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ジョージアაბანო旅 導入編

リトアニアの蒸気浴文化Pirtisの取材体験記に続く、サウナ比較文化学旅シリーズ第2弾で取り上げるのは、ジョージアに根付く温水浴文化、აბანო(アバノ)です!

街並みから食まで、とにかく”古今東西”まぜこぜ

ジョージアと聞くと、アメリカの州の名前のほうが先に浮かぶ人もまだ少なくないかもしれません。2015年に「グルジア」から「ジョージア」へと正式改称されたこの国の所在は、黒海とカスピ海に挟まれた、通称「コーカサス地方」。

この引き地図を見てもらえば、北はロシア、南はトルコやイラクなどのイスラム諸国に挟まれ、さらに、東ヨーロッパとも西アジアとも言えそうな、ユーラシア大陸の西洋と東洋の絶妙な交差点に位置した国であることが、おわかりいただけるでしょうか。
実際に街を歩いていると、まさにヨーロッパとアジアの両文化の色合いを足して2で割ったようで、さらに時代や所在を錯誤させる無国籍・無時空な景観も紛れ込んでて、なんとも混沌とした”古今東西”な風土だなと感じます。

なんとなくヨーロッパ的だなと思う界隈もあれば
なんとなくアジア的だなと思う界隈もある
田舎に行けば牛が路上を占拠し人と攻防してるし、
多民族が暮らす国境付近では、もはやテーマパークに見紛う異質な街並みも

東西折衷なのは食文化もまたしかりで、何を食べても感想は「西洋料理といえば西洋、アジア料理といえばアジア、いや中東料理と言われたら中東かも…」のザ中間路線(笑)。
手でつまんでいただく肉汁たっぷりの肉まん「ヒンカリ」は、私たちアジア人のほうがよりほっとできる味かな?以前松屋のメニューになってにわかに注目されていた「シュクメルリ」は、断然本国の食堂で食べてほしい!絞めたての鶏が一羽丸ごとぶつ切りにされ、悪魔的な量のガーリックが投入された油分たっぷりミルクスープのなかで、滾々と旨味を流出させていて絶品です。
あと驚いたのが、ジョージア人のパクチー狂っぷり。サラダでも煮込み料理でも、これでもかとパクチーの風味を利かせてあるし、バスや電車でおもむろにカバンの中から自家製パクチーペースト(?)を出して、べっとりパンに付けて食べている人を何人も見ました。。

これぞ本場のシュクメルリ!今でもときどき思い出す人生有数のワイルド料理…

ジョージアが旅人たちを魅了する理由

ジョージアは、以前から日本のとりわけバックパッカーに人気の国ですが、その理由はまず物価の安さが大きいのでしょう。最新の物価については情報を持ちませんが、2016年当時で、何でも東南アジアレベルの物価だなといちいち驚きながら滞在していました。
街の間を大きく移動するときは列車か、マルシュルートカと呼ばれる、旧ソ連圏ではおなじみの元祖乗り合いバスにお世話になります。時刻表は存在せず、行き先だけが示されたバスが街の停留所に待機していて、満席になったタイミングでようやく発車するのです。スケジュールぎっしりの旅人には向きませんが、ローカルの動態観察を楽しみながら安く長距離移動するならこれ!
私はわりと次の目的地も決めずふらふらしていたので、マルシュルートカを適宜活用しながら、行き当たりばったり旅を楽しんでいました。

英語もほとんど通じないので、とにかくスマホで現地語を翻訳・表示させてコミュニケーション

それから、主に地方都市でびっくりするのが民泊文化の強さ。もちろんAirbnbなどで先に見つけて予約をしていくほうが安心安全だと思いますが、何気ない住宅街でも、もはや看板を出していなくても民泊用のゲストルームを用意してある民家がたくさんあって(まず部屋を見せてもらってから考える時間もくれるし、値段も現場交渉)、街に着いて紹介してもらうことも可能です。また、民泊では、朝食だけでなく昼食や夕食まで出してくれる…というか、毎食ご家族と一緒に囲ませてもらう宿も何度かお世話になりました。
一度、夜行列車で早朝に着いた小さな街で縁あってたどり着いたお宅は、朝でも全然嫌な顔をせずに部屋を内見させてくれて、部屋も清潔でご夫妻もとても感じが良く、英語も最低限話せてコミュニケーションが取れそうだったので「ここに決めます」と伝えたら、「ちょうど今から食べるところだったから」と、さっそく朝ごはん(パンと牛煮込みとパクチーもりもりのサラダ笑)を振る舞ってくれました。「だれがいつ飛び込みで我が家を訪ねてきても受け入れられるように、ご飯はいつでも多めに作り置きしておくの。誰も来ないなら私たちが食べればいいだけなんだし笑」、とお母さん。

ジョージア人は自家製ワインづくりも日常で、水代わりのように飲んでいた!

ジョージア人は、どうしてサウナではなく風呂?

さて、そんな魅惑の旅先ジョージアを、世界周遊バックパッカーでもない私がはるばるピンポイントに訪ねたのは、ユーラシア大陸各国の入浴文化について調べていたときに、ある理由でこの国の特異さに目が留まったからです。

ジョージアの北隣(であり元統治国の)ロシアは「バーニャ(=蒸気浴)」のメッカ、ジョージアの南方に横たわるトルコやイランなどイスラム国家は「ハマム=蒸気浴」のメッカ。つまり、この国は世界の2大蒸気浴文化の国家に挟まれているにも関わらず、なぜか蒸気浴文化は土着せず、むしろ温水浴(=つまり風呂)を主流の入浴文化としてきた国なのです。
確かに、ジョージア国内では、首都を始めとして天然温泉が湧く場所もあります。ですが、そうでない土地においても、水を温め湯に浸かる伝統が受け継がれてきた歴史があるようなのです。

もう少し視野を広げて大陸の周辺地域を見渡してみても、いわゆる湯に浸かる入浴習慣が根付いている国や地域というのは、ユーラシア大陸上では稀です。ローマ風呂文化の衰退以降、西洋各地では温泉地以外での温水浴習慣はほとんど消えてしまっていたし、東の仏教国は薬草蒸気浴が主流、そして日本ですら、江戸中期までは入浴=蒸気浴のほうが一般的だったのですから。

首都トビリシの温泉街に残る、公衆浴場のドーム天井外観


そんな稀有でミステリアスな温水浴のことを、読み方の想像すらもつかない「ジョージア語」では、აბანო(アバノ)と呼ぶそうです。

なぜ、古来ジョージア人はサウナではなく風呂を選んだのか。
この長年の素朴な疑問について、いくら周りのサウナ専門家たちやジョージア人の知人に聞いてみてもしっくり来る答えは返ってこず、またネットや本からもそれらしい情報が一向にみつかりませんでした。このご時世、パソコンや図書館でも調べてもよくわからないことが、まだあるなんて!!

ならば、自分で行って確かめてくるしかない。
言葉も理解できない国でどこまで体系的な知見を得られるかさっぱりわからないけれど、それでも、現地の人と話をして、現場を見て、湯に浸かれば、何か掴めることはあるはずと信じて。

そんな志しを掲げ、フィンランドサウナ協会の会員伝手に現地のエキスパートたちを紹介してもらって、2016年5月にウクライナ経由でジョージアへと単身渡航。約2週間かけて国内各地に残るアバノ文化の足跡をたどる冒険旅をスタートさせたのでした。

次回予告。

本編の初回記事では、まず首都トビリシの有名な「温泉街」を訪ね、そこに軒を連ねるユニークな公衆浴場で見て体験してきた、リアルな光景をお伝えします。とりわけジョージア人女性たちにとって、裸を見せあい同じ湯を共にする公衆浴場とは、どのような役割を果たす場であったのでしょうか…??


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