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【22'7月】SHIMOKITA COLLEGE滞在

約半年前の話だけど、私の人生の欠かせないものになったので記す。

行く前の私が残していた言葉

7月
8日から31日まで東京に滞在します。30.31は群馬にいるんだけど含めちゃえ。
きっかけはHLABのシモキタカレッジへのお試し移住。運営委員は食費だけで2週間滞在できるプログラム。行くしかないっしょと思ってすぐ連絡した。どんなところなんだろうと思ってたし、何より東京に滞在したいと思ってたから願ったり叶ったりな話だった。
それにひっかけて、9日の研修と30.31の合宿があって一回長野に帰るの非効率的だから、前後も東京に滞在しちゃおうって話。
初の東京住み、楽しみだーーー
寮に住んだり共同生活するのも初めてだから貴重な経験してきます。

休学-3ヶ月の備忘録- これからどうするのか

東京に行く前と行った後では、考え方がだいぶ変わったような気がしている。

当時の日記やら記録やらを読み返したんだけど、これが半年前とは思えないくらい、まるで昨日のことのようにあらゆるできごとを覚えている。


SIHMOKITA COLLEGEとは

下北カレッジとは、下北沢にある教育寮(レジデンシャル・カレッジ)だ。
小田急とUDSとHLABが共同で運営している高校生から社会人までが住む寮で、場のデザインをHLABが請け負っている。

下北カレッジの玄関

HLABは私が3年間所属している組織で、リベラルアーツを軸とした新しい学びの形を提供している。

異なる人生を歩む人々が、
その違いから刺激を受け、学び、共創する。
HLABはそんな社会の実現を
学びの体験、空間、コミュニティのデザインを通じて行います。

【HLAB】「ソーシャルセクターのMission、Valueを言語化するプロセスの話」より

主に

  • 寮事業

  • サマースクール事業

  • スカラーシップ

の3つの事業を行なっていて、私はサマースクール事業の運営委員としてHLABに携わって3年目となるが、昨年運営委員をしていた時に、ありがたいことに「お試し移住制度」なるものがあり、それを利用して7月下旬に2週間住ませてもらった。

どういう場所なのか?

私にはよく合う場所だったなと思う。
住んでいる人や今まで住んだことがある人、一緒にお試し移住で入った人、色んな人に話を聞いた感じ、特殊であるが故にだいぶ人を選ぶ場所だろうが、「特定の誰かではないけど誰かの存在が常にほしい」タイプの私にとっては、部屋を出れば誰かがいるという環境は精神的にとても楽だった。話しても、話さなくても、その場にいていいんだという安心感があった。

説明的に言うなれば、色んな人がごちゃまぜになっている場所、だろうか。
高校生から社会人が同じ屋根の下に住むという空間はとても面白く、そこかしこで色んな話が起きていた。
カレッジの建物は、1階と2階が共有部という住んでいない人もいられるエリアで、かつ自分の部屋に帰るには共有部を通らないといけないので、人に会わずにはいられない、そんな仕掛けがされている。曜日や時間帯によって人がいる場所が違ったり、集まる人数が違ったり、はたまた帰ったら誰もいなかったりして、常に動きと流れがある空間だった。何かの生き物みたい。
私が住んでいた時期は海外大生が多く高校生は少なかったので、住む時期によっても受け取るものが違うような気がするが、色んな所から色んな人が集まっているだけあって、刺激的な場所だったことは間違いない。
詳しく書くと個人を特定してしまうのでふわっとした話に留めておくが、カオスな日々の連続だったことは今でも忘れない。

カレッジに住んだ目的と、実際に得たもの・気づいたこと

目的

きっかけは「東京に住みたい」だった。休学期間中のひとつのやりたいことだったから、そのチャンスに飛びついた。
でも、入居してからスタッフとの面談が設けられていて、その事前質問で「なぜ住みたいのか」みたいな項目があって、さすがに「東京に住みたいから」とは答えられず、なんで自分は他のホテルとかじゃなくて「下北カレッジ」に住みたいのかと考えた。
その結果出てきた答えは、「当たり前をアップデートするため」だった。

私が辿ってきた人生・置かれてきた環境は、東京、とりわけ下北カレッジの住人とは大きく違うものなんだろうと予想していた。
私には東京や下北カレッジに住めるような経済力はない。田舎の育ちで閉ざされた場所にいたので、海外大や有名な私立に進学する選択肢すらなかった。周りにそういう人もいなかった。相当もがかないと同じラインに立てない、そんな場所にいた。
カレッジには、東京出身の人、帰国子女、海外大所属、私立高校に通う子、そもそも土台の"持ち物"が違う人、そういった"今までの私の人生に存在しない人"で溢れている。彼らが、どんな習慣で、何を食べ、何を話し、どこに行くのかといった、"どんな生活を送っているのか"が気になった。

少なからず私は、方向性としては上の世界を目指している。その目指している「上」が溢れる場所に身を置いて、彼らを観察して、そっち側に引っ張られたいと思った。
人間は周りの環境で形成されると言う。周りの環境からその人の「当たり前」が作られる。そういった意味で、彼らの「当たり前」を吸収し、私の「当たり前」をアップデートしたいと思ったのだ。

実際に得たもの・気づいたこと

実際に2週間住んで、その「当たり前」はアップデートされたのか?

結論から言うと、アップデートされたんだと思う。
住む前と後では考え方が違う、というのは感じているし。

ただ、アップデートされてもそれに染まりはしなかった。むしろそことは交わらない自分がいることが顕になったのではないか(書きながら気づく)。

東京に住む前は、東京に大きな憧れを持っていた。
何でもあって、どこも綺麗で、交通の便が整っていて、夜遅くても明るくて、etc.。訪れたことしかなかったけど、自分が住んでいる/いた場所よりはやっぱりいい場所なんだろうなと思っていた。
でもなんだろう、住んでみて、別に大した憧れではなくなった。それは東京にマイナスイメージを抱いたとか、そういうことを言いたいのではなく、自分が住む場所ではないということがわかったからだ。
東京には東京の良さがあるけど、自分が存在する場所はここじゃないなと思った。私は下北カレッジという場所があったり、会いたい人・いる必要を見出しているから住もうと思うけど、それがなかったらいる意味がないと思える。
東京という場所を知ったからこそ、そうじゃない暮らしがしっくり来る自分に気がついた。

得たもの

下北カレッジ生活で得たものが何かと聞かれると、それは、帰る場所と友人、と答える。

カレッジは確実に帰る場所になった。
退居してからも、東京に行けばよく行っているし、東京に住んでからも拠点として使っている。
日本の各所に帰る場所を作っている私だが、東京に帰る場所ができたのはでかい。

友人、そりゃそうだよな、という反応が返ってきてもおかしくないが、友人という存在は私にとって特別なので、”東京に住んで友人ができた"というのは大きいことなのである。
私は友人が少なかった。片手の指で数えられるくらい。関わる人は多いけど、それはたいてい「仲間」という括りだったり、「◯◯で関わっている人」みたいな括りにしかならなかった。
下北カレッジで知り合った人たちも、たいていは「カレッジの人」だが、数人は「友人」になった。ここで言う「友人」を噛み砕くなら、「退居しても、カレッジじゃない場所でも、プライベートで会ったり話したりしたい人」なのかしら。
私がプライベートでそう思う人は片手で数えるくらいしかいなかったから、彼らの存在は私の人生をちょっと鮮やかにしてくれているし、何より今でもその仲が続いているのが嬉しい。
ちなみにそれまでの友人との違う点は、「話してて学びがある」こと。ただどこかに行って遊ぶだけじゃなくて、話すという時間を過ごせるのも特別だなぁと思う。

気づいたこと

細かい気づきはきっとたくさんあったんだろうけど、特に印象に残っていることは、

  1. 東大って別に全員がめっちゃ努力して入ってるわけではない

  2. 初対面の人でも深めの話をするのが得意

だった。

1はね割と衝撃的で、その話を聞いた時は明らかなベースの違いを感じたというか、その辺から割とドライになった。
高校生の時は徳島県に住んでいたんだけど、徳島の高校からしたら東大なんてまあ1年に一人出るか出ないかっていうレベルで、合格したら各方面から手のひら返したようにすごいねって言われるけど、実力見合ってない人が東大目指すとか言ったら白い目で見られるような文化があるのね。東大合格する人なんて周りにほとんどいないし、先輩でいたとしても雲の上の存在というか、相当頑張ってもいけない人がいるような大学っていう認識なのよ、徳島では。
でも、東大行ってる人と話してたら、東大にした理由は「行けたから」「目指す人が多いから」だったし、むしろ、「東大理三以外の選択肢がなかった」らしい。要するに、東大至上主義で、東大を目指すのは当たり前、理三当然、理一とかだと「どういうつもり?」みたいな圧、海外大も名門以外は白い目で見られる、みたいなことらしい。
その方はかなり頭いい高校だったんだけど、その話聞いた時に、なんだそれ、そういう人たちもいるのか、と思って。
別に東大だからってえらくないし、全員が納得した選択をしているわけではないし、必ずしも幸せなわけではないんだなと。
うちの大学は学歴コンプ勢が多くて、元からアホらしいと思ってたけど、この話を聞いてからもっとアホらしいとも思ったし、生きてきたベースの違いというか、育ってきた環境の違いというか、そういう宿命的なものに抗ってもなんかそもそも違う世界なんだなと思った。そして、そういう世界に私は身を置きたくないとも思った。

2は今まで自覚してこなかったけど、過ごしてみてわかったことだった。
嬉しいことに、住んでいる間、ほとんど毎日誰か一人と深い話をしていた。誰もがその日初めてちゃんと話す人たちばっかりだったけど、割と長い時間、どっぷりと話させてもらった。対話的な時間、というか、そういう時間を過ごした。
今までカレッジじゃない場所でも割とそういうコミュニケーションをとってきたような気がするが、それが普通のことだと思ってた。でも、そうじゃなかったらしい。
数人から

  • 質問力あるね

  • 相槌が心地よい

  • スオミの雰囲気の波に飲まれそうになる

  • 思考が深いよね

などなどのフィードバックをもらい、多分そういうものを使って知り合って浅い人でも話を深い方向に持っていってるんだなぁと解釈した。
まあでもこれを逆手にとると、当たり障りのない話は苦手なのであり、それを避けるように深い話に持っていくというのはある。
どっちがいい、とかはないけど、そういう周波数の人が周りに集まるのは私の一つの特徴かな。

まとめ

カレッジ滞在、もだし、東京滞在というスケールでも言えることだけど、当時の生活の延長線上に今がある感覚はずっと続いている。
一度東京に住んでみて、東京に住んでいるかいないかの違いの大きさ、機会の違いに気づいたからこそ、夏まで東京に住みたいと思ったし、新たな拠点を得るための大きなモチベーションになったのかもしれない。

退去しても尚下北沢に通う生活をしていて、今は「いつもの景色」「いつものお店」な下北沢が、いつかは「懐かしい場所」になってしまうことを考えると、少し寂しい。
でもそんな儚さも兼ね備えた存在だからこそ、通える間は通っておこうと思えるのかもしれない。

n番目の故郷、下北カレッジ。

2023/4/2 誕生日前夜

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