引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。
発言人物一覧
○朴普煕(パク・ボーヒ)……統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)の最側近のひとり。韓国文化自由財団(KCFF)会長。
○ジョン・M・ブレイ……弁護士。
○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長。
○エドワード・ダーウィンスキー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員。
『朴普煕聴聞会』を読む〈三〉
前回の聴聞会から9日後の1978年4月20日午後、統一教会教祖・文鮮明の最側近のひとりである、朴普煕 に対する3回目の聴聞会が開かれた。当日の午前中はニクソン、フォード政権時代の国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏への聴聞会が開かれるハード・スケジュールだった。
◎朴普煕独演会三たび
うんざりしているだろうフレイザー委員長は、それでも譲歩し、15分の時間を朴に与えた。
ところが、朴はそのフレイザー委員長に牙をむいたのだ。
ベネディクト・アーノルドは独立戦争の際の英雄でありながら、他方、イギリス軍に砦を引き渡そうと画策した(が未遂に終わる)ことで、アメリカにおいてその名が「裏切り者」の代名詞となった将軍である。彼とフレイザー委員長を重ね合わせて貶めたことに、さすがに同僚委員も色をなした。
かくて聴聞会は始まった。
◎池田文子をめぐる謎の金の流れ(続々)
朴が池田文子に渡した3,000ドルに関する証言聴取は前回で終わっている。ところが、ちょっとした動きがあった。
残念ながら、前回から今回の聴聞会の間までにどのような報道が流れたかはわからない。統一教会絡みの報道はなかなか一般紙に流れないからだ(ひょっとすると赤旗かもしれない)。だが、この9日間で新たなことが明らかになったわけだ。
朝日新聞1978年4月11日3面に池田の記事(『朴普煕氏からの三千ドル 私が受け取った 池田里帰り運動代表、名乗り』)が掲載されている。池田の肩書きは「日本人妻自由往来実現運動の会」代表世話役とあり、記事を引用すれば、〈一九七五年十一月十二日から十九日まで、個人として韓国以北五道民会主催の「離散家族省墓実現決起大会」に招かれ、ソウルなど四カ所で演説した。〉とある(省墓とは墓参りのこと)。池田は「里帰り運動の池田文子はKCIAとは何の関わりもない」と強調する一方で、本名としては〈統一教会の会員、国際勝共連合のメンバーであり、脱退手続きはしていない〉ことを認めている。つまり、池田は日本時間10日の会見時点で、自分が統一協会の信者であることを認めているし、本名も露見していたことになる。
江利川安栄。これが池田文子の本名である。フレイザー報告書(和訳版)の注釈にもあるように、のちに日本の統一教会々長となり、文鮮明の死後は、彼の七男が教祖とする統一教会の分派である、サンクチュアリ教会の日本支部会長に就任した。
現金受け渡し事件後の経歴とはいえ、これだけの重要人物である。朴普煕が全く知らなかったとは思えない。事実、先の会見で、朴とは統一教会を通じて知り合ったと池田(江利川)は述べている。
こうなると、朴が証言の際に提出したAFP通信記事は意図的に誤訳していた可能性が高い。だが、委員会が日本から情報を取り寄せれば秒で嘘とわかる話を、堂々と証言する朴の厚顔無恥さに呆れ返るほかはない。
◎朴普煕の食い扶持・
1965年、朴普煕が米国移民帰化局(INS)にした声明陳述書によれば、
また、3月22日の第1回目の聴聞会の中で、
1964年10月の在ワシントン韓国大使館で駐在武官として勤務中に韓国軍を除隊してから、いったん韓国へ戻って1965年1月3日に再来米するまでの行動も、小委員会は疑惑として扱っているがここでは省く。
ダーウィンスキー委員が言及している1968年3月20日の役員会における、梁裕燦(ヤン・ユチャン)会長の声明によれば、
さて、ここまでの情報を踏まえて今回の聴聞会の質疑に戻ろう。
朴は以下のように反論をする(一部内容は3月22日証言と重複)。
KCFF、あるいは朴の生活にKCIAの資金が流れていたのではないか、という話であるが、この手の話は筋が悪い。なぜならKCFFのバックに統一教会がいるからだ。朴の反論のように信者からのカンパ(寄付)に、KCIAの資金が紛れ込んでしまえば、わからなくなってしまう。
3月22日の証言で、1968年における朴のKCFF理事の給与は16,000ドル弱であった。果たして5倍もの価格の家の資金をどうやって捻出したのか?
朴の話の内容からすると、「モダン・メーリング・サービス」とはダイレクトメール会社と考えられる(同業種で類似の名前の会社が存在するが、同一であるかは不明)。そこの発送業務を副業としてやっていたものと思われる。
◎黄金の国・日本
1万ドルは当時の彼の年収の約3分の1であるが、そうした大金を借りた記憶も覚えていないというのか。
だが、この位で驚いちゃいけない。
7万5000ドルの融資を口約束で! ビジネスマンとして失格であろう。
出納帳もつけていない。あまりにも金銭管理が雑ではないのか?
5年も放置しておいて、聴聞会が始まる2、3か月前に書類を書くなど、彼らの行動は明らかに異様であるが、日本の貸主が渡した金が信者からの献金だったならば(不快ではあるが)合点がいく。彼らにとって信者からの献金はいわば金の成る木だったのだ。だから、フロント組織を含めた統一教会内部では、一度吸い上げられた献金を幹部間でどのような授受が行っても必要分さえあればさほど気にはしないが、一方で、税金など社会に見せる部分は厳密にし、怪しまれないようにする。そんな資金の使い方をしていたのではないだろうか。
朴にローン会社を騙す意図は本当になかったのだろう。なぜなら、7万5,000ドルは借りた金ではなく、信者から絞り取った献金であることを十分承知していたからだ。したがって、朴が騙そうとしているとしたら、それは小委員会だ。
以上、長々と引用してきたが、「リトル・エンジェルス・ダンス・カンパニーの社長」と自称している朴普煕が、如何にリトル・エンジェルスを資金移動の隠れ蓑にしてきたか。先に朴が証言しているように、5,000ドル未満なら申告なしで現金を持ち込めるのを利用して、団員・スタッフに分割して持たせ、入国したら回収する手段を取ったのであろう。ダンス・チームの監督が『運び屋』の頭という訳である。
また、南米ツアーに旅立つ彼らに3万1000ドルのうち幾ら渡されるのか、それを知っているのは金庫番である朴普煕ひとりなのだが。
〈四〉につづく。