夢が教えてくれたこと ①
不思議な夢
夢を見ました。2022年2月5日。
母親が「引っ越しする・・」
と、いきなり私に言う夢です。
私の夢に母親が出てくることは人生長い間の中にもほとんどないことです。
私「どこ?」
母「塩原」
私「塩原ってどこにあるの?」
母「那須高原のところや」
私「それって何県?」
母「東北の方や」
そんな会話をして次のシーンはその塩原を二人で歩いています。
深緑の木々や木漏れ日が美しく自然溢れたところでした。
私「自然の多いところやね」
母「ええとこやろ」
そして一軒のお店の前に行きました。
母「ここ美味いねん。・・・なぁ!」
と、その店の店主に笑いながら話していました。
私は店主に「すいません・・・。関西弁の上に口悪いから嫌な思いさせたらごめんなさいね。」
と、笑いながら母親の方に顔を向けたとき、私に背中を向けている母親の姿を見て
そこで目が覚めました。
母親は九州の生まれで若い時から関西で、もちろん私も関西の人間です。
ですので塩原は聞いたことがないとその時思ったし、
那須高原は聞いたことある・・ぐらいしかわかりませんでした。
寝起き直ぐ、スマホを手にして調べることにしました。
(ん?何県か調べよっと・・・ 栃木? )
私の頭の中の辞書には栃木県は存在していません。
(一体どこにあるの?・・・北関東の東北寄りのところなんや・・・。)
びっくりしました。
夢の中の内容が、現実にある場所と合っている・・・。
なんやろ?
その時そう思ったこの夢のことをその後で思い返すことになります・・・。
母の死
それから約ひと月後3月初旬に一人暮らしの母親が自宅で亡くなっているのが発見されました。
この母親の人生は 表しきれないのでここでは割愛させてもらうことになります。
母親を見送る時に今回見た夢のことを思い出しました。
ゆっくり話すことなど無くなっていた母親があの夢で旅立つ前に私に告げてくれたのか・・・と、
引っ越すというのはこの世からあの世への引っ越しだったのか・・。
なんで那須塩原?
いろんな気持ちになりました。
夢を見た時は生きていましたので、そんなに重要なものだとは思うこともなかったのですが、あまりにはっきりとした夢でしたのでこれは一度行ったほうがいいのか・・・。と、考えるようになりました。
夢の中では深緑の頃でしたのでその頃にいけたらいいなぁと思いました。
・・・月日が経つと毎日の生活などで忙しくなって、その夢の話はすっかり忘れてしまっていました・・。
思い出す出来事
気付けば6月半ば。
普通にテレビを見ていました。テレビでは栃木県の旅番組が流れています。
(栃木かぁ・・・そういえば・・)
と、思ったその時
写っていたシーンが夢で母親と歩いていた場所と同じ。と
驚きながら目が釘付けになってしまいました。
慌ててスマホでよく似た場所を調べると、『塩原渓谷遊歩道』・・・?
現実とリンクしていきます。
こ・れ・は・・・(行ったほうがいい・・?)そう思いました。
もう、夢で母親が出てきた・・という事実が消えかかっていたのが何か意味でもあるのか・・と思わされました。
なんとなく、普通に
2月に夢を見てから(行ったほうがいい・・?)のベクトルがどんどん向いていきます。
仕事の都合で日程を空けることができない・・行くなら・・
秋だと葉っぱが紅葉などで色が違う・・行くなら7月。
・・そう決めました。
出かける場所がなんとなくでもしっかり決まっていく・・
奈良から栃木に行こうとしてまず調べようと本屋さんに行きます。
正直、関わることがなかった地域のことはネットやテレビなど見るぐらいですから
栃木の本はあまり置いていないのが現実です。
遠いところというイメージしかなく頭に入れていません。
この時はじめて日光東照宮が栃木県なんだということをはじめて知りました。
那須高原はアートな感じ?調べてみると面白い。
話を本筋に戻して、本を買いネットと並行して調べます。
那須に賽の河原があることがわかりました。
賽の河原かぁ・・これは 確か亡くなった人が行く三途の河原。
親よりも先に亡くなった子供が石を積むといわれているところ。
うちの場合は親が先に亡くなっているから
関係あるかどうかはわからないけれど・・
もしかして全国にいくつか三途の川があって
亡くなった人達はその三途の川を渡るのも担当地区とかあるんだろうか・・。
母親は親類縁者たちから見事なぐらい嫌われていましたので
母親の故郷の九州よりずっと遠い場所になったのか・・
あっ、でも遠いなら青森とかもあるなぁ・・・
なんて好き放題に考えてしまいます。
この那須地区には千体地蔵という大きな手を合わせている小さなお地蔵様がたくさんいるところでもあるのか・・・。
ん?
そして、そこには『殺生石(せっしょうせき)』というものがある・・。
この殺生石という言葉で 思い出したのです。
3月5日・・・母親の遺体がまだ警察で安置され連絡を待っている時でした。
家でテレビを見ていると、
殺生石が割れた。
というニュースが流れていました。
その殺生石は那須岳の斜面にある溶岩で外周8メートル、高さ2メートル程度の大きな石で美女に化けた九尾の狐が退治され石になったという伝説から600年以上前も前の話で
高僧による祈祷で封印されていたともいわれるその石が割れていたのがこの日に発見され騒ぎになっていた報道でした。
一体それはどこにあるのかもわからず、
九尾の狐とかの話や、封印が解かれたのではとか、ヘぇ〜というぐらいで眺めていたのを思い出しました。
母親の人生が終わった頃、いつ割れるかぐらいになっていたであろう大きな石が割れた・・。
無理からリンクさせているような・・そうかもしれませんが
母親というあの存在は手強い人の代表というぐらい エネルギーが溢れていた昔
なんでも思い通りにする力がまるで妖怪と思わせるような鋭い直感と、
黒いものまで母親が白というと白にするパワーで
周りの人達を思い通りに動かすことなんて簡単というぐらいの人でした。
そういうのをみてきた私からすると
行こうとしている場所にそんな石がある・・・のは、
なんとなく・・・なんとなくそこだ!と思いました。
続く
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