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介護保険物語 第6回

こんにちは!
社会福祉法人サンシャイン企画室の藤田です。

今回もやってまいりました、「介護保険物語」。
お待たせしてごめんなさい、の第6回です。
今回はもう、長くて大変です。

さあ、まいりましょう!

■大事件「コムスン事件」

藤田 今日もよろしくお願いします。

森藤部長(以下敬称略) よろしくお願いします。

藤田 今日は介護保険施行後の2回目の改正となる、2009(平成21)年5月施行の改正に関してお話を伺おうということなんですが、その前に、この改正に至ったその原因となったと言いますか、2006年の師走に起きた大事件「コムスン事件」についてお話を伺いたいと思います。

よろしくお願いします。

森藤 よろしくお願いします。

藤田 この事件が起きた当時って、村上さんとか堀江さんとかが株を買い占めて、フジテレビをどうこうしようとしてた、あの頃と同じ時期でしたっけ?

森藤 う~ん。どうだったかなあ。同じ頃だったかもしれませんねえ。

藤田 コムスンの折口さんって村上さんや堀江さんと同じ感じがしますもんね。

※その後の調べによりますと、「村上ファンド事件」(ニッポン放送株でインサイダー取引をした)は2006年6月村上さん逮捕・2011年6月判決確定、堀江貴文さんの「ライブドア事件」(有価証券報告書の虚偽記載)が2006年1月堀江貴文さん逮捕・2011年4月実刑確定、という、ほぼ同じ時間の流れで起きた事件でした。

ということで、まず「コムスン事件」の概要を記させてください。

ここで下の表でざっと「コムスン事件」の流れを押さえていただいて、押さえていただいた前提でお話を伺いたいと思うんですが、大きな流れで言うと、どうなりましょうか?

コムスン年表

森藤 そうですね。大きな流れで言いますと、2000年に介護保険が施行されて、コムスンが最初の大手の参入、というイメージがありますね。大手っていうと、ニチイ学館とかツクイとかあるんですけど、実際にどちらが先か後かはともかく、その後に起きる大事件のせいでわれわれのイメージとしては、コムスンしか印象になかったですね。

※後の調べによりますと、「ニチイ学館」は1968年医療事務業務を専門として創業、1996年に在宅系介護サービスを中心にヘルスケア事業を開始、2007年にコムスンよりグループホーム、デイサービス等を継承し居宅系介護サービスを本格展開、2020年3月期の単独での売上高2525億円、従業員数34076人。「ツクイ」は1969年土木業として創業、1983年介護事業に進出、2002年土木業から撤退、2016年3月期の連結での売上高668億円、従業員数3618人。

介護保険が始まって、一躍世間の注目を集めるようになり、一大ブームが巻き起こったところに、介護事業がまるである種のベンチャー事業であるかのように介護業界に参入し、巨大事業展開を行なったのが、折口雅博氏率いるコムスンだったんです。

折口氏と言えば当時、ソフトバンクの孫正義氏やワタミの渡邉美樹氏などと並べ称されるベンチャービジネスの旗手などと持て囃されていた人物だったわけで、表にもありますが、東京芝浦に巨大ディスコ「ジュリアナ東京」をプロデュースし若者たちに絶大な支持を得、時代の風雲児などと注目を集めていた人です。

そんな人物が介護業界で大々的に事業展開するものだから、いよいよ介護業界にも春が来た、などと介護事業従事者たちが思った、かどうかは知りませんが(笑)、介護業界に与えた影響はメガトン級でした。

藤田 メガトン!

森藤 ええ。当時の他の介護事業者がかすんで見えるくらいの勢いでしたからね。

もし、あのままコムスンが順調に事業展開を続けていたら、現在の介護業界の様相もずいぶん変わったものになっていたかもしれませんねえ。


■折口さんとコムスンの結びつき

藤田 なるほど。でもちょっと不思議なのが、この六本木ベルファーレの折口さんが、福岡でコムスンをやってらした榎本さんと、どうやって知り合ったのだろう?ということなんです。

で、調べてみましたら、折口さんは子供の頃からお父さんの介護をされてて、家族介護は気持ちが入りすぎてダメだと感じて、民間が介護をやった方がいいという考えをそもそもがお持ちだった。そこへ1997年になって介護保険制度ができると聞いて、やろうと思われたらしいんですね。

ある勉強会に厚生官僚の方がいらして、その方から介護保険ができると聞いて、よしやろう!そして、やるなら介護業界のリーダーになってやろうと思われたというんです。

トップ企業になって、自分の理想とする介護のあり方を広く知らしめよう、と。

で、同じ方かどうかはわかりませんが、やはり厚生官僚の方に、コムスンの榎本憲一さんを紹介され、お会いになって、意気投合し、一緒にやることになった、ということのようです。

それにしてもコムスンである必要があったのだろうか?とは思いますね。

で、コムスンは介護保険制度が始まる前の年までは13拠点だったけど、2000年4月のスタートに合わせて、一挙に1200拠点にされたらしいですね。

この拠点っていうのは、全部訪問介護事業所だったんでしょうか?

森藤 そうです。当時民間が手っ取り早く入れるのは訪問介護だったですね。事務所と人がいればいいんですからね。

でもそれにしてもコムスンは急ぎすぎたんですね。

藤田 先のネット記事にもあるんですが、折口さんは「スピードが破壊力を生む」とおっしゃっておられますね。

もう、グイグイと、自動車のアクセルを思いっきり踏み込むようにして介護業界を席巻しようとされたのでしょう。


■コムスンのつまずき


森藤 しかし、ものごとはそう簡単にうまくいくようにはなっていないんですね。このコムスンの運営状況にはいろいろな問題があり、一部の内部告発や監査などにより、隠されていた不正が次々と明るみに出ます。

あまりの急テンポな業務拡大で相当無理な運営が行われていたようです。不正のもっとも典型的なものが、人員の架空配置だと言われています。

でも利用する側が不正だ、不正だと言っても、ヘルパーさん自身が利用者さんのところでね、何か悪いことをするわけじゃないんですよ。組織のマネジメントの問題だから、利用者さんにとっては関係ないんだよね。

人員配置基準っていうのは国が決めてることで、実際の利用者さんにとっては、ちゃんとサービスしてくれてるんなら、そんな不正は関係ないんですよね。

藤田 でもそこへ監査が入るわけですよね。

そこでお伺いしたいというか、整理しておきたいのですが、「監査」とか「実地指導」とかありますが、あれはそもそもがなになんです?


■実地指導と監査

森藤 監査や実地指導というのは、法によって規定されている、行政側の権利の施行のひとつなんですね。

介護関係のものだけ、ちょっと整理してみましょうか。

介護保険施設が指導や監査を受けるときは、その根拠となる法律があるんです。

指導監査等の根拠規定

この表を見るとわかりますが、うち(サンシャイン)なんかは、社会福祉法人として特別養護老人ホームをやってますから、

①社会福祉法による一般監査(法人監査)
②老人福祉法による一般監査(施設監査)
③介護保険法による実地指導

を定期的に受けてるわけです。

少しずつ効率的にしようという行政側の動きもありますから、次第にその頻度は下がっていってますが、まあ大変です(笑)。

藤田 なるほど。本当ですねえ。これ全部主に森藤部長が対応されてるわけですか?

森藤 いえいえ私一人が対応しているわけではなく、法人の各部署の責任者が監督官庁の役人と丁々発止とやりあっているんですよ(笑)。

それにしても考えてみれば、わたしなんか、措置時代から何度監査を経験してきたか、わからないぐらいですよ(笑)。

だいたい、措置時代に実施されていた社会福祉法人に対するいわゆる監査では、職員に対してどういう給料を支給しているかということを把握するために職員の給料明細を一人ひとり事細かくチェックするんですからね。

その際法人の給与規程(公務員に準拠したもの)と照らし合わせて、規程にない手当などが支払われていないか、規程にない昇給が行われていないか、理事長や施設長などのいわゆる鶴の一声的な指示で職員の給与が意図的に上げ下げされていないかなど、かなり厳しく見られたものですよ。そのときもし、監査役人の納得のいかない事項があったら、問答無用で是正するよう求められたものです。

まあ、そもそも社会福祉法人にとっては行政というのは一般の会社でいえば、大株主みたいなものですからね。法人側から見れば行政はなんでこんなにうるさく運営に口出しするんだろうと思いがちですが、行政側から見れば行政がお金を出しているんだから、口出しするのは当然だろう、いやむしろ監督する義務があるという感覚なのでしょうね。

一度ちょっと変わった監査の経験をしたことがあります。

あるとき、監督官庁から電話があり、○月○日頃監査を行いたいのだがいかがか、というので、ちょっと待ってください、今頃監査とはどういうことか、と聞いてみると、実は、このたび国の会計検査院の監査が実施されることになっているのだが、これは、会計検査院が、各監督官庁が社会福祉法人に対して適正に監査を実施しているか実地検分するためのものなのだ。

つまり、会計検査院が社会福祉法人に対して実際に監査をしてみて、運営が適正に行われていないところなどを監督官庁が見逃したりはしてはいないか確認するものなので、その場で法人に間違いを指摘したり、是正を求めたりするものでは決してありませんので、よろしくお願いします、とのことでした。

なんだ、それならあわてて書類に印鑑を集めなくてもいいな、とか、多少ボロが出てもいいか、なんてちょっと気楽な気持ちになったり、監督官庁もさらに上の組織から監督されて、ご苦労なことですね、などと思ったものでした。ほとんど緊張感のない監査というものはそのときが初めてで最後の経験でした。

それともう一つ、これはどうしても言っておきたいのですが(笑)、平成12年度にあった監査でのことでした。平成12年度実施の監査ということは、前年の平成11年度の運営についての監査なので、措置時代最後の監査ということになるのです。

そこで、監督官庁と法人幹部との間である件についてちょっとした論争が生じました。そのとき監督官庁の役人が「すみません。この件について厳しく言うのはこれが最後なので、言うだけ言わせてください。」と言ったのです。

つまり、是正するかしないかはお任せします。介護保険制度になった平成12年度以降はこの部分は問題にしませんよ、措置制度時代とは違って介護保険制度になったら運営は各法人の責任において展開してください、ということだったのでしょう。


■コムスンに対して一斉立入検査

藤田 はああ。それはどうも、ご苦労さまでした(笑)。

それで、コムスンに話は戻りますが(笑)、表によると、2006年の6月までは順調に儲かっていますが、同じ年の12月になると利益がマイナスになっていて、同じ月に東京都がコムスンに対して、一斉立入検査に入ってます。

このあたりの事情はどんなものだったのでしょうか?

森藤 ここに西村栄一さんという、かつてコムスンで支社長までやられていた方が書かれたテキストがあるのですが、

これによりますと、コムスンは破局に至る2006年12月以前より、全国各所で少しずつ実地指導を受けており、返還金額もそれなりに払っていたようなんです。それが次第に返還金額が大きくなり、それまでは実地指導で済んでいたものが実地指導で終わらずに、監査にまで及ぶ例も出始めた。

ここで一言、いいでしょうか(笑)?

サンシャインは監査と実地指導、両方受けていることは先に述べましたが、これら両用語を何となくごっちゃに使っている人がいるんですね(笑)。

でもこの二つは明らかに別物です。実地指導というのは介護保険法に基づいて介護報酬が適正に請求されているか実地の資料を見ながら間違いがあれば報酬の返還をさせ、修正が可能であれば再請求をさせたり、という指導を行うもので、「おたくら悪いことをしてるな、懲らしめるぞ」というようなものではなく請求が正しく行われるよう“優しく”ご指導してくれるのが実地指導なのです。

ですから、何も怖がるものではありません。ただし、ミスが大きいと大きな金額の返還になるかもしれないので、普段から大きなミスをしないよう気を付けることは重要ですね。

そして、この実地指導のときかなり悪質と思われるような不正、たとえば架空の人員配置などがみつかったり、指摘されたミスなどに適正に修正などしなかったりしますと、これが介護保険法に基づいた監査へと発展し、さらに厳しい追及を受けることになり、場合によっては「おたくら悪いことをしてるな、指定を取り消すぞ」ということになるのです。

コムスンの場合はそこまで行ってしまったということなのです。

すると急に、「イケイケ、ドンドン」というそれまでのコムスン流攻めの運営から「法令遵守第一」の守りの運営に変わっていったそうです。ですがなにせ大企業ですから、軌道修正するのが大変で、拒絶反応も大きかったようです。

この記事では、当時コムスンがやっていた「不正」の手口も述べられていますよ。


■コムスンのやっていた不正

森藤 ①新規開設時に、実態のない職員の資格証と労働条件通知書などを提出していた。
いわゆる「名義貸し」ですね。
②専従の管理者が退職して不在の期間があるのに、出勤簿や賃金台帳を作成していた。
③訪問介護で単価の下がった生活援助を、身体介護に変更するよう会社主導で行った。
いわゆる「会社ぐるみ」です。
④売上目標達成のため、新規契約を結んだように装って、利用者の負担分を自腹で払っていた。
利用者負担の1割を事業所で負担し、新規契約を結んだように装ってました。
⑤訪問介護計画の未作成の過去のものを、指導監査の通知のタイミングで一斉に作成していた。
⑥社内ケアマネが法人内の売上貢献のために他サービスと連動して、成果に対する報奨金制度を受けていた。
これは前回まで取り上げていた2006(平成18)年4月施行の介護保険改正で取り上げられた「特定事業所集中減算導入」に関連しますが、この改正はコムスンの影響だったかもしれませんね。

この次の改正、2009(平成21)年5月施行の介護保険法改正こそは、コムスン事件を受けてなされたと思われますが、この記事を見ますと、その前の2006年の改正にもコムスン事件が関係していたのかもしれません。

藤田 なるほど。2006年12月になって一斉に不正がドンと出たわけではなくて、それ以前から少しずつ、その綻びは露呈していたわけですか。それでその綻びが大きくなる前に取り繕おうとしたけど、もうとても間に合うような状況ではなかった。

森藤 そうですね。ですけどその状況から、コムスンはさらに自ら墓穴を掘るような行いに走るんですね。

藤田 ほう?墓穴を掘る?


■自主廃業による処分逃れ

森藤 少し詳しく述べますと、2006年12月の東京都の監査は18日から26日にかけて行われるという、非常に大掛かりなものでした。でも、その対象になったのは、実はコムスンだけではなく、他の大手の業者も対象になっていました。

そうして東京都は都内の183ヶ所の事業所のうちの53ヶ所に監査に入った。

結果は、コムスンのみならず、訪問介護大手のニチイ学館やジャパンケアサービスの事業所でも介護報酬の不正請求が発覚しました。

でもやっぱり中でもコムスンの銀座ケアセンター、奥戸ケアセンター、千歳船橋ケアセンターの3ヶ所は悪質で、東京都はこの3ヶ所は指定取消処分が相当と判断しました。

指定取消処分は当時の法律に則り、2007年3月23日の聴聞会を経てなされる予定でした。取消ということになると、これらのケアセンターはそれから5年間は指定の更新を受けられません。

ところがここでコムスンは、驚きの禁じ手を打って出ます。

藤田 ほうほう。それはどういう?

森藤 それら3ヶ所の事業所、2007年3月23日まではなにもなかったように営業を続けておきながら、3月23日になって突然、自主廃業してしまったんです。

藤田 自主廃業!?それだとどうなるんですか?

森藤 自主廃業してしまえば、取り消そうにもその相手がいないわけですから、所轄庁である都としてはなにもしようがない。それでそうした事態が収まった頃になって、つまりほとぼりが冷めた頃を見計らって改めて事業所設立の申請を出せば、都としてはそれを受け入れざるを得ないわけです。

藤田 はあああ?そうなんですか?

じゃあ、5年待たなくてもいいわけですか?

森藤 そういうことです。すぐに申請して、また新しく開設できるというわけです。

藤田 はあああ。やりますねえ、コムスン。

森藤 でもこれで終わりじゃないですよ。こんなことされて黙ってる行政じゃないですから(笑)、厚労省は2007年4月10日になって、全国のコムスンを一斉監査するよう都道府県に指示します。

すると5都県8事業所で、不正が発覚します。

このうち青森県と兵庫県のケースは悪質で、指定取消処分に該当しました。

するとコムスンはいずれの事業所も、またもや処分が下る前に自主廃業して処分を逃れようとしたんです。

実は2006(平成18)年4月施行の改正では、不正を行った事業所を1ヶ所でも抱える法人は、すべての事業所において、今後5年間、新規指定や更新を受けることができない、といういわゆる「連座制」という法律が作られていました。

これによって当時2018ヶ所あったコムスンの事業所は、5年後には426に減ってしまうことになります。

コムスンの樋口公一社長は、6月8日の記者会見で、この連座制のことを持ち出し「お客様へのサービスができなくなる。雇用も守れなくなる。だから(自主廃業による処分逃れを)やった」と述べています。

藤田 なるほど。それで、処分逃れはうまくいったのですか?


■コムスン、逃げおおせず

森藤 いいえ。うまくはいきませんでした。

2007年6月6日、厚生労働省はコムスンの介護保険事業所に対して、新規及び更新指定不許可処分を出したのです。でもこの処分の法的根拠は何なのかよくわかりませんけど(笑)。

それを受けてコムスンの親会社GWG(グッド・ウィル・グループ)は、同日、コムスンのすべての事業を同業の連結子会社「日本シルバーサービス」に譲渡すると発表します。

当初、これに対して厚生労働省は、この譲渡自体は違法行為ではないので容認する考えでした。

ところがそこへ苦情の電話が殺到し、世論に押される形で、6月7日、この譲渡を止めるようGWGに要請(行政指導)しました。

6月8日にはコムスンの樋口社長が辞任、13日にGWGはコムスンだけではなく、グループ全体で介護事業から撤退することを表明したのです。

藤田 ははあ。ようやく一件落着ですね。どうにも大変な事件でしたね。

でも今こうして振り返って見て、どうでしょう?
結局なにが悪くてこんな事件が起きてしまったんでしょう?
コムスンがすごい悪者だった、ということなんでしょうか?
そもそもコムスンはなんだってこんなことをしでかしたんでしょうか?

わたしたちとしては、この事件からどんな教訓を学ぶべきなんでしょうか?


■コムスン事件から言えること

森藤 そうですねえ。

いろいろと言えることはあると思いますよ。

まずひとつには、介護事業というのはベンチャー事業でも何でもなく、極めて収益性の低い事業だということです。そのことがこの事件によって、あっけなく露呈してしまった、と。

でもちょっと考えて見てください。そもそも介護事業というのは、社会福祉法人という非営利団体の専売特許的事業だったんですよ?つまりその事業で利益を上げるということは全く想定されておらず、国の決めた措置費の中でそこそこ事業を継続していただければいいですよ、決して大金を儲けてやろうなどゆめゆめ考えてはいけませんよ、という事業だったんです。

そのあたりは一般の株式会社などとは事業所風土が全く異なってますよね。

また、この業界の職業、特に介護職がそうですが、この職業で収入をたくさん得ていい暮らしをしてやろう、などと野心を抱くような若者がやるような職業じゃあ、全くないわけです。

藤田 ということは、そのあたり、介護事業という、わたしたちがやっているこの事業の本質的なところを、グッドウィルの折口さんは、見誤ったのじゃないか?ということでしょうか?

でもじゃあ、措置時代はともかく、これからも介護事業はこんなに収益性が低い事業のままでいいのか?という疑問というか問題が強く浮かんでくる気がします。

森藤 そこは折口さんの行動を見てみると、面白いと思うんです。

2006年から7年にかけて、コムスンは次々と不正を指摘され次々と指定取消処分が下されていった。にもかかわらず、当時の法の目を掻い潜るようにして、自主廃業による処分逃れをしようとするわけですが、折口さんはどうしてそこまでして、介護事業にすがりつくというか、関わりを止めようととしなかったのか?という点です。

普通なら、もういいや、と手を引いてもおかしくはないレベルの指弾の受け方でしょ?

でも折口さんはあの手この手で介護事業を手放そうとはしなかった。

藤田 本当ですね。面白い。なんでなんでしょう?

森藤 それはですね、介護事業をビジネスの視点で見てみると、これからますます少子高齢化が進んでいく中、回収リスクのほとんどない介護ビジネスが、父親の介護などで苦労してきた折口さんには大きな可能性のある市場と映ったのじゃないでしょうか。

藤田 なるほど。だからああまでして事業の継続にこだわられた、と。

森藤 とは言うものの、先程も述べましたが、介護保険制度が始まったときの介護報酬は措置時代の措置費をベースに設定されているので、そのレベルの介護報酬で企業として大きな収益を上げるのは、まあほとんど無理でしょう。

それに加えて介護報酬というものは3年ごとに改定されることになっており、過去3年間に収益が向上した事業についてはその改定で決まって報酬の引き下げが行われていたんですね。

その中で一番貧乏くじを引かされたのは多分通所介護でしょうね。とにかく、収益を上げれば上げるほど次回の報酬改定で下げられるんですから、たまったもんではないですね、やる気失くしますよね。


■2009(平成21)年 介護保険改正

藤田 そうですか。そうなんですね。

ともかく、このコムスン事件を受けるような形で、2009(平成21)年の介護保険改正がなされました。

その内容は、

①業務管理の体制整備
②本部への立入検査権限の付与
③処分逃れ対策
④指定・更新の欠格事由の見直し
⑤サービス確保対策の充実

というもので、不正防止・法令遵守に終始する、コムスン事件への対応策の設立・拡充という内容ばかりでした。

森藤 そうですね。これに特に付け加えることはありませんね(笑)。

藤田 今回はいつもに増して長くなっちゃって(笑)。疲れましたね(笑)。

森藤 そうですね。

藤田 じゃあ今回はここまでということで、ありがとうございました。

森藤 こちらこそ、ありがとうございました。


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