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【随筆】六甲颪に颯爽と

球春。

と、いう言葉が好きだ。
わたしが頼りにする相方、日本国語大辞典にも、新明解国語辞典にも載っていないが、たしかに存在する言葉だ。

きゅうしゅん。

春のセンバツ高校野球をもって球春到来と呼ぶか、はたまた今年だったらきのうのプロ野球開幕をもってそれを呼ぶか、春まだ浅き2月1日のキャンプインをもって球春とするか、どちらにしろ球春であることに、こと野球ファンなら異論はないであろう。

さて、我が阪神タイガースは、その本拠地・阪神甲子園球場を、球春ならずとも我が世の春を謳歌している、高校球児たちに譲り渡し、神宮球場に乗り込んでの、2021年シーズン初戦を、きのう迎えた。

結果から言えば勝った。辛勝。

藤浪が完全復活を果たし、新人離れした左の強打者・佐藤輝明の挨拶代わりの一発…と、ファンが贔屓目に描いていたような試合では、決してなかったであろう。藤浪は1回こそ完全復活を期待させたが、5四球に暴投による失点と課題の制球力に不安を残し、佐藤には一発どころかHランプが灯ることは、最後の打席までついになかった。

だが、しかし ー

藤浪はどうにかこうにか、5安打5四球と2回以降ランナーを背負いながらも2失点と粘り、勝利投手の権利を持ったまま、103球でマウンドを降り、新人・佐藤輝明にはヒットもホームランもなかったが、先制となる犠牲フライで打点1がついた。

きのうの戦いぶりを見る限り、宿敵・讀賣は今年も手強く、その背中も遠いかもしれない。だけれども、いかにも、藤浪も佐藤も、もちろん他の選手にとっても「さ、これから!」という試合でもあった。負けなかった。負けなかったどころか、もぎとった1勝、守り切った1勝。

自慢するのもなんだが、14歳のわたしが書いた「六甲颪」という銘文がある。国語の授業で、好きな言葉について書いた文集に寄せた文章で、誰が何と言おうが、あれは銘文だ。どこかにいってしまい、もう25年ほど読んじゃいないが、あれは銘文だ。何度でも言う、銘文。

わたしが好きだったのは、とっても弱い阪神タイガースだ。暗黒時代と呼ばれるころの、阪神タイガースだ。そんな時代を耐えて、忍んできた同志にとって、六甲颪を高らかに誇らしく歌う時にだけ、未来があった。

その、銘文の〆にはこうあったはずだ。

きっと六甲颪の吹く、その日を信じて。

きのうのように、泥だらけになり、もがきくるしみしたその末に、長らく遠のいた「優勝」の二文字がきっとあるはずだ。

それを信じて、勝っていようが、負けていようが、順位表のどこにその名前があろうが、わたしたちは高らかにこの古関裕而、佐藤惣之助による不朽の名曲を、きょうも声高らかに歌うであろう。

阪神甲子園球場の秋風にまじり、きっと六甲颪の吹く、その日を信じて。

書くことは、落語を演るのと同じように好きです。 高座ではおなししないようなおはなしを、したいとおもいます。もし、よろしければ、よろしくお願いします。 2000円以上サポートいただいた方には、ささやかながら、手ぬぐいをお礼にお送りいたします。ご住所を教えていただければと思います。