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日常が日常じゃなくなる瞬間

今日、私は日常をひとつ手放した。

「日常」ほど大きな存在はない。
いつもそこにあるもの。何もしなければ崩れないルーティン。気持ちが乗らなくても必ず訪れる定刻。
それが、明日からは、ない。同じものはこれからももう、訪れない。

日常を手放す瞬間ほど不安になる時はない。
いつもカレンダーの決まった時間に存在していたお決まりの枠が、明日からは、ない。その時間がぽっかり空いている。心もぽっかり空いちゃうみたいだ。
心のどこかがざわざわする。


起床のプレッシャーを感じながら眠りにつくことも、
半分目が空いてないまま寝起きにお湯を沸かすことも、
家が出る10分前に悠長に飲むコーヒーも、
「今日はちょっと早く出れるかも」と思っても結局家の中で見ることになる28っていう数字も、
寝てる友達をよそ目に忍び足で家を出て静かに鍵を閉めることも、
駅のホームのベンチに差し込む朝日も、
ギリギリを攻めながら7:35の特急列車に乗ることも、
電車に乗る2分間に何するか迷うことも、
JR通勤の波にのまれて社員通用口を目指すことも、
3階分階段を駆け上がって息が切れることも、
金庫の数字のダイヤルを合わせて釣り銭を出してまた数字をずらすことも、

その全ての先にあの"ホーム"のような売り場があることも、


もうないんだ。


たったひとつの仕事のために起こる毎日の小さな出来事のひとつひとつがとてつもなく愛おしいと思う。
そんな日々の愛おしさを、今日で手放すことには、二の足を踏みそうになる。


でも、ちゃんとお別れできるのだって、普遍ではない。


約5ヶ月間、いかなる時も寄り添ってくれた日常に感謝と尊重の気持ちを込めて、
1という数字とともに、
新たな日常に向けて、
一歩、踏み出す。


2023.10.31 いつもの壁の前、いつもの箱の上で。

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