映画評論「わたしは最悪。」

おつかれさまんさー!
時折ある、「むりして観に行ってよかった〜」な映画でありました。きっといまのわたしには必要な一本な気がしてて、“予感は当たる”が発揮されました。あれだけ自分の気持ちや心に正直に生きれるのだろうか、いや生きれない。という反語がぴったりで、憧れと尊敬と恐怖を抱きつつ気持ちが途切れることなく2時間しっかり楽しませていただきました。ソーキュートな映画で、ラブというよりこれはヒューマン。そして男性諸君ゴメンナサイ。女性のための映画デス。笑
ユリアが美しく可愛いから成り立つんやろうなあ。しかし、なぜだか彼女にひとつも腹が立ったり嫌悪感を抱くことがなかったのヨ。昔のわたしならそう感じてたであろうし、ここまでグサリと刺さることはなかったでしょう。きっとオンナとしてヒトとして、成長した(と言ってもいいのかはわからんが)からだろうなぁと感じています。知らぬが仏なことって世の中にはいーっぱいあって、知らぬままのがしあわせやったなあと後悔することも多いネガティブなワタシやけど、それでも知っているからこそみえる感じる世界観はたしかにあって、そこに到達しているからこそ響いて感じて考えさせられたのだと思います。かのさくらももこも「そういうふうにできている」と言っていた。糸井さんのコトバらしいけど。そういうふうにできていて、そういうふうになるようになっているのが世の中で人生なのかしら。作中、だれともうまくいかなかったのに、うまくいっているユリアが美しかった。子を望まない彼が幸せそうに子を抱き家庭を築いている様をみて、にっこり微笑むユリアがただただ美しかった。

「愛してるけど 愛してない」がいまのわたしには残るコトバであった。


嫌いになるのってむずかしいね。どこかに1ミリでも期待や未来を見出せてしまうからなのでしょう。諦めの悪い男三井ばりに心が諦めきれないのかなぁ〜。そうおもうと矛盾してるけどポジティブな己の一面に少し救われたりもするのです。
心ゆくままでいいのかもしれません。



帰り道、夜風が涼しくてなんだか足取りが軽かったのは言うまでもない。

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