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ゴリラのお気楽論考術5

猿人全開ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
サンシャインゴリラ🦍でございます

ゴリラと人間の観察合戦と称して論考術を書いております。
今回は客観的議論の意味について書きたいと思います。
相手のことを考えずに自分の意見だけドバーッと話して、相手の話を聞かない、関心を見せない人。いるよね。普通に会話していてその人の気質が無意識に出ているだけならまだしも、議論と交渉が入る場合は用心した方がよい。俺はどっちかというと獣の部類だから自分の意見だけ話しがちだ、飼育員と上手くやれるようにしないとな。

1)客観性とは

客観
1 観察・認識などの精神活動の対象となるもの。かっかん。⇔主観。
2 主観から独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。⇔主観。
3 当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考えること。また、その考え。かっかん。
主観
1 ラテン語のsubjectum(下に置かれたもの)に由来し、スコラ哲学以来、18世紀ごろまでは性質・状態・作用を担う基体を意味した。近世以後は認識し行為する人間存在の中心である自我をいう。特にカントでは、先験的意識としての主観が設定された。⇔客観。→主体

(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%A2%E8%A6%B3_%28%E3%81%8D%E3%82%83%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%93%29/)より引用

(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%BB%E8%A6%B3/#jn-104917)より引用


https://twitter.com/daminist/status/1209098674711584769より引用

天井の上からバナナが吊るされているとしよう。バナナと天井は主観から独立して存在する外界の事物である。さっき引用したWEB辞典にある通りです。人間もゴリラも自分の視点から「天井の上からバナナが吊るされている。」と主観の事実を作り出すことができる。

人獣共に観測範囲には限度があり、観測範囲外における事象については推測をする事によって補うことで主観を保つのである。人間なら目を閉じたり、ゴリラの目の前にカーテンや仕切り板が出てきて、バナナが見えなくなるとしよう。両方共にバナナは見えないけどまだそこにはぶら下がっていると思うわけだ。これを推論という。人間が真実を認識しなくても知らないところで真実があり、それを「観察と推測」で見つけ出すことが客観的な意見であり、議論の基本ということである。

2)論破って怖い

「論破」という言葉があるが、無理矢理自分の意見を認めさせる行為については議論の場において相応しくない。
勝負なんか付けようとすると脅迫じみた物の言い方になるのは必然。
「ハイハイわかったよ、あなたの言う通りだ」というリアクションの先に、相互にとってよい関係性はない。最初から利害関係と見えない上下関係にある立場だという事が明るみになる。言う方は先のことを考えてはいないので静かに離れる方がいい。会社内同僚や上司との、とりとめのない話をするだけでこういう目に遭う人はとても気の毒だと思いました。



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