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【落語】初席後記

   きょうで初席の高座もおしまい。なので、令和6年の初席……と、言っても二席だけなのですが、感想というかなんというか。なんですが、高座でかけた落語をああだのこうだの言う気もなく、それはそれで、客席で観たもの聴いたもの、また、感じ方、受け止めて方がすべてですから、それとはまた別に、ね。

   さて、わたしの初席ですが、コロナになってからだったか、その年あたりから、浅草演芸ホールの11時から、四階に上がって東洋館のアタマ、9時半です。早い。最初の年こそ時間変更が頻繁で、10時や10時半でしたが、ここ三年は諸先輩に悪疫流行で仕事がないのか、時間変更の依頼もなく、前座なしの一本目。
   その三年前、もう、ホント、コンディションが悪くって。って、飲み過ぎでしょうね。3人のお客さんの前で、自分の名前を噛んで、10分の間不審な眼で凝視されたまま、終了。翌日はそれをネタにして、まぁ、なんとか、その日のわたしは成仏したのですが、それからというものは、わたくし初席、置きにきております。いや、手堅くいってるの。

   あれから二年目、令和六年の初席。
   三遊亭 司/柳家海舟/柳家平和の三人交互です。

   浅草東洋館 令和六年正月初席 三日目

   初日、二日目は海舟、平和。わたしの初日。ここ二年はふつうの高座着であがっていたが、初席の、それも一席目となるのだからと、紫に中陰片喰なかかげかたばみの紋付、羽織、黄色の縞袴。さすがに9時半。いやぁ、いよいよコロナ禍明け!と、狂喜乱舞するほど客がおしかけて仕方がない。と、いうほどではないが、口開けにはほどのよい入り。朝早く、正月早々、お客さまはありがたい。
   先師四代目桂三木助の命日につき、師の出囃子『つくま』であがり、師匠が前座、二ツ目時代好きだったという『一目あがり』を。時間的にも、客の出入りが多かったが、ちゃんと演り切ると、サゲにむけてちゃんとウケる。2分押し。高座を降りると、一門の立花家あまねが年始のあいさつにきていたので、手ぬぐいとお年玉。
   高座後、谷中の先師菩提寺へ。献花、献杯……師匠、そろそろ煙は線香だけにして禁煙を、と、マルボロライト──いまはそう言わないのね。をひと箱置いてくる。
   地元に戻り、池上本門寺へお詣り。

   浅草東洋館 令和六年正月初席 四日目

   着物で出ようとすると、雨音。よわったなぁと思いながらも雨雲は見えないので、半ばむりやり出かける。
   仕事始めか、京浜東北線はふだんの三割ぐらいには乗客が。そうなると、自ずと寄席の客席は少なくなるとおもいきや、出だしとしてはまずまず、と、言うのも、東洋館の楽屋入りは開演前の開放された扉の前を通るので、自然と目にする。
   下座さんに「きょうはわたしの出囃子でね」と、高座へ。
   噺は同じ。アタマであがるには、縁起のいい噺。ただ、演り方がまったく違う。きのうは間を詰め気味に、きょうはグイグイと笑いにくるお客さんなので、逆に間を取る。25年間、同じウケ方なんてものはない。
   演芸ホールから木馬の前を抜け、観音さまへお詣り。仲見世でさがしもの。吾妻橋をわたり、本所の大師匠三遊亭圓歌菩提寺にて、墓参。錦糸町へ抜ける。

   二日でしたが、ぎゅっと濃い、令和六年わたしの初席でした。

   ご来場、感謝。

書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。