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【エッセイ】エンパス!現実主義の母と私と幽霊と 23. 急に語りだす人生哲学

 旦那の闘病生活だが、癌患者というにはあまりにも普通で、それまでと大して変わらない生活を送っていた。

 昔だと入院して抗がん剤を投与して、それによる吐き気とかでやつれていって……って、そんなイメージがあると思うけど、ほとんど入院などはせず、イレッサという茶色の錠剤を飲むだけで今までと何ら変わらない日常生活を送れたのだ。

 ただ、そんな中でも唯一変化が見られた事があって、それが目には見えないものへの関心とでもいうのか……。
 というのも、【人はどうして生まれ、どうして死ぬのか】みたいな人生哲学を急に語るようになったのだ。

 そんな事、私は小学生の時から考えて悩み、もう自分なりの哲学を見つけているというのに。なんだよ、お前は今更かよ!って思わずツッコミたくなったけど、旦那にとってはその時が向き合うタイミングだったのだろう。だからその行動は否定しないし、黙って聞いていたのだけど……

 まだ己の中で自問自答するだけならいい。だが、私に対しても人生において何が一番大切か、正しい価値観、真理みたいな事をドヤ顔で説いてくるものだからそれはちょっとモヤっとした。
 こう言っては悪いが、ある意味私は演じているように見えてならなかったのだ。自分に酔っているというか、急に役者にでもなったような。そして突然自分が崇高な、尊い者にでもなったつもりでいるのかと。

 それから、よく重い病気になった人がブログで闘病日記を書き始めるパターンがあるけど、旦那も同じで闘病日記を書き出した。
 それを見た旦那の友人知人たちはその節々の言葉に感銘を受けていた様だけど……


 思うんだけど、あれってさ、本当に信頼に値する、尊敬してる人間が綴る言葉なら素直に心に刺さると思うよ。だからこそ旦那の外面だけしか知らない友人知人たちは感銘を受けたのだろうし。

 けど、なんだかなぁ。やっぱり私一人だけは温度差というか、白々しいと思ってしまった。裏の部分を知っているだけにどうしても受け付けなかったのだ。

 実際、人生哲学を語りながらも旦那は人の容姿批判をやめなかったし。
 ついさっき励ましてくれた友人に対してもアイツはデブだのハゲだのと裏でそういう事を言っていたので、そんな人となりを知る私には旦那の真理なんて全然心に刺さらなかったし、そういった人生哲学を語るのを冷めた気持ちで聞いていた。

 こんな私は冷たい人間なのだろうか。酷い人間なのだろうか。ふとそんな事も思ったりしたけれど……。


 ただでさえ世の中の傾向として、死にゆく人の言葉や態度は尊重されるべきものとされている所があって、言う側も聞いてもらえるものだと思っていて。正直、あれって何なの?とか思ってしまう。死んだら全ての悪事がチャラになるとでも思っているのだろうか。

 例え暴言を吐かれても暴力を振るわれても病気なのだから仕方ないとか大目に見ろとか、全て寛容に許さなければならない傾向にあるし。……まあ、それは分からなくもないんだけれど、亡くなったら亡くなったで今度は死んだ人の悪口は言うもんじゃないとか。

 実はこれらは私が実際に母から言われた言葉でもある。

 生前、あんなに旦那の事を毛嫌いし、悪口を言いまくっていた母は私がポロッとこぼした愚痴(オレの方が重病だと殴られた件)に対し「死んだ人の悪口を言うもんじゃない」と言っては怒ってきた。

 別に悪口を言いたかった訳じゃない。ただあの時の悲しかった気持ちを共有して欲しかっただけなのだ。だが所詮私の思いなど母には通じなかった。つい甘えた気持ちでこぼしてしまった私がバカだった。
 妙に落ち込んでしまったし、やっぱり母とは分かり合えない、改めてそう思った出来事だった。

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