うつ病(自律神経失調症)になったきっかけ
こんにちは。
プロフィールに書きましたとおり、私は現在闘病中の身です。今回はそれに至った経緯について書きます。非常に不快な内容ですので、苦手な方はブラウザバックを推奨します。
結論から言いますと、上司のパワハラによるものです。
4年前、ちょうどコロナが流行して、誰もが易々と職場に行けない事情があった時です。
すでに社会人の方はあの頃の記憶はまだ残っていると思いますが、あの頃は誰もが現状を打破できない、辛酸を舐める日々だったと思います。
特に教師は、自分の家庭だけでなく、休暇中の生徒のことまで考えて書類を用意したり、課題を配布したり、健康調査や生活のことまで考えないといけませんでした。
私は当時はとある大阪の進学校に勤めていましたが、そこにはとてつもない威厳を持った英語主任の先生がいました。
その先生を上司Aとします。
その上司Aは英語の知識が非常に深く、英語好きな私でさえも尊敬と畏怖するような方で、様々な参考書や辞書の編纂に携わるほどの者でした。
私はその上司Aの英語の考えが好きで様々なことについて学び得ていました。
その一方で、周りの先生方からの評判は最悪で、いつも采配は1番良いクラスを持ち、1番良い成績を残したと言い張り、他人を見下し批判し、正論をかまされたにも関わらず、後日私にその事で裏でグチ愚痴とその先生の批判をしたりしていました。
器の小さい人間でした。
私はMBTIで「ザ・仲介者」と言えるほど仲介者的な役割を担っており、1年間その上司Aと周囲の人とうまく付き合っていました。
それでも、一部の人は「あいつ(私)は上司Aの回し者や!」と私を揶揄していました。
正直な話、私からすれば、上司Aもその一部の人も「器が小さい」としか思っておらず、いつも平和的な解決法がないか、を考えていました。
しかし、上司Aは更に悪いことに、その数年前に、胃癌に罹り、私がその学校に赴任した頃にはもう余命数年と言われていました。
私は赴任してすぐに高1学年の副担任に任され、また高1学年の英語指導を上司Aと上司B(上司Aよりも年上)と一緒にすることになりました。
最初は楽しかったです。
毎日英語のことを聞いて、考えが深くなっていくのを感じ、英語指導も良くなっていたと感じていました。
一方で、その上司Aは体調不良で休暇をとりがちだったのもあり、上司Bと手分けをしながら上司Aの分まで補って仕事をやっていました。
一度、こんなことがありました。
2019年度は大阪G7もあり、比較的に休校が多い時でした。
なかなか英文法の授業(当時はまだ英語表現Iの頃)が進まず、テスト範囲も1年間で教科書を終わらせるのに無理がありました。
上司Aは厄介なことに、英表Iの担当をしていませんでした。
上司Bと相談して、テスト範囲で生徒の負担にならないようなテストを作ると決めました。
その事を上司Aに私が言ったところ、「は?なんで終わらんの?進むの遅いちゃうんか?1年間でこの教材を終わらせるようにと言ったよな?それは外部から見て都合が悪いんちゃうんか?」と言われました。
それは承知の上での提案だったので、私は「今年は休みが多く、授業の進行がイマイチです。1年間でこの教材を終わらせるのは極めて難しいです。上司Bと相談した上で、テスト範囲を予定より狭めました。」と言ったところ、
「そんなもん、知るか!それはお前らの能力が足らんだけちゃうんか?そんな事俺に言われても知らんわ!」と突き返され、「せめてここの分野までやれ(予定より+3つ先の分野)。」と無理難題を突きつけられました。
「それは流石に生徒の負担になりますのでできません。」というと「そんなん知らん。理由にならへん。それはお前らの能力の問題やろ。やれや。」と言われ、無理矢理に納得させられました。
その上司Aはその後すぐに離席して授業に行きました。
その時、上司Bが無言で教科書を机に叩きつけているのを見ました。
「あー、上司Bは俺も敵側に見られているんか。ていうか上司B、お前もなんか言えや。」と内心悔しく辛く思いました。
また、こんなことがありました。
高校入試問題を作成している時に、大量印刷するまでに問題を大きく変更しなければならなかった事態が事前に発覚し、問題を作り直しておられる先生がいました。
教科会議の時にその修正案を全員で確認し、本刷に間に合わせました。
【ここから爆弾投下】
しかし、肝心なことに選択肢を変えていなかったことに誰も気づかずに試験が始まってしまい、生徒から「答えがない」と言われ、教科内でバタバタしていました。
私はとにかく担当を任された問題だけを答え合わせをしていましたので(そこで愚痴愚痴言う面倒な爺さんもいたが)、完全に蚊帳の外で見ているしかできませんでした。
とりあえず、その時はなんとか解決し、事後になって教科内での反省会を開きました。
私は正直、上司Aが「最後まで確認しなかった私が悪かった」と言ってくれるのかな?と見ていましたが、上司Aは主に英語入試担当をしていた2名を会議で晒し上げにし、「とりあえずこの問題は〇〇としておく(これは明言できません)。だが二人には責任を取ってもらう。」と言い捨てていました。
私は「これは英語科全体の問題やろ・・・」とドン引きした目で上司Aを見たと同時に、恐怖感に襲われました。
その先生方はどのような責任を取ったかは知らないが、そのうちの1人の先生が1年間留学のため休職してしまいました。
元々その予定だったのか、責任としての取り方なのか定かではないので、これ以上は何も言えません。
そんな悪行をしながら2020/2/28に、コロナ感染者が大阪で広がり、急遽、休校措置が取られるようになりました。
教員はこの事態に生徒のために何かできないか?と考え、悩み抜いた頃でした。
私は当時、募集広報の仕事を任されており、パンフレットの作成や入学相談などの仕事で度々出勤していました。
また、2年生の担任をも任されていたため、担任業・募集広報・英語科の仕事を抱えながら、毎日歯がゆい生活を送っていました。
4月になり、生徒にGoogle Classroomに入るようにという指示を出し、そこからリモートで生徒管理をするようにしました。
もちろん、その指示は上司A。
すぐに学年の全担任がそうするようにと指示を生徒に仰ぐも、なかなか思い通りに生徒が使えない状況にありました。
上司Aは日に日に機嫌が悪くなり、リモート会議や教員専用のGoogle Classroom内でもはっきりとわかるくらい機嫌を損ねていました。
そして自分にとって都合の悪い発言はGoogle Classroomでは、上司A自ら消していました。
しかし、誰もが誰もが思い通りに日々を過ごせないことをわかっていながら、なんとかいろんな取り組みをしてみようと思い、私は自ら、「Google Classroom内で英語の単語テストを作ります。」と会議で発案し、他の科目の先生方もそれに賛同していただけました。
私も生徒のために尽力しよう!という思いで提案し、実際に小テストを作りました。
初回のテストは英語の小テストだったので、他の科目の先駆け役として、問題を作りました。
ところが、上司Aから小テストの中身にケチをつけられ、しまいには「お前の浅はかな英語力で生徒を育てられる、とでも?上司Bには私の意見に賛成なんだけどなあ」と言われました。
私が作った小テスト案は、上司Aが定期考査で出していた問題と同じような問題で、生徒が少しでも多く英語に触れる機会をも、と思って作った問題だけにショックでした。
その一方で、私は募集広報の仕事で度々出勤したり、YouTubeでのライブ配信の仕方を学ぶように家で勉強していたり、その間でパンフレットの作成もしていたため、正直、かなり疲弊していました。
そして、小テストが始まり、初回だからやってみないとわからない、ということもあって色々な問題が出てはいたものの、なんとか形になり、継続して小テストができるようになりました。
しかし、2020/5/7に事件が起こりました(前置き長くてすみません)。
英語科の当時の全体の動きとして、「授業を動画にとって配信する」という当時は前代未聞なやり方で動いていました。
上司Aとはまた同じ学年を任されるようになりましたが、その学年の英語科内で、上司Aは「授業は私が担当する」と言い、その仕事を任せていました。
しかし、その前日に急に上司Aから「上司Bと共に授業の動画を作れ」という命令が下され、具体的なやり方を次の出勤の時(5/7)に聞こうと思い、とにかく自分の手元にある仕事の消化をしていた。
そして5/7の学年会議では上司Aは「英語科は他の教科に比べて完璧に動いている。」や「他の教科は何しとんねん!」や「他の教科のバカどもは…」と散々に悪態をついていた。
そんな機嫌が悪い中、私の仕事が少し落ち着きが見えた頃に(というか機嫌が直るのを待って)、授業配信の仕方について聞きました。
「そんなもん、私の過去の授業動画見ればわかるやろ。」と言われ、Googleドライブの共有データから動画を探していました。
しかし、それが見つからなかった。
何度確認しても見当たらなかったので、「え?どこにあるんですか?」と聞き、「そこにあるやろ!ちゃんとみろや!」と言われ、パニックになった。
すると上司Aがキレて、「私が授業動画を配信しているのに、お前はそんなことも確認してへんのか!?それに作成したのに感謝の一言もないのか!上司B!お前もや!どういうことや!」と発言。
さらに「そんなんやったら、今までの配信した動画にアクセス制限をかけてやる!」と言いだしました。
生徒を守ろうと、「それだけはやめてください」と私は懇願したものの、上司Aは「知るか!」と言い、さらには、「お前、学年のGoogle Classroomで私の発言がなぜ消されていたかわかるか?お前らなんかと全く議論にならんからや!!」と言い帰っていった。
私は非常にショックととてつもない恐怖感に苛まれました。
そして、次の日に生徒から「授業配信が見られない」という苦情を受けました。
さらに、Google Classroomで上司Aがリーダーになっているところでは、私と上司Bを仲間外れにして、果て果てに困ってしまいました。
そして5/9、休みの日に上司Aから英語科のGoogle Classroom内で「お前ら反省したか!?」という旨のメッセージが届きました。
そこで私は機嫌を良くするまでなんとか上手く立ち回ろうとしました。
そして私はそのGoogle Classroom内で晒し上げに逢い、なんとか機嫌を直すことに成功しました。
生徒もアクセス制限が解除され、配信が引き続き確認できるようになりました。
しかし、私はそこで何かが崩れ始めました。
仕事中に、手足が震え、胃痛・頭痛・耳痛・胸の激しい動悸と痛みを感じました。
明らかに体がおかしいことに気づき、その日は仕事ができませんでした。
しかし、次の日になっても全く治らず、上司Bにこういう状態があることを告げて、休みを取りました。
その後も、募集広報の仕事に全うできず、精神状態が狂ってきたことを感じていました。
その週末に心療内科に行きました。
その帰りに、「電車で轢かれて死んだら楽だろうな」と無意識に自殺がよぎりました。
その時でした。
電話が鳴りました。
事情を知っている同僚からの電話でした。
「心配です。大丈夫ですか?」と。
この電話一本のおかげで私は正気に戻り、今生きているんだと改めて感じました。
正気に戻った後、次の出勤日まで心と体を休めることにし、家族にこのことを告げました。
そこから数日間、全くの気力がなく、趣味にも充足感を得られず、無気力な状態が続いていました。
5/20に、同じく上司Aからのパワハラに遭った先生と一緒に校長室に行き、事情を初めて打ち明けました。
そして、私は全く生徒に会えないまま、仕事をしばらく休職することになりました。
私が最も辛かったのは、上司Aの発言でも、上司Bの怠慢でも、ありません。生徒にどんな顔してあえばいいのか全くわからず、ただただ辛い1日を3ヶ月過ごしました。
上司Aは5/7を最後に出勤する日は1日もなく、2021年2月にこの世を去りました。
それまでの間に、パワハラ問題が校内で起こっているのに何も対処しない校長に向けて、あるお爺ちゃん先生が、「今、こんな大きな問題が起こっているのに、なんで対応しないんや!」と声を上げてくれたり、少しでも私が復帰できるようにととり図ってくれた先生もいたお陰で少しずつ問題解決に取り組んでもらうように促してくれました。
その校長が私の家に行き、「必ず問題を解決する」と口約束を交わしましたが、最後までその上司Aはパワハラをしたことを一切認めず、この世を去りました。
私は何度も復職しようとしたが、精神的に苦しい日々が続き、最終的に、治る気配が見えないので、クビ宣告を言い渡されました。
また、パワハラと認可されず、わずかな傷病手当しか貰えませんでした。
長くなりましたが、これが私が経験したパワハラ事件です。
そこから完全に療養生活に入り、この病気とは今で5年目の付き合いです。
今は、精神面はよほど自分にストレスを与えない限りは狂うことはなく、後は今続けているバイトで仕事慣れをして、社会復帰を目指そうとしている過程にいます。
長くなりましたが、この事件をきっかけに得たことはまた別の機会にしようと思います。
世の中、本当に理不尽だらけで、組織には必ず列を乱そうとして他人に害を与える人間がいます。リーダーたるものはそれを絶対に許してはなりません。
いつ、どこで、誰が、どんな場面で、パワハラは起こるか分かりません。パワハラを受けた私でさえ、パワハラをする可能性もあり得ます。自分さえ良ければ良いという考えは絶対に正して欲しいです。
以上です。
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