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いつのまにか奪われている思考|『モモ』の目で観る哲学の話#2

せめて自分に、自分の手が届くくらいの人に、世界をよく見る機会を届けていけたらいいなと思う。ミヒャエル・エンデ『モモ』のなかで、小さな女の子「モモ」が円形劇場で町の人の話をじっと耳を澄まして聴いていた。そのくらいの規模感で。そして、それはきっとむつかしい話じゃなくもっと日々に近いことのような気もしている。

ー『モモ』の目で観る哲学の話#1 より

ただただ歩いているといつの間にか通り過ぎてしまう。私たちは見ているようで見ていない。知っているようで、実は知らない。世界をよく見るために。自分で考えて生きるために。手がかりのひとつは「てつがく」のなかにあるのではないか。
これは、私が個人的な探求としてマイペースに行う、哲学的な対話をめぐるフィールドワーク的な試みとその記録。「てつがく」する現場に足を運び、参加をし、画面を覗き、潜り込んで、場を作る。本も読む。

「読もう読もう」と思いながら、なかなか進まなかった『夜と霧』。根津の往来堂書店さんで手に取った日を懐かしく思う。読み終えたのは2022年7月。東京からの帰り道、電車のなかで読み終えた。夏なのに鳥肌立っていた。

『夜と霧』を読もうと思ったことと、哲学対話の探求をもう一度始めたいと思ったこと。この2つは私の深い部分で関係している。


アウシュヴィッツで考えた、本当に大事なことってなんだろう

世界一周ひとり旅に出かけた。大学4年生の1年間を休学し、半年間でお金を稼ぎ、半年間を海外で過ごした。

2013年1月も終盤だったと思う。鼻水も凍りそうな極寒のその日、ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所にいた。

旅の途中、どうしてもいきたい場所だった。その日はたしか、たまたま慰霊祭かなにかで、生き残った人達や家族が花を手向けに来ていた。

その場所は、博物館になっている。博物館は何かの意図のもと編集されているのだから、そこに残された"事実とされたこと"が"本当のこと"かどうかはわからないと思っている、当時も今も。

でも、目の前には「生き残った人」として生きている人がいるという事実が、そこで家族が亡くなった人がいるという事実があった。

あたり一面雪で真っ白。モノクロの世界にいると錯覚してしまいそうだった。真っ赤なバラの花を1本だけ持ち、祈っている人の姿は今でも忘れられない。

ガイドをつけないと中には入れなかった(当時)ので、中谷さんという唯一の日本人のガイドさんに、収容所内を案内してもらった。

その時に聞いた話が印象的でずっと頭に残っている。

ヘスという人の話。調べたらもう少し文献とか出てくるのだろうかと思いながら、いまは記憶を頼りに。(あとでもう少し調べてみたい)

ヘスは第二次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の所長をしていた。ナチスからの命令を受け、指示を出し、収容所を動かす。ガス室の虐殺も、過酷な労働も、劣悪な生活環境も。自由を奪うその指示を出した人。

彼の住処は収容所の目と鼻の先にあった。庭にはブランコ。悲惨なことが起きているその横で、子どもたちはブランコや鬼ごっこで遊んでいた。ヘスはその場所で家族とともにしあわせに暮らしていたという。

彼の指示の裏にはもちろんナチスの存在があった。彼はただその指示に従っていただけだった。もちろんそうしなければ自分の命も家族の安全もない、そういう恐怖もあるだろう。今となってはどんな心情だったのかはわからないが、悲劇は起きてしまった。

戦争が終わりヘスは処刑されることになる。処刑前に子ども宛に書いた手紙の内容。

『(前略)
勉強をしなさい。

誰かの言いなりで生きるのではなく
今起きていることの本当の意味は何であるのか、
本当に正しいことは何であるのか、
自分で判断をできる人になるために。

たくさん勉強して、たくさん本を読んで、立派な大人になるんだ』

当時の旅日記から引用。完全引用ではない

この言葉を自分の子に残さざるをえなかった彼の気持ちを考えると苦しくなる。ナチスの言いなりに生きた人生だった。自分は正しいことをしていると信じていた。でも本当は虐殺なんてやめるべきだと言うべきだったと、後悔をして死んでいったという。


哲学を日常のものにしていくための歩みを

だれかから聞いたことや流れてくる情報を一方的に信じて判断するのではなく、だれにも惑わされることなく、自分で考え、判断する力を持ちたい。

そのために、本を読み、学び、考えることが大事だと思っている。
誰かと言葉を交わし、違いを受け取り合う時間が大事だと思っている。
違和感を感じ取れる感性を殺さずに、純粋な疑問を大事にできる社会が大事だと思っている。

これらを実践できるのが哲学対話の場だと思うのだ。偉人の残した哲学を学ぶのではなく、哲学を日常のものとして使っていくこと。その可能性を個人の歩みのなかで探求していきたい。

戦争も起こっている。痛ましい事件も起こっている。言葉にならない複雑な感情とやるせない今を思いながら、そんな今だからこそまずは自分から。

本を読んで、考えて、自分の目で見て、いろいろ知って。自分の頭で善し悪しを、ちゃんと判断できる人でいよう。素直に聞くだけではなく、従うだけではなく。自分がなぜこれがいいのかを考えながら、ゆっくりでも、ひとつひとつ。自分に言い聞かせながら哲学することを続けていきたいと思う。

いつか読まねばならないと思っていた『夜と霧』を、やっと読んだ。

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