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精読「ジェンダー・トラブル」#030 第1章-5 p50

※ #025 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。
※ 全体の目次はこちらです。

 p49-50 にかけて、バトラーがウィティッグの主張をまとめている箇所をそのまま引用します。

  • 強制的異性愛を打破すれば、セックスの拘束から解放された、「ひと」を念頭におく真の人間主義が始まる

  • 男根ロゴス中心主義ではないエロスの機構が横いつし伝播すれば、セックやジェンダーやアイデンティティといった幻想の産物は追い払われる

  • 強制的異性愛の制度によって押しつけられているセックスの二元論の制約を超えうる第三のジェンダーとして、「レズビアン」がたち現れる

 ここまで「ジェンダー・トラブル」を読んできた読者なら、ウィティッグの主張が非常にバカバカしく見えるはずです。

「認識主体」を容認するウィティッグは、意味作用や表象の覇権的な様式に対しては、形而上学的な争いはしないらしい。事実、自己決定能力をそなえる主体は、実存的な選択をおこなう行為者エイジェントがレズビアンという名のもとに復権したもののように思われる。

「ジェンダー・トラブル」p50

 カッコつきの「認識主体」とは、これまで再三出てきた〈ひと〉のことです。
 〈ひと〉を「容認する」どころか、「真の人間主義」の基盤に据えようとするウィティッグは、もちろん〈ひと〉に疑問を持ちません。したがって、「意味作用や表象の覇権的な様式」つまり、〈ひと〉という実体がまずあり、その〈ひと〉の属性の一つがジェンダーである、という実体の「形而上学」にウィティッグは無頓着です。
 対してボーヴォワールやイリガライは、〈ひと〉を想定することでセックスの非対称性が生じていると主張し、実体の「形而上学」を批判しているのはすでに述べたとおりです。
 「実存的な選択」つまりサルトル的な主体による自由意志からの選択ができるのは男に限定されている、とボーヴォワールは言っていました。そして、女にだけ付けられたしるしである〈セックス〉というカテゴリーの粉砕が、女が〈ひと〉になるための解決策であると考えていました。
 が、ウィティッグの主張はそこから後退して、〈セックス〉というカテゴリーに新たに「レズビアン」を付け加え、女がレズビアンになればいい、と言っています。つまり、たんに男を「レズビアン」に置き換えているだけです。すべての女は男のような主体となるためにレズビアンになろうーー馬鹿馬鹿しいにも程があります。
 ここで引用しなかった他の文章でも、バトラーは執拗にウィティッグを全否定しています(罵倒と呼んでも差し支えないでしょう)。その文章からは、レズビアンを都合のいい道具にしか見ていないウィティッグに、バトラーがかなり頭にきていることが伺えます(笑)。

(#031に続きます)


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