見出し画像

【本】だるまちゃんの思い出 遊びの四季 ふるさとの伝承遊戯考/かこさとし

だるまちゃんの思い出
遊びの四季
ふるさとの伝承遊戯考

かこさとし

文春文庫

   師走のある日、わたしは神保町で、大量の絵本、児童書籍に囲まれていた。4歳児へのクリスマスプレゼントに迷うこと二時間。その二時間は、プレゼント選びに迷うだけでなく、懐かしい絵本に気移りしたり、なかなか深みのある絵本にひきこまれたり、そうしているうちに、プレゼントを決めるまえに、わたしはわたしに買おうと決めた一冊の本を手にしていた。

子どもの頃を思い出すことは楽しい。

   このひと言からはじまるこの一冊は、著者が北陸で過ごした幼少期のなつかしい遊びが、春夏秋冬と、四季に分かれて語られている。わたしにとっては、なつかしいというには、年代も離れてはいるものの、子どもの頃から慣れ親しんだ、著者・かこさとしの絵が、やはり、なつかしい。
   本書は1975年に書かれ、わたしは、1979年にこの世に生を受けた。75年の時点でなつかしい情景が、まして、東京生まれで東京育ちのわたしになつかしいはずもないのだけれど、目の前には多摩川の河川敷がひろがり、近所には江戸時代からの雑木林があり、すこし上流には古墳群の多摩川台公園と、ひとがなつかしいと思う光景が、比較的まわりに沢山あった。

   しかし、本書の持つ意味は、冒頭の一文のあとに語られている。それは、ただ、なつかしむだけではない、ということ。それならば、既刊のその手の本で充分であるとも。最初の刊行から45年以上もたち、子どもたちにむけての、数々の書籍を残した著者も、鬼籍に入ったいまとなっては、わたし自身そうとばかりも思えないのだけれど、かこさとし自身は、このなつかしい遊び、情景を通して、子どものこころを持ち、そのうえであらためて現在いまの子どもたちのありよう、おとなとしての接し方を考え直す機会になれば、と語っている。
   わたしも四十を越したせいか、自分自身の個人的な懐古趣味ではなく、自分が目にした、または、耳にしてきたなつかしいものに、折にふれふれることが多くなってきた。つい先日も、『街の手帖リーディング2』で、そのようなことに触れたばかりである。なので、なおさら、なつかしむだけなら……というのは、そのままわたしへの問いかけにもなった。
   
   なつかしい、の向こう側にあるのは、一体どんな自分だったのだろうか。

書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。