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#1【日本橋】旅の始まりは「日本橋」から、、

こんにちは!sunnyです!記念すべき最初のテーマは、「日本橋」です。
「日本橋」は山手線の駅ではありませんが、「東京」駅から徒歩約10分ほどで歩いて行けます!最寄りの地下鉄もたくさんあるので、アクセス抜群です!

「はねだ日本橋」の看板

いきなりですが、羽田空港国際線ターミナルにある、この看板をご存知でしょうか?
当時の日本橋の1/2スケールで作られているようです!

「日本橋」といえば、遠い昔に教科書で「東海道の起点」と習ったような気がするくらいだったので、「日本橋」やその周辺の「ものがたり」集めをしたいと思います!
きっと、読み終わる頃には、なぜか「きんつば」が食べたくなるかもしれません、、、(笑)
ごゆるりとお楽しみください!


①「日本橋」は1603年に造られた!

日本橋は、江戸城から隅田川にむけて開削された水路(日本橋川)に架かる橋で、徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年に造られたそうです。
日本橋川や日本橋界隈につくられた多数の水路は、舟運に便利で、全国からいろいろなものを載せた大型船からの物流にも便利でした!

当時は「木造り」だったため、火事により、何度も焼失しては造り替えられたそう。
「火事と喧嘩は江戸の華」とは本当だったんですね、、

今の日本橋は、なんと20代目!
ヨーロッパやアメリカの進んだ技術を取り入れて、「東京をパリのように」がまちづくりの合言葉とされ、自動車や電車(昔、路面電車も走っていたそう)の交通量が増えることを見込んで、より頑丈で、長持ちする「石造り」になりました!

日本橋の唐獅子像(左側は阿形(あぎょう)、右側は吽形(んぎょう))

そこで、いくつか日本橋の見どころを、、
まず、橋の端にある(笑)唐獅子像は、お寺などにあるように橋を守ってくれるよう願いが込められています。
ちゃんと、口の空き具合も「阿(あ)吽(ん・うん)」になっていましたよ!
持っているのは、東京都のマークにも。

左上から時計回り 麒麟像。日本橋の中央に麒麟像がいます。その中央分離帯に「日本国道路元標」があります。橋銘版は最後の将軍徳川慶喜書だそうです!

次に、橋の中央部分に麒麟像。
麒麟は、中国の伝説上の神聖な動物で、通常は、羽もヒレもないのですが、橋と地域がさらに躍進していけるようにとの願いが込められています。

その麒麟像の中央分離帯に「日本国道路元標」があります!
(ちょうど、タクシーが走っていて、写真では見えません、、、)これは、五街道の始点の目印です!詳しくは、後述、、

②関東大震災も第二次世界大戦も生き延びた、、

次に、さすが、当時の最先端技術をもって造られた橋だけあって、
1923年、震度5強はあったであろう関東大震災でも壊れず、橋の下で燃えた舟のすすが残っていたり、、、
1939~1945年、第二次世界大戦では、焼夷弾のツメ跡も残したり、、、
と約百年の歴史を、今ものこしてくれています。

左 関東大震災の火災の跡 右 焼夷弾の跡(平らに埋められています)

また、1999年には、歴史や文化的な価値が認められて、国の重要文化財に指定されています!
でも、ひとつだけ気になることといえば、、、
そう、1964年の東京オリンピック開催に合わせて造られた首都高速道路が、日本橋の上に交差するように、もろかぶり状態。

その部分は2040年頃には地下へと移設される予定なので、日本橋に青空が戻って来る日が今から楽しみですね。

逆に、日本橋と首都高速道路の交差風景も今だけ?!

③なぜ、旅立ちの起点に?

では、時を江戸時代に戻します(笑)
徳川家康が1603年に江戸幕府を開くと、その翌年、「日本橋」は五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道)の起点とされました。

五街道を作った理由としては、

  • 反逆や反乱を起こした地方の大名に対して、討伐の軍隊を派遣するための軍用道路をつくる必要があったため

  • 各地の諸大名を一定期間江戸に住まわせる制度である「参勤交代」のための道として使用するため

などがあるようです。

さらに、江戸幕府が編集したとされている地誌書「御府内備考」には、以下がかかれています。

この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありと云ふ

御府内備考

江戸幕府が、日本橋を起点に五街道を発展させようとした意思がうかがえますね。

実際に、日本橋は五街道を通って各地へ旅立つ人や、地方から江戸へ訪れる人などでにぎわい、日本経済の中心地として発展していきました。

日本橋地域には全国からさまざまな分野の商人が集まり、お店が増え
→魚市場(魚河岸)、歌舞伎の芝居小屋、幕府公認の遊郭(元吉原)もでき
→貨幣を製造する金座・銀座ができ
→全国から人や情報、文化人も多く集まる、、、という具合に。

1800年頃には江戸の人口は120万人に達し、世界最大規模の都市のひとつになっています。
同じ時代のロンドンの人口が約90万人、パリでは約50万人といわれていますので、当時の江戸は人口が多かったといえますね!

④日本橋の周りをお散歩

早速、当時の賑わった日本橋界隈の音を感じながら、散歩すると、気になるお店がたくさんあります!

今回は、実演コーナーで「選 和菓子職認定」の称号をもつ和菓子職人さんがひとつひとつ「きんつば」を焼いてくださる「榮太樓總本鋪」にお邪魔しました!
江戸の頃、日本橋の魚河岸の屋台で親しまれた味「名代金鍔(めいだい きんつば)」を再現してくれています。

「え、皮ってあったの?!」となるくらい薄い皮に、優しい甘さの粒あんがずっしりつまった「きんつば」。
もう、あんこ好きにはたまりません!!ありがとうございます!!
当初は、「ごま」はなかったようなのですが、このきんつばに香ばしさをプラスするために今の代から「ごま」をつけるようになったんだそう。

他にも、数量限定の「日本橋あんぱん」や「玉だれ」「日本橋餅」などなど、おなかがたくさんあったらいいのに、、と思ってしまいます。

左から時計周り 「榮太樓總本鋪」日本橋店の店構え、「名代金鍔」とアイス抹茶ラテ、店内には当時使われていたものが展示されています

⑤まとめ

日本橋には、普段は通り過ぎてしまいますが、歴史を感じる「ものがたり」が至るところにあったり、たくさんの魅力的なお店が軒を連ねたり、一日いても飽きません!
そして、再開発が続々と行われていて、古いものと新しいものが融合している魅力的なエリアでした。まさに、江戸の賑わいを現代に引き継いでいるようです。

では、ここから旅を続けます!
早速、ムスコが水ぼうそうにかかり、更新できなかったのですが、これから頑張っていきたいと思います。

ご感想やコメントなどありましたら、励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。では、よい旅を!

左上から時計回り 再開発中の日本橋エリア、舟からも日本橋を眺められます、ムスコと三越屋上庭園(池もあって癒しスポット)、三越内の天女像、日本橋三越新館入口

【アクセス情報】日本橋

JR山手線「東京」駅から徒歩約10分
以下のサイトがわかりやすいです!


参考にした文献


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