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うつ病カウンセラー家族関係でしくじる

前回のおさらい。

満足にご飯も食べずセルフネグレクトの結果うつをこじらせたうつ病カウンセラーの私は疎遠だった実家に泣きながら助けを求めました。

■家族関係の問題

さて、何故実家と疎遠だったのか。

実は小学生の頃母親から暴力を受けてました。物理的な暴力と言葉の暴力。母は自分と違う考えや価値観を持つ生き物が許せない人でした。自分が正しいと思った事を子どもに強制し、それに従わなかったら大声で怒る、叩く、手に何かを持っていればそれで私を叩きました。例えばお茶、沸かしたてのお茶をこぼしたら「何で慎重に運べないのか」と怒鳴り、その沸かしたてのお茶を浸した布巾を投げつけて「早く拭きなさい」と叱りつけます。それが怖くてカーテンの中に隠れると「何してるの!?早く拭かないと染みるでしょ?」と怒鳴りつけてくる。

ある時は私が勉強せずアニメを見ていた事が気に入らなかったらしく、木製の将棋盤の角で私の頭を何度も叩き付けました。蝶番で折りたたみ式のその将棋盤は蝶番が外れ、折れ曲がってその時から今でも使われること無く実家の片隅にしまわれています。

母が調理中にきょうだいげんかをしていたら、たまたま手に持っていたからでしょう。包丁を振りかざして止めるように脅しをかけ、包丁の背で頭を叩かれました。さすがに刃で刺したり振り下ろしたりするほどにはならない程度に理性はあったようです。

小学校の6年生くらいまでそんな様子でしたので、我が家は近所でも有名になるくらい「子どもの泣き声が響く家」でした。

精神的にも幼かったようで、小学生の子ども相手にクイズ番組等で知識をひけらかしては「こんなことも知らないのか」と家族を見下していました。思い返す程恥ずかしくなる大人でした。

大きくなって何度か私は母にやり返すようになりました。口が達者になった私はある時、子どもの頃に受けた行いについて問い詰める事になりました。その結果、わかった事は「母が何一つ悪びれてもいない事」と「母にとって都合のいいように記憶が改善され、そのような行い等していないことになっていた」という事でした。この後も度々同じように問い詰め責め立てる機会を得ましたが、やはり同様で「母は謝るという行為そのものを知らない」生き物なのだと理解しました。

この間、父は基本的にずっと単身赴任で家にいる事はほとんどありませんでした。ただ、帰ってきて家族が揃った時に覚えている光景は、酒に酔って大声をあげる父と、同じように声をはりあげて口論する母の姿だけでした。父は、私の人生の中で子どもの頃からほとんど無関係の人でした。

そのような家庭ですから自然と距離を置いていたのですが、どうしようもなく泣きついた時、両親は私を助けてくれました。引越しを手伝い、実家で食事と部屋を与えてくれる、それが何よりもの救いでした。しかし、両親が想定していた以上に私の症状は深刻でした。

彼らにとってうつ病とは原因不明のさぼりのようなものであり、少し休めば回復する、程度に思っていたのです。しかし現実はそうではなかった。

相変わらず実家に帰ってもご飯も満足に食べられず、1日中ベッドで横になっているだけで部屋から出られない日々。自分たちにとって理解できない病状に、両親はやがて苛立ちを見せ始めます。私がご飯を食べない事や部屋から出てこない事について両親が口論を始めるのです。その声が、怒声が、私の心の平穏を脅かしました…。

また一緒に暮らすようになって改めて家族の違和感に気づくようにもなります。母が些細な音にも過剰に反応して、例えば食器が少し当たった音にも「割れるでしょ!?」と明らかに食器の音よりも大きな声を上げて過剰に反応するのです。

この両親の苛立ちの背景には、実は私だけではない家族の問題が同時に重なっていました。当時まだ存命で同居していた祖父が、認知症状を見せ始めていたのです。私が実家に戻ってきた事は結果として、彼らにとって厄介な事案を増やす事になっていたのでした…。

さて、今回の家族のお話はここまで。最後に、家族の名誉の為に今の私から、かつて私を苦しめた両親の心境について簡単にまとめておきます。

■虐待の背景

・我が家は2世帯住宅でしたが母は姑との関係が悪く、そんな中で父はずっと単身赴任でした。一方で祖母は孫びいきだった事もあり、恐らく母は家庭で誰よりも孤独感を感じていたのでしょう。

・母は元々人の感情を察する事が苦手な人で、映画やドラマを見ていても登場人物達の動機や心情が理解出来ていませんでした。これは私が大人になってから気付いたことです。

・母は聴覚が過敏でした。特に高音の音によく反応して怒っていました。他人より高音が苦手だという自覚は無いようです。そして、高音が不快だと自分が感じた事が原因で怒っている、という事にさえも自覚が無かったのです。たぶん、子どものかん高い泣き声も母にとっては不快だったのでしょう。もちろん、その原因は母自身が作っているわけですが、本人にはその理由が、つまり子どもが泣く理由が理解できません。

・祖母は私が高校生の頃アルツハイマーになり、その介護はほぼ母の役割でした。祖母との関係が悪かった母にとってこれは非常に苦痛だった事でしょう。排泄の後始末や被害妄想、夜間徘徊等、私も苦労しましたが、父はこの時も単身赴任でした。

大人になってからわかったんです。母がどんな思いを感じていたのか、どういう特性を持っているのか…。この家族は、最初から崩壊したまま、かろうじて外枠だけがあったのです。形を留めるだけで精一杯だったのです。だから、私は母を恨む事を諦めました。同時に、共存する道も諦めました。一緒に居てはお互いが不幸になるだけだと理解したのです。


さて、本日のしくじり先生の授業はここまで。

皆さんにとって家族とは何でしょうか?親子とは何でしょうか?私にとってはどこまでいっても、血の繋がった他人です。他人だと気づけたから、お互いの幸せについて考えられるようになりました。


もし中の人と相談してみたい、と思ってくださった方はこちらまでお気軽にご連絡ください。皆様からのご相談、お待ちしております☺️


それでは、起立!礼!

お読み頂きありがとうございました!!

有資格者の心理カウンセラーが自身のうつ病経験のしくじり体験談やそこから復職にいたるまでのコツや、病気と付き合う為のノウハウを記事にしています。遠隔カウンセリングも行っておりますので、なかなか外に出るのが難しかったり直接人と会うのが苦手な方もお気軽にお問い合わせ下さい☺️