遠距離?関係ない!SNSでも繋がれば自分の生徒! ー教育論⑥ー

こんにちは😀

今回は私の自主的な活動の一環をお伝えします。

私は、教員を経験し、「言葉」という最強の武器を見つけました。

その言葉は剣にもなり鎧にもなります。でも私はそんな「戦」のための言葉は嫌いです。

剣や鎧があるということは世界が平和ではない証拠なんです。私はそんなことのために言葉は使いたくありません。

言葉とはもっと素敵で平和的な使い方があります。まるで魔法のように、人を変え、組織を変え、社会を変え、国を変え、世界を変えることができます。もちろん、それを嫌う人だっています。

私は、その魔法に魅力を感じており、自主的な活動に活かしています。

私は実はインスタグラマーでもあります。

どんなことをしているかと言いますと、色んな想いを持った学生が勉強アカウントを作っており、彼らから刺激をもらいながら、自分も彼らと一緒に勉学に励む、という取り組みをしています。

しかし、それだけでなく、勉強アカウントの生徒にありがちである「苦しい悩み」を聞いてあげるという取り組みをしています。

自慢げに言うことではありませんが、1人の女の子の精神的苦痛を取り払い、精神的強さを身につけさせることに成功しました。

それは全てDMという機能を使って「メッセージ」だけのやり取りで改善させました。一度も会ったことも、もっと言えば声すら聞いたこともありません。全てメッセージだけです。

出会いはたまたまです。私が適当にフォロワーを増やすために適当にフォローした時に知り合っただけです。

彼女の不穏のストーリーやキャプションに心配を覚え、少し声をかけたことから始まりました。その時は、励ましの言葉を与えました。

そこから数ヶ月後の夏休みに、自⚪︎未遂をしてしまいました。

⚪︎にきれなかったことに、自分は情けない、自分は幸せになってはいけないんだ、楽になりたいから⚪︎を選んだのに、どうして⚪︎ねなかったの?私はなんて不幸だ。

というストーリーが流れた時は背筋が凍りました。このままでは本当にダメだ。とそう思った時、私は大きな勇気を振り絞って、彼女の辛さを全て聞きました。

彼女自身も「どうせ⚪︎ぬんだから」という想いで書いたんだと思います。詳しくは述べませんが、彼女の苦しみはもっともなもので、凄い共感できる点が多くありました。

私は「彼女を変えなければ。」と思い、毎日メッセージの交換をして気持ちの状態を確認し、良かったことは素直に褒め、悪かったことは落ち着かせてから、私の経験や客観的な見方、立ち回り方など、色んなことを教えました。

そして彼女が「どうして構ってくれるんですか?」と聞かれたので、元教員でうつ病患者だからと答えた後、「私はあなたの担任です」と言いました。私としては本当に何気ない言葉だったのですが、彼女は嬉しかったんでしょう、泣いたそうです。

そこから「先生」と呼んでくれるようになり、お互いの精神状態を語り合いながら、色んな角度で物事を見ることが大事であること、精神状態の保ち方など、私が感じたままのことをなんとか言葉に変えて、支え続けました。

彼女は未遂をしてから精神病院に通わされていましたが、そこでは心を閉じてしまって、何も話せなかったり、嘘をつくなどして、その場をなんとか凌いでいました。病院の先生すら手に負えないほどだったのに、私の前では素直に全てを話してくれました。

話していくうちに、どんどん元気になっていき、嫌な気持ちになっても、なんとか跳ね返す力を身につけていくようになりました。その成長記録を見て私は思わず涙を流してしまいます。

本当はそのやり取りの一部をお見せしたいところですが、本人の許可なく載せるのは良くないと思い、残念ながらお見せできません。

まだまだ彼女は成長段階にいて、まだまだ改善すべき問題はたくさんあれど、彼女は賢いので、ちゃんと乗り越えられると信じています。


私の活動に是非が分かれると思います。

未成年相手にDMでやり取りするのは良くないとか、元教師だからといってやっていいわけではないとか、自分の生徒ではないとか、関係者ではないとか、色んな批判があると思います。

でもこうも思うんです。例えば、目の前に自⚪︎しようとしている学生を見た時、そこに先生とか生徒とか関係ないでしょう。むしろ私にとってはどんな批判が来ようとも止めに入ります。なんなら、自分の身を挺してでも人助けをする覚悟で常にいます。

私は精神的に⚪︎んだことが2回あります。一つは大学受験、一つはパワハラです。本当に⚪︎なない限り怖くない、くらいの度胸を持つようになりました。

まあでも、時には自分で自分の首を絞めてしまう弱さも持っています。でもその弱さが私の優しさでもあり、人を助ける勇気の根源になっていると思います。

私はこういう活動を続けたい、という想いもあって、教師という保守的で堅苦しい肩書を捨てようと思いました。

だから、私は生徒に教えるときは、自分の知識と自分のあるがままの姿を見せて、時には褒めたり、時には面白おかしく注意をしたり、時には諭したり、時には成長を喜んで泣いたり、喜怒哀楽のある非常に人間味のある人間として、教壇に立ちます。

言葉で人は変えられます。教師を目指そうとしている方は初心はとても綺麗な心をお持ちだと思います。その初心を忘れずに、初志貫徹の想いで、言動と行動が一致した矛盾のない立ち振る舞いをしてください。生徒は良くも悪くもあなたに似てきます。良い面をしっかりと育てて、悪い面はまずは自分から直してから生徒と向き合ってください。

教師という人生は決して悪いものではありません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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