【食】丸赤の紅鮭
焼くと、真白に潮を吹く紅鮭。そんな塩鮭を懐かしいと思うのは、実際自分の記憶なのか、はたまた何度も何度も耳にしてきた話故か。後者であれば、それは記憶や懐かしさでなく、憧憬ということになる。それほど、わたしのまわりには「食」に関して、口うるさいとは言わないが、一家言持ったひとがすくなくなかった。だから、紅鮭はこうでなければならなくて、わたしにとって懐かしく、正しいということになる。
正しいといえば、この紅鮭を買う湯島の丸赤。この店自体が正しい店だ。挨拶に行くとき、詫びに行くとき、丸赤でなければならないというひとが、たくさんいた。いまはどうであろうか。だから、よくもわるくも、丸赤はハレの店で、ハレの食べ物だ。公を指すハレ=晴に対して、ケ=褻は私事だ。かつてはケであったものでも、時の移ろいでこういう変化を見せる。
そこいらにいた一青年が、そういう世界に染まっていくのは一朝一夕のことではない。うちに挨拶にくる後輩に、かつて教えられたように丸赤のはなしをして、彼らがそれをどうするかは、わたしは知らない。丸赤は、この紅鮭だよ、と、あるときわたしは言った。また、あるとき、あの紅鮭を自分でも食べたか、と訊いた。感想までは訊かなかった。
かつて、最初の師匠であった四代目の桂三木助は、同じものを食べ、同じものを好きになり、同じものを嫌いになりなさい、と言った。かつての内弟子修行とはそうであったろう。だが、しかし、三木助は通いで、最後まで内弟子修行を貫いた三代目三遊亭圓歌の下で修練した師匠歌司は、内弟子の弟子だ。皮肉なことである。
師匠や大師匠、先輩方と同じものを食べる、ときにはそれが、盗み食いのときもある。そうして、時をまたいで、憧れの味も、懐かしい思い出の味となる。こうして、老舗の味が守られ、暖簾が守られていくのも、また、事実であろう。
夜中に、そうだ、冷蔵庫に丸赤の紅鮭があったはずだ。と、気がつき、冷蔵庫にアタマをつっこみ、台所に立つ。 隣家も世間も寝静まり、時折、脂の落ちるジュッとした音だけが、わたしの存在というものを証明する。それにしても塩っぱいな、という鮭に師匠を想い、大師匠を想い、先輩を想い、後輩を想い、そのうちにすっかり酔っている。その塩鮭をつつきながら、ひと口残してあくる日のむすびにしようと、そう思うのは、いつものことのような気がする。