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アイアン工房の自己紹介4。「自分の幸せってなんだろう。普通って何だろう」10代の頃の自分に伝えたいこと。


以前ノートで「普通に馴染めなかった」という投稿をしました。
その投稿を書いている最中から、「普通」について考えていました。

個人的には「普通」とは、自分で作り上げたただの虚構であり、脆く変わりやすくあやふやなものだと思っています。
それでいて知らず知らずのうちに自身の行動を縛り、自由を奪ってしまうものです。

「普通」ってとても曖昧な言葉で、人の数だけ普通はあるし、国や性別、年代によっても普通の定義は違います。
だから100人いれば100通りあるから、10代の頃の自分には「人と違うからといって気にすんな」と言ってやりたいです。

それに自分が作り上げた「普通」に沿った生き方が必ずしも幸せだとは限らないし、逆に生きづらかったりします。

親や周りから示される「普通の生き方」は何となくイメージしやすいけど、生まれた場所や時代で大きく変わるので、それを唯一の道しるべにしてしまうと、迷った時に大変なダメージを負います。
自分で歩く方向すら決められない人に、方向転換はとても大変な作業だし、リセットなんてできる訳がありません。
そしていつか決定的な失敗を犯した時、それを「普通の生き方」のせいにしてしまうかもしれません。

僕自身も10代の頃から自分の中にある「普通」に縛られていましたが、自分の置かれた状況が耐えられないと感じれば、積極的に変化させてきました。

小学校の低学年の頃は不登校でした。集団生活に馴染めなかったので、意地でも学校に行きませんでした。共働きの両親に家から締め出されても、庭でずっと立っていました。
無理に耐えられない学校に行って精神的に疲弊するのであれば、親の帰りを庭で立ち続けて待っていた方が何倍も楽だったのです。

子供には状況や環境を変えたりする事ができませんが、「逃げる」ことはできます。
逃げると言うとネガティブに捉えられることも多いですが、自分を守る為にはとても有効だし少しの勇気で誰にでもできます。

自分で変えられる事は変えていく努力をした方が良いと思いますが、変えられない事にいつまでも囚われるべきではないと思います。
変えられない物に合わせて自分を変えてしまうと、それが癖になり自分を見失ってしまう事につながります。

自分を見失うと何となくおかしいとか、生きづらいと思ってもそのまま進み続け、病気になってしまったり、自殺してしまったりするのだと思います。
少しの違和感が長い時間を経て自身に大きな代償をはらうことになってしまいます。

先が見えない人生の中で、普通を道しるべにする事は悪いことでは無いと思います。
ただ普通は1つじゃないし、答えでもない。
そう捉えていれば楽になるんじゃないかと思っています。

普段の生活の中で自分の価値観というの少しずつ変化します。
特に10代、思春期の子供にとっては周りの世界の影響を受けやすいものです。

多数派の意見には誰もが流されやすいけれど、「人と違うと感じる生き方であっても良い」というメッセージがあれば、もっと楽に開き直って生きられたかもしれません。
自分の生きたいと思える人生が少数派であったり、周りに同じような生き方の人間がいなくても、そんなこと気にしてはいけない。という考え方を知っていれば、楽だったのかとも思います。

●自分に合った生き方を探す

普通というのは自分の中にしかありません。
社会に出れば色々な普通を持った人が沢山いるし、それが個性になります。

だから人と違うという事を「普通じゃない」と思わずに、これが自分の人生だと胸を張れるように一生懸命生きるだけ。そして後から必ず答えは付いてくると思っています。

今の僕の生き方は、今の時代の多数派ではありませんが、自分が良いと思う生き方をしています。
自分に合った生き方なのでとても生きやすいです。
(収入が不安定なのは妻に申し訳ないとは思いますが。)

ただ毎日絶好調な訳でも無く、やっぱり「今のままで良いのかな…」と不安になる時があります。
そんな時は「普通」に縛られて「こうあるべきだ」という考え方になっていないか、自問するようにしています。
「こうあるべき」ではなく「こうありたい」という希望に従って動けているかチェックする事を普段から意識しています。

それくらい植えつけられた「こうあるべき」という呪縛は強いのです。

「こうありたい」のせいで結果的に良くない方向に進んでしまっても、自分の意思で歩いた道なので、すぐに方向転換できます。

「こうあるべきだ」という重い荷物は捨てて、「こうありたい」という歩きやすい靴を履いて欲しいと思います。

それが自身の「幸せ」に繋がるのだと思います。


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