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日本人への絶望

馬鹿すぎて返す言葉がありません(笑)

そもそも、今回のコロナ禍、非常時だからこそ、後学のために、政府が何をするかをしっかりチェックし、観察し、記録しておこうと思ってじっくり情報収集してきたのだけれど、その過程で、日本人の馬鹿さ加減に呆れる日々。

冒頭の写真だが、「緊急事態宣言が出ているのに、外出している人たちを批判しないで、警察や、彼らのしているマスクを批判する意味がわからない」と言っている人がいた。
直接、説明しても彼らには理解する知能がない。彼らと議論しても意味がないと思うくらいには、日本人には絶望したので、ここに記しておくが。

緊急事態宣言は、ロックダウンではない。外出禁止令でもない。法的には、新宿歌舞伎町を出歩いている人たちの行動は、何ら問題ない。その彼らの行動を禁止し、規制する権限は、警察にも警官にもない。だから警官が、越権行為を行っているという事実は批判されるべきであり、取材して映像に記録しておくべきだ。

「外出自粛要請」が出て、感染の危険があり、それが私たちにも迷惑を及ぼす恐れがある、ということであれば、それを批判するのは私たちの役割だ。今はスマホで撮って、ネットに上げることができる。マスコミが取材してくれるなら、それを見ることもできる。グレーゾーンではあるが、違法行為ではないので、マスコミが取材してくれれば、彼らの生の声を、顔つきでTVに流すこともできるだろう。私たちがそれを叩けば良いのだ。

だが、それを警察権力にやらせてはならない。それは越権行為だからだ。
こんな、馬鹿な原理原則を言わねばならぬのが、日本人の頭の悪さだ。

ついでに言うが、ここで理解力のある人ならわかったと思うが、だから、ジャーナリスト、マスコミが必要なのだ。シリアへ取材に行って、長期にわたって人質となって塗炭の苦しみを舐めた安田純平さんを日本人は総出で叩いたが、彼らのように、危険を冒して、最前線で取材し、貴重な情報を取ってくれる人が、こういう時に必要なのだ。
繰り返すが、外出禁止ではないから、歌舞伎町に出かけることも、出かけている人を取材することも、いずれも違法行為ではない。
マスコミがきちんとマスク等で防備して感染のリスクを最小限にしつつ、何ら防備しないで緊張感なく出かけているバカ共を取材し、私たちにそれを知らしめる。そしてそれを私たちは安全なところで見て、彼らの行動に報いれば良い。
それを警察にやらせるのは、民主主義のシステムではないのだ。

権力は暴走するものという原則

つい最近、香港のデモで、警察が暴力を振るい、銃を撃つ風景を見た。戦時中にも、日本には特高警察というものがあり、国民を監視して苦しめた歴史がある。
つまり、権力とは、常に私たちが監視して、行動を掣肘していかないと、常に暴走し、私たちに害を為すものであるという、先進国、民主主義国では当然、共有されている概念が、日本人にはない。

まぁ、発展途上国だから仕方ないですがね(笑)

たとえば、医療崩壊が起きそうだという、現場の声がある。それを防ぐために、PCR検査を抑えているという「話」もある。
だから「検査しろと言う人は、崩壊に瀕している医療の現場を知らない」と批判されるのだが、これまた全く根拠がない。
さっきの話につなげて、まとめて説明する。

警察官個人を責めても意味がない。
多くの人は、仕事の必要で、自分のやりたくないことを、意思に反して強制された経験があるだろう。個々の警官も、まぁ中には、お墨付きを得て暴力を振るう快感に酔ってる人もいるかも知れないが、基本的には、命令に従って、やむなくやっている。であれば、責めるべきは彼らに命令している指揮系統そのものにある。

私は、警官個人を批判しない。彼らに命令を出しているシステムを批判しなければならない。その命令の元になっている権力の動機を批判する。
PCR検査をするかしないかについても同じだ。

つまり、医療崩壊が起きそうだ。だから検査できない、という現実を認めることは、医療崩壊を防ぐためには、患者を見捨てても良いという原則と同義だ。
もちろん、崩壊してしまえば、患者も見捨てなければならなくなるし、それは世界のあちこちで起こっていることではあるのだけれど。

医療崩壊で苦しんでいる現場の医師達を守るためにすることは、彼らに過重な負担を強いているシステムを革めることであり、命令系統を正すことだ。医療崩壊を防ぐために、検査できません、とは、そもそも、彼らに医療崩壊の危機的状況を与えている、その命令系統そのものからの大本営発表に過ぎない(根拠あり)。それを信じては、何ら根本的な原因解決にならない。

民主主義とは、実に手間のかかるシステムだ。かつ、時に、問題が起こった時に、原因が見えにくいこともある。そして、何度も指摘している通り、時に「決められない」システムでもある。だが、それでも、正しい手続きを守ることは、大原則であり、私たち自身の権利と、生活と、時に命を守ることにもなる。

決めたいからと手続きをすっ飛ばすと、必ず、私たち自身に災いとなって降りかかる。それは歴史上、枚挙に暇がない。それが日本人にはわかっていない。

前も書いたことだが、Brexitを決める過程のイギリス政府とジョンソン首相のやり方を、私は素晴らしい事例だと思って見ていた。それに比べ。

今回、本当に、心から絶望した。とにかく日本人は、何も知らないし、何も学んでない。にも関わらず尊大で、見たいものしか見ない。学ぼうという姿勢が全くない。全く誤った認識で人を叩いて恬然としている。
絶望は心楽しからざることだが、だが、今、絶望の淵にあるという現実は認めなければならないだろう。今後、何を希望として見出すか、それを理解し、次のステップに進むためにも、まずは、今、絶望している現実を認め、見つめるところから始めるしかないだろうと、思っている。

何ごとも、先へ進むために。

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