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ポンポさんをめぐる葛藤

これは、映画の話だ。そして映画をめぐる私自身の話だ。
先日、けんすうさんという方のツイートで、『映画大好きポンポさんの映画が超好き。人生トップ3に入る映画だった』というコメントを読んだ。
Twitterやnote、NewsPicksの出演などで常々素敵な方だなぁと思っているけんすうさんの、人生トップ3!?
気になる。超気になる。

子供の頃から今でも私は映画が大好きだ。TVの金曜ロードショーで往年の名作に触れ、映画館でヨーロッパの無名映画に心を震わせた。映画を観ることはたった1人暗い映画館でどっぷりとその世界にひたり作品と対話する、素晴らしく幸せな時間だった。
ところが、その至福の時間がある日、苦痛へと変わった。彼(今の旦那様)と出会ってからだ。
『はいじゃあ、今観た映画の良かったところと悪かったところ、10個ずつ言って〜』『言えないの?何観てたんですか?』
ずっと1人で映画を観、観劇し、本を読んできた私は、自分の想いや感想、感情を言葉にすることに全く慣れていなかった。深掘り、というものをしてこなかったのだ。だから言葉にならない。ものすごく心は動いているのだけれど、それを表現出来ないのだ。
彼はというと、観た映画、聴いた音楽、読んだ本について、1時間でも2時間でも話し続けることが出来た。どこがどう好きで良かったか、どこで心が震えたか、何故この作品が駄作なのか、自分の身体を通り抜けた自分の言葉で延々と話す事が出来るのだ。凄いな、と思うのと同時に、言葉を持たない自分自身に悲しくなり、映画を一緒に観る度に自身の不甲斐なさと向き合うのが苦痛で仕方なかった。
ただ、その暗黒時代を乗り越え、私も少しずつ少しずつ、自分の言葉を持てるようになっていった。スパルタ教育の賜物だ。今では感謝さえしついる。

さて、ポンポさんだ。私は彼と娘を映画に誘った。娘は喜んで、観たいー行くー!と即答したが、その横で彼は怪訝そうな顔をしている。「何なんですかその映画は?何で見たいんですか?」いや実は私もその映画のことはこれっぽっちも知らない。ストーリーも知らない。ただ、尊敬する人がおすすめしていたから是非見てみたい。
私がチケット代を払いポップコーンを買うということで説得し、3人で観に行くことになった。

人に勧められた本や漫画や映画を観るのは、フラットに自分が出会った作品を観るのと、すこーし違う。〇〇さんが好きだった、というのが頭の片隅に居座るのだ。
『映画大好きポンポさん』は、凄腕映画プロデューサーのポンポさんと映画を作りたい青年と女優に憧れる女の子の、夢を叶える作品だ。
ものすごく正直な潔い作品だった。そうだよね、ものづくりってこうだよね、と思いながら観た。きをてらった表現もなく、一直線に走り切るような作品だった。悪者が出てこないのも、人が死なないのも良かった。小難しい映画や何度も観て味わう映画も良い。色々な解釈が出来たり、生き様を見せつける映画も素晴らしい。けれど、余計なことを取っ払い、伝えたい一点だけで作品に仕立て上げたこの勢いと潔さは、巨匠には創れない。採れたての生モノのような映画だった。

映画が終わり外に出ると娘が「あー面白かった!」と言った。するとその横で彼が言った。「え?これ、面白かったの?」
きた、と私は思った。そして尋ねた。「どうだった…?」 
「いや、普通に観れましたよ、だけど全然ダメ。まず主人公の男の子が全く描けていない。ドラえもんののび太にもなっていない。だってさ…」そしていかにこの作品が未熟かを語り始めた。

私はなぜ彼を誘ったのか。それは尊敬する人が良いという作品を、選美眼のある彼がどう判断するか気になったからだ。そもそも何故私がこの映画を観たいと思ったのか。それは、私がけんすうさんの目を判断したいからだ。嗚呼おぞましい。けれどそういうことだ。

自分の視点を持ち、意見を言う。何も怖いことはないし、構える必要もない。けれど、尊敬する人や憧れる人の意見や感想にどうしても私は影響されてしまう。
けんすうさんと彼。私は自分が下したポンポさんの評価に揺れ動いた。
そんな中、3人目が登場した。評論家の宇野常寛さんだ。Facebookにポンポさんの感想を寄稿したのだ。あまりのタイミングに動揺した。宇野さんのオンラインサロンに入会している私は真っ先にそれを読み、また足元がぐらついた。グラグラだ。宇野さんは「まったく感心しなかった」と書かれ、その理由を丁寧に説明していた。メッタ斬りだった。

表現は自由だ。映画の見方だって自由だ。正解はないし、勝ち負けもない。素敵なことは素敵だと表明することは何より尊いと思っている。
けれどそれでも私はポンポさんの映画の優劣について、そして自分が表現するものの優劣について、尊敬する人の言葉に一喜一憂してしまう。まるで、けんすうさんと宇野さんと彼に、3方から腕を引っ張られているような気分だ。ねえねえ、こっちにおいでよ、こっちが正しいよ、と。
これが恋愛だったらモテモテで素敵な絵だけれど、今は自分が三方からビリビリに引き裂かれ、後には何も残っていない、燃えかすのような気持ちだ。

このnoteを書きながら、表現することが少し怖くなっている。

サニー

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