2020.07.18、CY8ERの解散によせて

 僕が推しているアイドルはたくさんいるけれど、中でも激推ししているグループにCY8ERという5人組がいる。「世界を騒がすガチマヂアイドル」というコンセプトで完全セルフプロデュースで活動しており、メンバーはリーダー兼プロデューサー・苺りなはむ、その盟友にしてCY8ER結成を促した太陽のような女の子・小犬丸ぽち、ラッパーSHACHIとしても活動するキュートな才女・ましろ、一度は夢を諦めるも脱サラして舞い戻った三十路越えのタトゥー入り戦士・病夢やみい、居場所を無くしていた172センチの高身長顔面グローバル担当・藤城アンナ、以上の5名である。

 CY8ERのアイドルとしての特徴はwikiの紹介が分かりやすいので引用する。

「大人たちの事情」に振り回されない、完全なセルフプロデュースにより商業的に成功し、新たなカルチャーを作り出すことを目指して活動している[1]。オリジナルメンバーの苺りなはむがプロデュースや社長業を行いながら、他のメンバーと同様にライブも参加していることからもアイドルの中でも活動形態が特異であることことが窺える。プロデュース担当の苺りなはむがBiS出身であり、事務所運営も苺りなはむが行っているが故に、活動内容には一般的なアイドルが行わないような実験的な試みが多い。活動は非常に急進的であり、2020年までに横浜アリーナでのワンマンライブを成功させる事を当面の目標としている。

 作曲は主にYunomiさんが担当しており、氏の和テイストなEDMと今風東京なスタイルが合体したポップかつ踊れる楽曲が多い。さらに、エモーショナルな曲も多く取り揃え、近未来的でキュートなだけではない芯のある世界観をしっかりと構築しているのも特徴だ。ステージングとしてはメンバーの振り付けに合わせた光線を多用し、そこに秋葉原的な可愛いアイドルの文脈も上手く取り入れられた都会的で洗練されたものだ。

 さて、このCY8ER、結成からの4年間アイドル街道をひた走り、今年の初めについにメジャーデビューを果たした。ファンの誰もがここからだ、2020年の横アリも夢じゃない、ずっとついていく……そう思った。ここにコロナがぶち当たり勢いは翳るかと思いきや、ネットでの活動に軸を移してライブ配信を行ったり、藤城アンナがアイドルミスコン2020の代表として挑戦したり、僕の目から見ている限り、活動は盛んだった。これからもずっと推していける。誰もがそう思っていた。

 そして本日の配信ライブ「伝えたいこと」、60分以上ワンカットの長回しで学校を舞台に見事な演出のライブを行い、その最後に以下の言葉が発表されたのだ。

「CY8ER 2021.1.10 「CY8ERなりの横浜アリーナ at 日本武道館」で夢を叶えて解散します」

 放心、そして涙。

 活動はやはり盛んだった。夢を撃ち抜いてしまえるくらいには。

 解散を聞いて僕の心に去来したのは「嬉しい」と「悲しい」の両方だった。夢を叶えて最高の形で終わる。これは彼女たちの幸せを想えば嬉しいことだ。けれど、この5人だったからやってきたCY8ER、僕の大好きだったCY8ER、いつも元気をくれたCY8ER、そんなCY8ERとあと半年でお別れしなくちゃいけない。そのことがどうしようもなく悲しい。この記事を書きながら気持ちを整理し、今は何とか「おめでとう」と「ありがとう」が言えるくらいにはなった。来年1月にコロナがどうなっているのか見当もつかないし、チケットが当たるのかもわからない。でも、もし僕が現地に行けなくても、とにかく運命の日には笑顔で彼女たちを祝ってやろうと思っている。

 さて、僕はどうしてこんなにもCY8ERが好きなのか。それは「どうしてアイドルが好きなのか」という問いにも通じる。そもそも、僕なりのアイドルの定義とは「アイドルとは生きざまである」であり、アイドル活動がそのまま生きざまとなっているアイドルこそ真のアイドルだと考えている。そして、CY8ERとはまさしく5人のアイドルの生きざまであった。その理由を事細かに説明するとそれぞれのメンバーのここまでの苦労をすべて語らなくてはならなくなり、僕にはとても無理なので「IDOL & READ」のCY8ERの各記事を読んでほしい。

 ただ、簡潔な説明ならばこの苺りなはむのツイートを読めばわかるはずだ。ここには彼女たちの物語、その軌跡がつづられている。

 CY8ERの5人はこれまで、各人のアイドル人生で夢を失ったり、無念の敗退をしたり、居場所を失ったり、大切な人たちと別れたり、数々の困難に直面してきた。「大人の事情に振り回されない」をリーダーの苺りなはむが掲げていることからもその苦労は察することができるだろう。りなはむは元BiSであり、BiSとは「大人の事情でアイドルを振り回す」ようなコンセプトで活動していた。それが売りだったわけである。このことはBiSのマネージャーだったWACKの渡辺氏も自身のyoutube動画で認めている。ここでその賛否は問わないが、欅坂46の平手が脱退したことを象徴に「大人の事情」は若きアイドルたちを振り回し、時にその人生を傷つける。りなはむのプロデュース方針は昨今のそんなアイドル業界に対するアンチテーゼでもあったはずだ。

 さらに、CY8ERがアイドルグループとしての活動に初めから期限を設けていたのは、メンバー全員が20歳を超えていることも踏まえて、「アイドルの価値=若さ」というテーゼへの挑戦のためでもあったと思う。5人のメンバーはそれぞれ「アイドルとしての夢」を追いながらも、様々な事情で挫折してきたいわば敗者であった。その過程を経る中で彼女たちを苦しめた一番残酷な敵は「時間」であったろう。それは年齢として肉体に現れ、「若さ」という価値をじりじりと奪い去っていった。夜が明けるたび、彼女たちは否が応でも自分の「消費期限」を意識することになったはずだ(そんなもの、本当はないけれど、それでも……)。そんな中で結成されたCY8ERとは、いわば彼女たちの敗者復活戦であり、その頂点を極めること、すなわち武道館でのワンマンライブ決定は「アイドルとしての夢」の達成以外の何ものでもない。だから、今は受け入れがたいが、そこでの解散はCY8ERとしてはこれ以上なく正しいことなのだ。

 長いアイドルの歴史を見ても、「アイドルとしての夢」を叶えることができたアイドルなんて一握りだ。ほとんどのアイドルは日の目を浴びることもなく夢を諦め、新しい人生に進んでいく。それが幸せにつながる者もいれば、後悔として一生残る者もいるだろう。僕は自分の推しているCY8ERが夢を叶えられて良かったと素直に思う。アイドルとしての彼女たちを応援してきてよかった。僕の悲しさなんて、5人の激しい生きざまと達成の前では、降って乾くまでの雨粒の如き一過性のものにすぎない。

 CY8ERと出会ってから、僕たちファンは彼女たちと夢を共有してきた。好きになった理由は人それぞれあるだろう。以前からファンだった、フェスで見た、youtubeで曲を聴いた、雑誌やネット、テレビで知った、友人や恋人から勧められた……。だが、好きになっただけで終わらず僕たちがCY8ERを推し続けてきたのは、5人が5人とも夢に向かって限られた時間の中で魂を燃やして活動してくれたからだ。悩みもあったろうし、つらくて辞めたい瞬間だってあったろう。けれども、彼女たちは僕たちを置いて消えてはしまわなかった。夢の場所まで生きてステージに立ち続けてくれた。「時間」と戦い、傷つき、それでも辞めないでくれてありがとう。

 僕はアイドルが好きだが、アイドルは人間のやる職業ではないと思っている。叶うかどうかも分からない夢のために可愛い衣装を身にまとい、ダンスに歌にと身体を酷使し、笑顔を振りまきファンから愛され、世界を魅了しようと自分をプロデュースし続ける。そんなことを10代の女の子にさせるなんて本当に酷だと思う。ましてや20代30代と齢を重ねても夢や後悔に囚われて苦しむなんて残酷すぎる。たとえそれが本人の選んだ道であっても、客観的に見たらやはり「普通」じゃない。狂ってる。彼女たちも夢のためにそんな狂気の技を日々行っているわけだが、完全に役をこなせる人間なんて一握りもいない。誰だって傷つき、苦しみ、絶望する。けれど、彼女たちはそんな絶望の中にあっても、ステージの上では僕たちに笑顔を見せてくれるのだ。ちっぽけで何者でもない僕たちの光であってくれる。アイドルとしての自分を信じ、人生をかけて夢を求めるその生きざまこそがアイドルのアイドルたる証であり、僕たちを魅了する。

 流星が美しいのは、終わりに向かってその身を燃やして輝いているからだ。だから僕たちはアイドルを推す時、せめて忘れてはいけない。彼女たちはただアイドルでいるのではなく、アイドルでいてくれるのだということを。

 アイドルとは本人にとってもファンにとってもいつか醒める幸せ夢であり、そのことはCY8ERのメンバーたちもツイートで言及している。では、幸せな夢を見ている間に僕たちができることは何か。愛をもらった僕たちに返せるものは何か。それはひとえに愛である。愛には愛で返事をしよう。

 解散騒動があるとネットでよく見るのが「推しは推せる時に推せ」という言葉だ。これへの「生活をかけるほど推す必要はない」というような批判は見方によっては正しいが、見方によっては間違ってもいる。たしかに、推しを推すのに生活をかける必要はない。生活をかけて推すというのはもはや狂気であり、それは一般常識に照らせば間違いだ(もちろん、そういう推し方を否定するわけではない。あくまで一般的ではないということである)。けれども、そもそもこの批判は「推し方」、さらに厳密にいえば「推しへのお金の貢ぎ方」への批判であり、「推すこと」自体への批判ではない。貢ぐという推し方も一つの形態だろうが、それが推し方のすべてではない。

 いいだろうか、「推しは推せる時に推せ」というこの言葉のキモは「推せる時」という言葉にあるのだ。「推せる時」というのは、推しが生きており、推しが推しとして活動しており、何より「推しに好きが届く時」なのだ。つまりこれは「アイドルとしての夢」を追い、その身を燃やして輝いている幸せな夢の時間への言及なのだ。

 僕自身にも言おう。CY8ERが解散してしまう前に、好きを届けろ。生活をかけるほど金を払わなくてもいい(かけたいならかければいいが、そういうことじゃない)。こんな長い記事を書かなくたっていいし、グッズ大量購入で何重にも金を落とさなくてもいい(落としたいなら落としてもいいが、そういうことじゃない)。わかってくれ、経済的に無理をしろと言ってるんじゃない。CY8ERをどんな形であれ応援できるのは今しかないと言っているんだ。

 虚空、つまりはTwitterで「CY8ERありがとう」と呟くだけでいい。事務所に手紙を送ったり、ハッシュタグで好きを伝えるのもいい。とにかく今「好きを伝える」ことが何より大切なんだ。「好き」だけでいいのは、解散後だ。忘れないでいればCY8ERは永遠だから。けれど、今ならまだ伝えられる。今ならまだ5人に届く。武道館に行くことができる少数のファンたちよ(そこに僕は含まれるだろうか)、僕たちファン全員分の「好き」をどうか心から叫んでくれ。流星が輝いているうちに、感謝と祝福と未来への応援、そんな三つの願いを「好き」の言葉に乗せて高らかに合唱してくれ。そして、僕たちに幸せな夢を見させてくれたCY8ERの5人と共に「アイドルとしての夢」を達成してくれ。

 そして解散の先には、溢れんばかりの光と共にとびきり素敵な人生が5人の未来に広がっていることを祈っている。

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