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精読「ジェンダー・トラブル」#023 第1章-4 p42

※ #020 から読むことをおすすめします。途中から読んでもたぶんわけが分かりません。
※ 全体の目次はこちらです。

 「連帯の理論家」がゆるやかな連帯を台無しにする、という議論の続きです。

さらにこのことに関連して、連帯の理論家は、何が本当の対話形式で、何がそうでないか、また主体の位置を構築するのは何か、さらに重要なことは、いつ「統一」に至るかを決定しようと心をくだき、それによって、連帯のダイナミズムーー自分で自分を形成し、自分で自分の境界を定めるというダイナミズムーーを損なってしまうのである。

「ジェンダー・トラブル」p42

 「対話」ときいて私が思い浮かべるのがハーバーマスです。
 私はハーバーマスが今も昔も大嫌いです。彼は、対話をすればいつでも合意が得られる、と能天気に考える人です。彼は、争いが起こったとき、つねに強い方の意見が通り、弱い方は屈服させられる、という事実を認識したことがありません。彼は〈自分はつねに対等な立場で話し合い、つねに双方納得する合意が得られた〉と信じ込んでいるのです。最悪です。悪を自覚している悪人の方がまだマシです。
 バトラーの描く「連帯の理論家」もハーバーマスと同じ悪臭がします。
 文中「主体の位置」とありますが、「位置」の原語は position なので、ここは「主体の立場」と考えたほうが分かりやすいです。「連帯の理論家」は〈この人は黒人だからこういう立場になる〉〈イスラムだからこういう立場になる〉とあらかじめ色眼鏡で決めつけて枠にはめるのです。
 そうではなく「自分で自分を形成し、自分で自分の境界を定める」ことが連帯のダイナミズムだとバトラーは言います。

おそらくそもそも連帯というのは、その内部の矛盾を認め、それはそのままにしながら政治行動をとるはずのものではないか。またおそらく対話による理解が引き受けなければならない事柄のひとつは、相違や亀裂や分裂や断片化を、しばしば苦痛をともなう民主化のプロセスのひとつとして受け入れることではないか。

「ジェンダー・トラブル」p42

 「民主化のプロセス」は苦い、というバトラーの考えがよくわかる文です。平易な文なので解読はしません。

さもなければ対話モデルは、語っている行為者エイジェントがみな同じ権力位置にいて、何が「同意」で、何が「統一」かについて全員が同じ前提で話をし、また実際に、「同意」や「統一」こそが達成すべき目標だと仮定するようなリベラル・モデルのなかに、逆戻りしてしまう危険性をもつことになる。

「ジェンダー・トラブル」p42

 ハーバーマスが夢想するような「リベラル・モデル」は、すべてが人工的な予定調和で貫かれていて、まるで中国共産党の全人代です。これでは全てが茶番、あるいは「絶対権力者」の個人的主張を集団合意に見せかける政治的ショーになり、連帯もクソもありません。
 さて、女の話者がそれぞれ違う「権力位置」にいるとき、その位置には、人種、階級、年齢、民族、セクシャリティといった様々なカテゴリーが関係しています。それらは単純な足し算ではなく、絡まり合ってカテゴライズ不能な位置を形成しています。

カテゴリーとは本質的に不完全なものだと仮定することによってのみ、そのカテゴリーを、さまざまな意味が競合する永遠に使用可能な場として機能させることができる。そうなれば、カテゴリーの定義上のこの不完全さが、強制力から解放された基準的な理想として機能しうるものになるかもしれない。

「ジェンダー・トラブル」p42-43

 完全なカテゴリーがあるとすれば、それは Excel で作る一覧表のような、データ属性を隈なく表せる一覧表のようなものでしょう。そこにはまるでアバターを作るときのデータセットのように、人種、階級、年齢、民族、セクシャリティといったカテゴリーがきれいに並んでいて、○や×を付けることでその人の「権力位置」が完成するはずです。
 しかしこうして求められた「権力位置」はウソです。にもかかわらず、このような Excel 一覧表へ無理に押し込めようとすると、リアルな人を歪化し、あるいは排除しようとする「強制力」が生じてしまいます。
 したがってリアルなカテゴリーは「本質的に不完全なもの」でなくてはなりません。カテゴリー同士は絡まり合っていて、一個人の中で「さまざまな意味が競合」しているので、Excel 一覧表では表現できないのです。
 Excel 一覧表における完全無欠のカテゴリーは、現実を知り、現実に対処するには使い物になりません。「本質的に不完全」で、一貫性、統一性を放棄したカテゴリーだけが「永遠に使用可能」なのです。
 カテゴリーが一貫性、統一性を放棄すると、人は何の枠にもはめ込まれず、その人のままでいられるかもしれません。このような不完全なカテゴリーは、「強制力から解放された基準的な理想」となるかもしれません。「理想」とは枠の反対のことです。

(#024に続きます)


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