収入源から来ており、少なくともそのように見えます。
 フレイザー:異なる収入源は何種類ありますか?
 朴:たとえば、リッグス国立銀行のベネフィシャル・ファイナンス・ローンからお金を借りました。
 フレイザー:数字、合計を教えてください。
 ブレイ:およそ20の収入源です。
 フレイザー:そのうち通常の金融機関は何社でしたか?
 朴:ほとんどです。通常の合法的な場所であるベネフィシャル・ファイナンス、およびリッグス国立銀行、ユニオン・トラスト、ユニオン・トラスト、およびモダン・メーリング・サービスからも提供されます。前年の収益がその年の口座に振り込まれたことがわかります。 住宅産業ローン。これは 7,000ドルの2番目の信託ローンです。 その後、ローンをいくらか返済する予定です。 また、知り合いから借金もあります。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 朴の話の内容からすると、「モダン・メーリング・サービス」とはダイレクトメール会社と考えられる(同業種で類似の名前の会社が存在するが、同一であるかは不明)。そこの発送業務を副業としてやっていたものと思われる。

◎黄金の国・日本

 フレイザー:1972年、あなたの収入はいくらでしたか?
 朴:その年の記録によると、KCFFは税引き前総額32,500ドルの給与を支払いました。しかし、私はここに所得税申告書を持っていません。
 フレイザー:では、その年に他にどのような収入を報告したかはわかりませんか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:その年の収入源はKCFFと郵便サービスのふたつだけでした。そうですか?
 朴:それが主なところです。その年に私が報告した収入がどれほど少なかったかは、今では忘れています。わかりません。
 フレイザー:さて、1972年の12月、あなたは米国に入国する際に、米国通貨で10,000ドルを持参し、シアトルで米国財務省のフォームに記入したようです。10,000ドルをどこで手に入れましたか?
 朴:私がそれを持ち込んだ具体例は覚えていませんが、私が通貨または金融商品の国際輸送に関する報告書について報告したという単なる事実、私がこのように公然と報告したという単なる事実だけでも、収入源が非常に健全で潔白であることがわかるでしょう。
 私には隠すものは何もありませんでした。それは私に隠すものが何もなかったことを示しています。 私は韓国からお金を持ち出したことがないので、その出所が日本にあることは知っています。それは確かです。
 フレイザー:それがどこから来たのか、私が知りたいと思っているのはそれだけです、中佐。日本から来たのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:日本の誰から?
 朴:私にはお金を貸している友人がいますが、今回のことは一度きりではないので、特にこのときのことは覚えていません。
 フレイザー:あなたは日本のこの友人から10,000ドル借りましたか?
 朴:相互信頼のもとに運営しておりますが、融資という形になります。
 フレイザー:これは現金でしたか?
 朴:はい。
 フレイザー:銀行手形ではなかったのですか?
 朴:はい、現金だと思います。だからこそ私は現金を報告したのです。はい、現金です。
 フレイザー:日本の友達は誰ですか?
 朴:弁護士を通じて彼のプライバシーを保証した上で、その名前を公表します。
 フレイザー:1972年12月に10,000ドルを持ち込んだと報告して以来、その時から現在まで、どのくらいの頻度でこの人物からそのような融資を受けましたか?
 朴:どのくらいの頻度で? どのくらいの頻度でかわかりません。
 フレイザー:1972年12月から現在まで、あなたはこの人物から1,000ドルを超える多額の融資をどのくらいの頻度で受けましたか? 1972年以来、1件あたり1,000ドルを超える可能性がある融資を彼からどのくらいの頻度で受けましたか?
 朴:何回目か分かりません。
 フレイザー:10倍以上あったと思いますか?
 朴:わかりません、委員長。
 フレイザー:中佐、何か考えがあるはずです。これはここ3、4年の話です。あなたが知らないだけだとおっしゃりたいのですか? あなたは何もわかってないのですか?

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 1万ドルは当時の彼の年収の約3分の1であるが、そうした大金を借りた記憶も覚えていないというのか。
 だが、この位で驚いちゃいけない。

 朴:長年にわたる私の熱望は、私たちの教会のためにフルタイムで福音宣教に携わることでした。しかし、ご存知のとおり、私には家族の責任があり、6人の子供がおり、彼らを養わなければなりません。また、韓国文化自由財団から合法的に給料をもらっています。しかし、私はもう何年もKCFFの責任を負っている時間とエネルギーを制限することなく、福音伝道ツアーにもっと本格的に参加しようとしているので、KCFFから給料をもらおうと考えていました。
 私はKCFFから定期的な給与を受け取りたくありませんが、地域社会への奉仕として、また財団の目的と目的への奉仕としてKCFFに貢献したいと考えています。ただし、そのためには、ご存知のとおり、収入が必要です。そこで私は個人的な投資について考えています。私を解放し、経済的責任の重荷から解放して家族が生活を続けられるように、その間特に福音宣教の使命のために自由に続けられるような、何らかの投資を考えています。 私が国中、世界中に大規模な転勤を始めたとき、その必要性が不可欠になりました。1971年から1972年にかけて、私はいくつかの中小企業への投資を検討し、実際に実行しました。
 1971年から1972年にかけて、私はいくつかの中小企業への投資を検討し、実際に実行しました。
 フレイザー:いくつかの何ですって?
 朴:中小企業、個人事業。私は日本にいるこの友人に融資の形で初期資金を相談しました。 1972年に私は彼から75,000ドルを借りました。それは事業に対する一種の投資でした。どの部分をこの国に持ち込んでどの部分を受け取ったのか、はっきりと思い出せませんでした。この国で受け取った覚えのあるものもあれば、日本から持ち込んだものもあります。そしてそのお金を、私が考えていた事業に実際に投資しました。残念ながら、その事業はあまりうまくいきませんでしたが、それが1972年からの事実でした。したがって、その全体像から、私が日本から持ち込んだ12月2日という特定の日のこの10,000ドルは、おそらく私が彼から借りた全額75,000ドルの一部であることがわかります。
 フレイザー:あなたが投資していた事業は何ですか?
 朴:はい。私は投資して、ここバージニア北部に小さなレコーディング・スタジオを始めました。それは私の純粋で個人的な投資でした。
 フレイザー:それはどこにありましたか?
 朴:それはバージニア州メリフィールドにありました、リーハイウェイ沿いの。
 フレイザー:営業したんですか?
 朴:はい。
 フレイザー:いつ?
 朴:その事業は、たとえばおよそ5年間にわたって運営されてきました。
 フレイザー:いつから営業を始めましたか?
 朴:私の記録を入手したら、より正確にお話しできます。私はそれらの記録を持ってきませんでしたが、1972年頃だったと思います。繰り返しますが、私が間違っている場合は、正しい日付をここに戻ってくることができます。
 フレイザー:あなたの記憶は1972年ですか?
 朴:はい。
 フレイザー:いつだったか覚えていますか? 序盤か後半か?
 朴:いいえ。[記録を]お持ちいたします。
 フレイザー:これらの借金はこの友人からのものですか? 75,000ドルは融資でしたか?
 朴:はい。その後、私たちは口頭で合意しました。先ほども言いましたが、私たちは最大限の信頼を置いて運営しています。その後、非常に重要なことになったので記録に残すべきだということで記録にしました。
 フレイザー:私の理解では、1972年頃から数年間、時々あなたは米国にお金を持ち込んでいて、そのお金は日本のこの友人が作った融資の一部だったのでしょうか?
 朴:そうです。お金は融資という形で入ってきましたが、彼と私の間ではその理解は正しかったです。
 フレイザー:さて、1972年12月に署名された書類に関して、あなたはリトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーの社長として署名したことに気づきました。
 朴:はい。
 フレイザー:それは、そのお金がリトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーから得られたものであるか、あるいはリトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーのために使用されたことを示しているでしょうか?
 朴:そうですね、確かにそうではないのは、私がKCFFの会長として自分の名前を署名したこともありましたが、私がリトル・エンジェルスの社長としてその肩書を持っているときは、KCFFの綴りが非常に長かったので、しばらくどちらかの肩書きを使用していました。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 7万5000ドルの融資を口約束で! ビジネスマンとして失格であろう。

 フレイザー:さて、中佐、この融資の大部分、75,000ドルはどうやって受け取ったのですか? どのような形で?
 朴:現金です。
 フレイザー:毎回現金取引だったのですか?
 朴:はい 。
 フレイザー:それぞれの場合において、日本で現金を物理的に受け取りましたか?
 朴:いいえ、どちらの場合も起こりました。日本で受け取って自分で持ち込むこともあれば、この国でその人から受け取ることもあります。 彼はよく旅行し、頻繁にこの国に来ます。したがって、2つの方法があります。
 フレイザー:日本からお金を持ち込んだ場合、いずれの場合もこれらのフォームのいずれかに記入しましたか?
 朴:私に関する限り、私はオープンでありたいと思っているので、他にお金を持ち込んだ際にそれを報告しなかった覚えはありません。 つまり、ご覧のとおり、私はこのような報告をする習慣があります。 したがって、報告しない理由はありません。 さらに、私が持ち込んだお金は5,000ドル未満かもしれませんが、法律により登録は必要ありません。 そういうことは何度もあるかもしれません。 ご存知のように、私は5,000ドル未満のお金を持ってきました。 法律により、登録する必要はありませんでした。それだけです。
 フレイザー:さて、中佐、あなたはこれらの金額の領収書を記録した帳簿を付けていましたか?
 朴:いいえ、私はしていません 。
 フレイザー:この現金を手に入れて自分の事業に投資したにもかかわらず、財務記録を一切残さなかったということですか?
 朴:はい、その事業にはーー
 フレイザー:私は75,000ドルのことを話しています。
 朴:いいえ、これは個人的融資、個人的なものです。
 フレイザー:それはわかりますが、そのお金はこの事業に使われたものですよね?
 朴:ご存知のとおり、私はその事業にどれだけの資金が投入されたかを明確に記録しています。おそらくお金は別の目的に使われたのでしょう。
 フレイザー:75,000ドルの融資の一部を受け取るたびに、帳簿に記入しましたか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:75,000ドルのうちいくらを受け取ったのかをどのように追跡しましたか?
 朴:なんとかなりました。お金のやり取りはそれほど多くありません。 私たちはお金を保管し、必要になったときにお金を使います。ベンチャー事業が始まると、私たちはそのお金を銀行に預けて事業を始めます。もちろん、事業に投入されたすべてのお金は小切手の形で送られました。私たちは銀行に預金を預けます。事業に関する限り、私は100%明確な記録と監査を行っています。
 フレイザー:おそらくここでヒントを与えていただいたのではないでしょうか。総額75,000ドルのこの現金を受け取るたびに、それを自分の銀行口座に入金しましたか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:どこに置きましたか?
 朴:自宅に保管していました。
 フレイザー:あなたは大金を家に保管する習慣がありましたか?
 朴:はい。ご存知のように、委員長、私たちの習慣をいくつか申し上げさせていただきたいです。もしかしたらそれは悪い習慣なのかもしれません。
 私は韓国人です。あなたはパンとバターを食べますが、私たちは米とキムチを食べます。私たちの文化では小切手は決して使用しません。私たちの国でお金が発明されて以来、私たちは現金で生活してきました。おそらく韓国と日本、そしてさらに言えば中国の国民の99.9パーセントは、小切手を書いたことはおろか、小切手を一度も見たことがないでしょう。つまり、現金はある意味自然な生活様式なのです。韓国と日本では、毎日数百万ドル規模の現金取引が行われています。つまり、日本でのお金とは、私たちが日本で使用し、現金で持ち込んだり、現金で受け取ったお金のことを指します。まあ、それは合法だと思いますが、現金を使ってはいけないとか、お金を銀行に預けなければならないという法律はありません 。 しかし、アメリカ人は、現金取引について話したり聞いたりすると、すぐに何らかの状況を疑うのです。 私たちはそうではありません。 私たち東洋人はそうではありません。 この国の多くの韓国人、中国人、日本人は、貯金の一部をマットレスに入れています。 私はマットレスではなく、通常の生活様式として家の中で現金を使ってこれを行ってきました。 私たちの歴史を、つまり文化的に、一夜にして変えることはできません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 出納帳もつけていない。あまりにも金銭管理が雑ではないのか?

 朴:75,000ドルも[いっときに]私に届くわけではありません。私が言いたいのは、ある時期に別のかたちでやって来て、その年の総額は75,000ドルに達したということです。
 フレイザー:中佐、75,000ドルの融資を補うのに何回の個別の現金取引が関係していたのでしょうか?
 朴:申し訳ありませんが、委員長、はっきりとした記憶がありません。
 フレイザー:彼があなたに75,000ドルの融資を与えることに同意した後、あなたに与えた最初の金額はいくらですか?
 朴:ただ思い出せません。
 フレイザー:3分の1だったのか、半分だったのか。
 朴:申し訳ありませんが、思い出せません。
 フレイザー:中佐、現金の取り扱いに関してはいかなる種類の記録も残さない習慣でもあるのでしょうか?
 朴:私はどちらかというとずぼらなほうの人間かもしれません。 おそらく妻の方が私より優れているので、この国でも私は生き残ることができます。 彼女は今も家計簿をつけています。
 フレイザー:75,000ドルを手に入れたとどうやってわかりますか?
 朴:なぜなら、彼と私の間でそのような理解に達することができたからです。
 フレイザー:一度にすべてを受け取ったわけではありません。75,000ドルを手に入れたとどうやってわかりますか?
 朴:私たちはそのように理解していました。
 フレイザー:あなたは彼が75,000ドルをくれるだろうと理解していた。
 朴:はい。
 フレイザー:でも、彼はそれを一度にあなたに与えたわけではありませんか?
 朴:その通りです。
 フレイザー:彼がそれをあなたにくれたことがどうしてわかりますか?
 朴:それが私の理解です。
 フレイザー:どうやって?
 朴:それが私の覚えていることです。
 フレイザー:何を覚えていますか?
 朴:それくらいの金額で、一度には入ってこないということです。
 フレイザー:では、75,000ドルを手に入れたとどうやってわかりますか?
 朴:彼と私で、彼と私はそれが合意であると理解しました。 そこで私たちは後に書面による合意を締結しました。
 フレイザー:書面で?
 朴:はい。
 フレイザー:それが書くことになったのはいつですか?
 朴:最近です。
 フレイザー:いつ?
 朴:おそらくここ2、3か月以内のことでしょう。
 フレイザー:それを書くことにしたのはいつですか?
 朴:最近です。
 フレイザー:いつ?
 朴:おそらくここ2、3か月以内のことでしょう。
 フレイザー:過去2か月以内に、これを書くことに変えましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:大佐、なぜそれを5年後に書くことにしたのです?
 朴:まあ、何もしないよりはマシです。
 フレイザー:何を書くことにしましたか?
 朴:小さな非常に単純な約束手形の形式です。
 フレイザー:あなたから彼へ?
 朴:本当はお金を返してほしかったのは彼ですよね? それで彼は了解を取り付け、草稿を作って私に送り、私はそれを確認しました。それで正しかったので、私はそれに署名して彼に送りました。
 フレイザー:あなたは彼に75,000ドルを返済することに同意する約束手形に署名しましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:あなたは、彼が支払いの最後に最高75,000ドルまで支払ったとあなたに話したという事実を信頼しましたか?
 朴:もう一つ、委員長。私達は75,000ドルを費やしました。これも非常に良い証拠です。私たちはそのお金を持っていたのです。そのお金がなければ、私たちは使うことができません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 5年も放置しておいて、聴聞会が始まる2、3か月前に書類を書くなど、彼らの行動は明らかに異様であるが、日本の貸主が渡した金が信者からの献金だったならば(不快ではあるが)合点がいく。彼らにとって信者からの献金はいわば金の成る木だったのだ。だから、フロント組織を含めた統一教会内部では、一度吸い上げられた献金を幹部間でどのような授受が行っても必要分さえあればさほど気にはしないが、一方で、税金など社会に見せる部分は厳密にし、怪しまれないようにする。そんな資金の使い方をしていたのではないだろうか。

 フレイザー:大佐、1975年8月、私たちがすでに参照したこれらの書類のひとつには、あなたが 31,000ドルを持ち込んだことが示されています。 それはあなたがディプロマット・ナショナル銀行の株式を75,000ドル相当購入する直前のことでした。あなたが為替報告書に記載したお金の一部は、ディプロマット・ナショナル銀行のあなたの株式を購入するために使用されましたか?
 朴:この特定の送金がディプロマット・ナショナル銀行と直接関係していたのかどうかはわかりません。しかし、私はディプロマット・ナショナル銀行株を購入しています。はい 。
 フレイザー:75,000ドルの価値はありますか?
 朴:はい。
 フレイザー:その取引のお金はどこから調達しましたか?
 朴:お金を借りました。
 フレイザー:今回はどこでお金を借りましたか?
 朴:同じ人物からです。
 フレイザー:それは彼から合計150,000ドルを借りたということでしょうか?
 朴:もっとです、委員長。
 フレイザー:中佐、あなたが過去2か月以内に署名したこの約束手形はいくらですか?
 朴:議長、私は彼と3枚の覚書に署名しました。
 フレイザー:覚書が3枚?
 朴:はい。
 フレイザー:それぞれいくらでしたか?
 朴:最初のものは75,000ドル。2つ目は日本語で1,800万円です。3番目は90,000ドルです。
 フレイザー:3つ目はいくらですか?
 朴:90,000ドル。それが私がディプロマット・ナショナル銀行の株を買った株です。
 フレイザー:9万ドルの融資を使いましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:これらの覚書はすべて同じ日付の日付ですか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:日付を教えてください。75,000ドル紙幣の日付は何ですか?
 朴:1972年2月15日。2番目は1972年10月9日、日本円です。3番目は1974年11月19日です。
 フレイザー:さて、実際にこれらのメモに実際に署名したのはいつですか?
 朴:私たちは口頭で合意しています。
 フレイザー:わかりました 。 これらのメモに実際に物理的に署名したのはいつですか?
 朴:私は覚えていません 。
 フレイザー:おおよそで。
 朴:おそらく1月のいずれかの時期、おそらく1月か2月のいずれかでしょう。
 フレイザー:今年の?
 朴:はい。
 フレイザー:3枚の覚書すべてに署名しましたか?
 朴:はい 。
 フレイザー:あなたは同時に署名しましたか?
 朴:そのとおりです。
 フレイザー:ディプロマット・ナショナル銀行の株式を購入する資金となったのは、1974年11月の90,000ドルの融資だとおっしゃっていますか?
 朴:そのとおりです。
 フレイザー:1回の現金取引で90,000ドルを手に入れましたか?
 朴:銀行問題が私の目に留まる前の1974年にそれが起こったかどうかは覚えていません。したがって、複数回の分割払いが累積される可能性があります。先ほども言いましたが、私は家族を養うためにある程度の収入を得て、自由に福音伝道の目的でツアーに行けるような、ある種の事業投資を楽しみにしていました。
 フレイザー:90,000ドルを受け取った時点では、その可能性を認識していなかった、あるいは少なくともディプロマット・ナショナル銀行の株を購入する決断をしなかった、そうですね?
 朴:はい。お金はそこにありました。
 フレイザー:つまり、具体的な投資を考えずにお金を借りたということですが、本当ですか?
 朴:はい。私は何か良い投資先を探していました。
 フレイザー:やがて投資先が見つかることを期待してお金を手に入れたのですか?
 朴:そうです。
 フレイザー:お金を手に入れたとき、それを物理的にどこに置きましたか?
 朴:自宅に保管していました。
 フレイザー:あなたの家で?
 朴:はい。
 フレイザー:ディプロマット・ナショナル銀行の株を購入したとき、その株の代金はどのように支払いましたか?
 朴:私はそれを銀行に預け、小切手を渡しました。
 フレイザー:それはどこの銀行でしたか?
 朴:私のアカウントはリッグス国立[銀行]だったと思います。
 フレイザー:リッグス?
 朴:はい。
 フレイザー:その時、他に銀行口座をお持ちでしたか?
 朴:いいえ。私は覚えていません。
 フレイザー:それで中佐、あなたは株を買うまでそのお金を家に保管していたんですね。
 朴:はい。
 フレイザー:残りの15,000ドルはどうなさいましたか?
 朴:自宅で人に貸しました。
 フレイザー:あなたの家にどなたかいらっしゃいますか?
 朴:はい。
 フレイザー:1800万円の融資は何に使われたのでしょうか?
 朴:それは借金です。
 フレイザー:それは何のための借金ですか?
 朴:それは私が借りたお金です。
 フレイザー:何の目的で?
 朴:スタジオへの投資のためです。
 フレイザー:1800万円の融資は1972年10月9日ですか?
 朴:はい 。ここでも1972年から今日に至るまでさまざまな用途が存在します。先ほども述べたように、私はスタジオに一括投資をしましたが、その前に、まあ、さまざまな支出の使い道がありました。
 フレイザー:それは58,000ドルで、主にスタジオ事業への投資でしたね?
 朴:そのとおりです。
 フレイザー:1972年2月15日の75,000ドルの融資は何に使いましたか?
 朴:ご承知のとおり、数年間、私はさまざまな機関、金融機関から多額のお金を借りました。私は多くの金融機関を清算し、そのお金で生活を楽にするためにさまざまなことをしてもらいたかったのです。 融資を一本化したいと思いました。
 フレイザー:では、1972年2月の75,000ドルの融資を、他の未払い融資の返済に使用したということでしょうか?
 朴:はい。スタジオに行った分もあると思います。
 フレイザー:1972年2月時点で、未払いの融資はいくらありましたか? その時点で未払いの融資はいくらありましたか?
 朴:私は存じあげません。
 フレイザー:おおよそで。中佐、聞かせてください。あなたは1972年2月に日本のこの友人から 75,000ドルを借りました。あなたにはいつか彼に返済する義務がありましたか?
 朴:そのとおりです。
 フレイザー:それがあなたが彼に負った借金であることは、あなたの内心では明らかでしたか?
 朴:無論です。
 フレイザー:今年の後半に住宅ローン会社からの融資を申請する際に、そのような義務について何も言及しなかったのはなぜですか? 彼らはフォーム上で具体的にその質問をしましたよね?
 朴:載せ損ねたかもしれませんが、隠すつもりは全くありません。それに、これは金融機関からのものではありません。私には実際の義務や利害、あるいはそのようなものはありません。
 フレイザー:質問を読んでみましょう。そこには「企業向けか個人向けかにかかわらず、すべての借金を、支払うべき金額と未払いの金額とともにリストアップしてください」と書かれています。あなたが私たちに今説明した負債は、あなたがリストしたすべての負債を超えています。ローン会社に誤解を与えましたか?
 朴:いいえ、意図的に誰かを誤解させるつもりはありません。しかし、それは経済的な義務でした。私は、この種の取り決めが信頼の下で行われ、私が自分自身を確立するのを助けるために非常に良い気分と保証を持っています。ですから、もちろんそのお金は私が支払います。私は支払います。
 その間、その日に支払わなければ、10年後に彼が来て私の家や銀行口座を乗っ取ってしまうようなお金ではありません。そんなことはありません。私たちは決してそのようには運営していません。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 朴にローン会社を騙す意図は本当になかったのだろう。なぜなら、7万5,000ドルは借りた金ではなく、信者から絞り取った献金であることを十分承知していたからだ。したがって、朴が騙そうとしているとしたら、それは小委員会だ。

 フレイザー:最終的に合計223,000ドルになるさまざまな金額を受け取ったのはいつですか? それらのさまざまな融資の具体的な支払いをいつ受け取ったかについて、いかなる種類の記録もありませんか?
 朴:たとえば、私が借りた日本のお金1,800万円をリッグス国立銀行に行き、米ドルに交換しました。 はい、その記録はあります。
 フレイザー:私はそれにとても興味があります、中佐。それは一回で交換しましたか?
 朴:一度に交換しました。
 フレイザー:あなたはそれを一度に手に入れましたが、その1,800万円は物理的にどこから手に入れたのですか?
 朴:日本で受け取ったと思います。
 フレイザー:どこで?
 朴:おそらく東京で。
 フレイザー:この友人から?
 朴:はい 。
 フレイザー:一度での取引でですか?
 朴:はい。そう思います 。
 フレイザー:アメリカに持ち込んだんですか?
 朴:期間中にやってきました。
 フレイザー:いいえ、中佐。東京での一回の取引で1,800万円を手に入れたとおっしゃいましたね。
 朴:私が直接手に入れたわけではありませんが、友人が手配してくれました。言い換えれば、一回の取引で、私は物理的に1,800万を受け取ったわけではありません。いいえ、私はそんなことを言っているのではありません。
 フレイザー:何をおっしゃっているのですか?
 朴:私が申し上げているのは、それは一回の取引、1枚の書類だったということです。
 フレイザー:中佐、東京の友達から一度に1,800万円もらいましたか?
 朴:いいえ、私はしませんでした。
 フレイザー:一部分は得られましたか?
 朴:いいえ、その友人がこの国にそれを持ち込むのを手伝ってくれました。
 フレイザー:もう一度言ってください。
 朴:そのお金を日本で貸し借りすることが合意されましたが、お金はある期間中にこの国へやって来ました。
 フレイザー:どの期間中に?
 朴:人々のグループが来ていました。彼らはそのお金を持ってきたと思います。
 フレイザー:1800万円を?
 朴:はい。
 朴:ある人々の団体が来ていました。彼らがそのお金を持ってきたと思います。
 フレイザー:1800万円を?
 朴:はい。
 フレイザー:人々の団体がそれをあなたにもたらしましたか? 彼らは団体で来たのですか?
 朴:はい。
 フレイザー:一度に。それで、それはすべて一括であなたに渡ったのですか?
 朴:はい、それが私の記憶です。
 フレイザー:ということは、一定の期間中ではないということですか?
 朴:すいません。
 フレイザー:では、それは一定期間にわたって発生しなかったのでしょうか? それはある例で起こりましたか?
 朴:私がこのお金で借りることに同意したとき、それから私に届くまでに期間があったと言っているのです。
 フレイザー:しかし、それはいっぺんに持ち込まれましたか?
 朴:はい。
 フレイザー:誰がそれをあなたに持ってきましたか?
 朴:団体旅行、リトル・エンジェルス社の旅行ツアーです。それは1972年のことでした。
 フレイザー:中佐、それを持ってきた団体は何ですか?
 朴:ツアー会社です。
 フレイザー:リトル・エンジェルス・ツアー会社?
 朴:はい。
 フレイザー:誰があなたに直接届けたのですか?
 朴:会社の監督が。
 フレイザー:監督?
 朴:はい。
 フレイザー:それはどなたですか?
 朴:名前は思い出せません。毎回監督がいたので名前は探し出せます。
 フレイザー:1,800万円は全額自分で持ってきたのですか?
 朴:彼がどうやって持ってきたのかわかりません。
 フレイザー:彼がそれをあなたに届けたのですね?
 朴:はい、彼は届けました。
 フレイザー:監督は(日本の友人から)そのお金を受け取る権限を持っていました。彼は確かにお金を受け取りました。 彼はそれを米国であなたに持ってきて、あなたに届けました、そうですか?
 朴:はい 。しかし、それがどのようにして入ってきたのかはわかりません。
 フレイザー:どういう意味ですか、どうやって入ってきたのですか?
 朴:お金を分割したのか、多くの人が個人で持ち込んだのかはわかりません。
 フレイザー:中佐、なぜ彼らはお金を団体のメンバーに分けるのですか?
 朴:彼らがやったかどうかは分かりません。わかりません。
 フレイザー:なぜその可能性が頭に入ってくるのでしょうか?
 朴:その人物が報告したかどうかは存じませんし、私にもわかりません。おそらく彼はそれを報告しようと、報告しまいと、多くの人がやって来たでしょう。これだけの人が来ているのだから大丈夫だと考えていたと彼は考えられます。
 フレイザー:言い換えれば、彼が会社のメンバー間でそれを分配した可能性があることを示唆しているのですか?
 朴:私は知りません。私の答えは「分かりません」です。
 フレイザー:あなたが知る限りでは、彼はそれを持ち込んであなたに渡しました。彼がそれを報告したかどうか承知してらっしゃいますか?
 朴:私は存じません。
 フレイザー:監督とはどのくらい前から知り合いですか?
 朴:監督もたくさんいました。
 フレイザー:しかし、この監督は、中佐。
 朴:私はこの特定の監督を存じ上げません。
 フレイザー:彼をご存じないのですか?
 朴:しかし、私はそれを知ることはできます。
 フレイザー:彼に会ったことはないのですか?
 朴:無論、すべての監督はチームとしてプロジェクトに取り組んでいたので、彼に会っています。
 フレイザー:彼がリトル・エンジェルスの監督をどれくらい務めたか知っていますか?
 朴:長年。
 フレイザー:幾年?
 朴:我々は——
 フレイザー:何年携わったのですか、中佐?
 朴:これは私にはわかりませんが、その年に特定のチームに所属していたものです。 調べなければなりません。
 フレイザー:それが誰なのかさえわかりませんか?
 朴:いいえ、ご存知のように、ご存知ないかもしれませんが、過去10年間でリトル・エンジェルスは15チーム、この国に参入しました。毎回違う監督が担当することもあれば、同じ監督が担当することもあります。
 フレイザー:中佐、あなたはこの監督へ、あなたの代わりにお金を受け取る権限を与えたと思います。それで、あなたはそれが誰であるか知っていたはずですか?
 朴:はい 。 私は日本のこの人にリトル・エンジェルスを率いるこの人を与えました。私がリトル・エンジェルスのグループと言ったのはそのためです。
 フレイザー:そのチームは日本で公演しましたか?
 朴:そのチームが日本で公演を行ったかどうかは知りません。私たちは多くのチームを運営しています。
 フレイザー:他のお金は取締役によって持ち込まれたのでしょうか?
 朴:いいえ、それが唯一の機会です。
 フレイザー:あなたは、これらの書類のうちふたつで、1件の場合、韓国国立民族バレエ団に代わって資金が持ち込まれた、または彼らが資金源であることを示しました。もう一方のフォームでは、日本にいる韓国のリトル・エンジェルスを代表してお金を受け取ったと表明しました。あなたがリトル・エンジェルスのために通貨を運んだのは、そのような取引だけでしたか?
 朴:私が 5,000ドル以上を持って来るたびにそれを報告したので、そう推測します。
 フレイザー:中佐、1975年8月の通貨報告書を見てみると、この報告書は韓国国立民族バレエ団のものだと書かれています。それはリトル・エンジェルスと同じ意味ですか?
 朴:はい。
 フレイザー:指定された住所は、ワシントンD.C.、コネチカット・アヴェニューN.W.1028番地です。
 朴:はい。
 フレイザー:それは、そのお金がここワシントンD.C.のリトル・エンジェルスのためのものだったということを示しているでしょう。そうですか?
 朴:その住所を教えました、はい。
 フレイザー:リトル・エンジェルスはここに銀行口座を持っていましたか?
 朴:いいえ。
 フレイザー:彼らは自分の銀行口座を持っていませんでしたか?
 朴:永久的な口座ではありません。つまり、私たちは財団の口座を持っています。そう、財団のプロジェクト向け口座であり、会社そのものではありません。私が話しているツアー会社自体は、公演のためにここに来ているため、めったに銀行口座を持ちません。そのツアーは場合によっては 3 ~ 5か月続き、彼らは旅行します。
 彼らは通常、現金を持ち歩き、お金を費やし、そうして戻ってきます。
 フレイザー:この場合、そのお金はワシントンD.C.、コネチカット・アヴェニューN.W.1028番地にあるリトル・エンジェルスのためであると書かれています。そのお金で何をしますか?
 朴:私は存じません。言い換えれば、これはお金かもしれません。
 フレイザー:中佐、あなたはリトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーの社長です。
 朴:その間、私は15の異なるツアーを実施しました。時々、会社はここ米国にいて、そこから南米ツアーに出発します。
 フレイザー:しばらくこれを追ってみましょう。これはコネチカット・アヴェニュー1028番地のリトル・エンジェルスに31,000ドルが米国に持ち込まれていることを示しています。あなたはその組織の社長です。では、その31,000ドルで何が行われるのか、あるいは何が行われたのか教えてください。
 朴:おそらくそのお金は旅費、旅行のお金として、一行が南米に出発する前に私から会社の監督へ渡されたのでしょう。これは財団の口座には送られてません。
 フレイザー:会社の監督に届くまで、それはどこへ行ったのでしょうか? 物理的にどこに保持しましたか?
 朴:委員長、記憶を新たにするために、この問題について少しお時間をいただきたいと思います。 今は思いつきで、どちらにしても答えることができません。
 フレイザー:あなたの記憶が提供できる範囲を超えてほしくないのです。あなたがリトル・エンジェルスを代表して米国にお金を持ち込んだとき、あなたはその代表ですが、通常ならそのお金をどうしますか? 銀行口座がなかったので、それを物理的にどこに置くでしょうか?
 朴:その会社[の口座]はその時点ですでにこの国に存在していたかもしれません。
 フレイザー:はい、そうかもしれませんが、もしそうでなかったら?
 朴:そうなら私は会社の——
 フレイザー:もしその時に会社[の口座]がなかったら、お金をどうやって扱うでしょうか?
 朴:その場合、私はそれをオフィスの金庫か自宅に保管しますが、会社のお金の場合は、オフィスの金庫に保管する可能性が高くなります。
 フレイザー:ここは何の事務所ですか?
 朴:財団、KCFFのです。
 フレイザー:ここはKCFFの事務所ですか?
 朴:はい。
 フレイザー:そこに多額の現金を保管するための金庫がありますか?
 朴:はい、巨大な金庫などはないですが比較的安全な取り合わせです。
 フレイザー:場合によっては家に置いておくこともあるのではないでしょうか?
 朴:かもしれません。
 フレイザー:それはあなたが先ほど言ったことです。
 朴:しかし、よくわかりません。私もよくわかりませんと言いました。
 フレイザー:しかし、長年会社のトップとして働いてきたあなたの経験に基づくと、お金が入ってきた場合、現金が海外から入ってきた場合、すぐに支払う人がいなかったら、オフィスの金庫に入れるかもしれないし、あるいは家に持ち帰るかもしれないという印象ですが?
 朴:はい。委員長、リトル・エンジェルスがこの国にいるとき、私の家は、ほとんど物流センターのようでした、私の家は。それが私があの家を建てた理由です。それが、バスがそこに駐車でき、子供たちが来て韓国料理を食べたり、洗濯物を食べたり、必要なものをすべて地下室に置いたりできるように、ショッピングセンターのすぐ隣にあの家を建てた理由です。それが私の家を活用する方法です。事実上、私の家は公共の目的を果たしています。
 フレイザー:あなたはリトル・エンジェルスに代わって、これらの支出と領収書の記録を保管しましたか?
 朴:私はそれを保管しません、リトル・エンジェルス社は、はい。彼らは支出を非常に厳格に守っています。
 フレイザー:彼らがこの31,000ドルを受け取った場合、その記録は残るでしょうか?
 朴:いいえ、私はそれを会社と照合しなければなりません。お金が会社にどこに送られたのか、そうすれば会社は記録を残すはずです。

米下院・国際関係委員会・国際機関小委員会事前聴聞会(1978年4月20日)

 以上、長々と引用してきたが、「リトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーの社長」と自称している朴普煕が、如何にリトル・エンジェルスを資金移動の隠れ蓑にしてきたか。先に朴が証言しているように、5,000ドル未満なら申告なしで現金を持ち込めるのを利用して、団員・スタッフに分割して持たせ、入国したら回収する手段を取ったのであろう。ダンス・チームの監督が『運び屋』の頭という訳である。
 また、南米ツアーに旅立つ彼らに3万1000ドルのうち幾ら渡されるのか、それを知っているのは金庫番である朴普煕ひとりなのだが。

〈四〉につづく。

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