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啓蟄。Remenber me

久しぶりにテキストを書こうと。

今年入って二度目の風邪。帰阪してから1年半で10回目くらいの風邪。多い

先週は風邪ひきながらなんとか仕事行ってたけど

皆さん出張やらリモートワークやらで1人でずっとおったんやけど寂しかった。それで昨日一昨日(本格的に風邪で寝込む)から溢れ出た、感じ。友達にLINEしてみたり。これじゃ日記や。寝る前とか考えが逡巡して興奮してたり、あーそろそろ言葉にしないと自分と対話しないとな、と。

やはり日々に、日々の流れに乗って生活すると後回しにしがちだけども。

今日は3月11日。4年目の結婚記念日。離婚したけど。

敢えて、敢えて、書こうと思った。毎年3月11日はどう過ごそうかと過ごしてきた10年。10年目は10年前と同じく、実家の布団の中で過ごしてるとは思ってもみなかった。テレビをほんの10分、ニュースなんかつけただけで「フクシマ、フクシマ」言うてるのである。いわゆる「よくテレビに出てる」人がまたテレビに出てるんじゃないかと思う。そして津波の映像。

フクシマ、フクシマ言うんなら原発の話をしてほしいし(昼のワイドショー)、取れ高求めて現地に行くんじゃなくて、今はリモートでつなぐとかでもいいんじゃないかな。明日になったら桜と花粉とコロナの話ばっかりで震災の話なんか全国のニュースでは流されないんだろうけど現地に住んでる人たちは10年と1日後もそこで暮らしてるわけで。震災は祭りじゃない。需要とか、取れ高とか復興特需とかじゃなくて。

震災とか関心が薄い層にはわかりやすいし、風化させないために、みたいなのは大事だと思う。だから一概に全部否定してるわけじゃないけど、やはり、しっくり来ない。がんばってるアピールも、御涙頂戴も、キラキラ移住女子も。テレビはつけない。そして3月11日に近づくにつれてソワソワしている自分がいた。

10年経って18歳のときからもう大きく変化、変化、なんやったら一人人間を生んでまた実家にいるんだけど、もちろん昨日も鼻水ダラダラの息子との死闘!って感じの夜で、朝からイヤイヤ言われて私はキレてたんだけど。母からは「アンタって、弱いな」と言われどういう意味で弱いって受け取ったらいいの?体調?精神?それは子に対して言う言葉なんか?言うて私がどう反応すると思ってんの?奮い立たせてるつもり?(むしろマイナスよ)という感じなんだけど、ここにきてやって、惨めな大人にも母にもなり切れない私だけど、私に対しての自己肯定の芽が出てきた。気がする。これをまた、摘んでしまわないように。

私にとって学校の存在は大きくて、家庭が崩壊しても学校に行けば関係ないというか、別の顔で生きていけるから、本当に、本当に音楽に浸っていた学生生活だったから、行くところがない浪人生活の始まりは不安だった。

不安は的中して私は浪人生活の終了と共に「私は何者か」問い続けて探し続けていつも何者かになりたかったわけだけど、そして何者かになって大なり小なり夢を叶えたんだけど、代償も大きすぎたような気がした。本当に身を削って居続けようと、何者かである証明を心と命とを引き換えに生きていた。その時期は

それで本当に良かったんだと思う。

しかし子を産み育てるにあたっては、このやり方は良くないみたいだった。子に愛を注ぐにあたって、私が愛情に満たされていないと、空っぽの容器からは愛は注げない。愛の循環がどうやら必要だった。でも私は他人からしか愛を受け取らないやり方で生きてきた時間が長いので、本当に困る。

いつも自分の行動に迷いを持っているし、その迷いは大きくなれば病になったし、それに気づいてもらえないこと、私の発する弱弱しいメッセージはもう誰にも届かないのかと思うと真っ暗い壁も床もないところに居るような、気持ちになった。

やっぱり他人から認めてもらえないと、他人からの愛の(こもった)言葉を貰わないと愛が足りない、そして私は自分の想いを、言葉にならない状態から言葉になる過程含め伝わる相手に伝えたくて、探し続けていた。けどやめた。今この状況で無理やもん。マッチングアプリとか、マッチして終わり(友達Rの名迷言。爆笑した)

そして自分で愛の自給自足をして、子に愛を与えれるように年明け前から色々と試行錯誤していた。恋愛を因数分解してみた。ママ友は本。そして手続きと荷物整理(それは過去との清算ともいう)、そして毎月の借金返済が始まる。な年明け。

愛の自給自足が足りてなかったんじゃないのかな。またいつものパターン、頑張りすぎてボロボロになったんじゃないかな。でもいつも心が先にボロボロになるんやけど、今回、割と心は正気を保っていて、それがなんだかうれしい。体はこの冬一番の地獄みたいな風邪だった。寝れないって本当につらい。

でも4月は楽しいこともあるし、何より今年はかなり「春を待ち望んだ」冬を全国的に過ごしたと思うし、春が来るだけでうれしいよね。春服着ちゃうもんね。ピンク。

10年。みんなそれぞれの10年。私はやっと、やっと自分が下した決断達をやさしく、認めてあげれるようになってきたのかもしれない。

英語の先生になりたかった私も、歌手になりたかった私も、福島に移住したかった私も。

他人を救いたかった私だけど、救ってほしいのは私だった

だから私が私を救いたいし、ご機嫌で、幸せそうに我が子とくっついてきゃっきゃしたいよね。ごめんね今日も怒って。

今日はご機嫌で子どもの歯磨きできますように。

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