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7.16 きょうおもったこと
稽古いろいろ
先月、二ツ目の上げの稽古があり、昨日は真打の上げの稽古がありました。上げの稽古とは、稽古をつけた噺が、ちゃんと出来ているか、高座にかけられるか、見極めの稽古のことです。
上げの稽古は、稽古をつけてあげた藝人にとっても大切ですが、稽古をつけたほうも大変勉強になります。
特に、藝歴が浅い場合、わたしの噺を「よくとってる」な、と思います。似ています。特に、拙いところが。「あー、おれ、そうやってるなー」と思いながら「ごめんね、そこなんだけどさ、おれそう演ってるとおもうんだけど…」と直します。
感心することもあります。なんかすっきりしてるな、聴き心地がいいな、なんでだろう?と、噺を聴きながら、直しながらも考えます。ああ、なるほど、と判ります。ほめます。なんなら、まねして演ってみます。
藝の良し悪しは、藝歴と関係ないところにあることも、しばしばです。
これが、藝歴を重ねると、欲がでたり、ごまかしたり、自分が演りやすくやったり、それがその藝人のスタイルなので、噺がどんどん変わっていくのは当たり前です。ですが、「そこんところは変えずにやって」と、稽古をつけるときも、上げの時もたいてい言います。噺には、何箇所かそういうところがあります。変えてはいけないところ、変えられたくないところ。それがあるから落語なんだよ、というところです。
上げの稽古の場合、前者は落語の基本を中心に、後者はひとつ段階の高いところで、いわば藝談のように、また、抽象的にはなしたりもします。あ、別次元ではなしができるな。ってとき、すこし嬉しくなります。
嬉しいといえば、稽古をつけた噺を、寄席のネタ帳でみつけたときが、一番嬉しいです。わたしがつけていただいた噺がそうであるように、また、この噺がある限り「三遊亭 司」が生き続ける。そんな、藝の遺伝を感じるときです。
書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。