後悔の大垣夜行(はじめての一人旅①)

2012年 3月下旬 大垣行き臨時快速列車ムーンライトながらの車内で自分は、ただひたすらに後悔の念に苛まれていた。

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高校を卒業し、大学に入学するまでの春休みの期間、なぜか自分は「一人旅というものを経験しなければ」という気持ちでいっぱいだった。
お年玉貯金から二万円、親に土下座して支給してもらった一万円の合計三万円を軍資金にさてどこに行こうと考えたらば、いの一番に思いついたのは大阪と京都だった。
小・中・高の修学旅行でも訪れず、家族旅行でもなかなか行く機会の無かった近畿地方にその頃無性に憧れていたのだった。

そして更なる憧れが「青春18きっぷ」である。11500円(当時)でJR全線+αの普通列車が5日乗り放題という魔力に引かれ、18きっぷと座席指定券だけで乗れる東京ー大垣間を走る夜行列車「ムーンライトながら」を往復で使い大阪・京都に向かう一泊四日の旅に決めたのだった。

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夜10時ごろ、家族にJR立川駅まで送ってもらい小田原駅へ向かった。夜の人気の少ない電車に乗り、今から自分は帰宅するのではなく出かけるのだという期待と心細さの入り混じった感覚はよく覚えている。
あと小田急町田駅のホームで派手に喧嘩していたカップルの姿も。

11時30分ごろに小田原駅に着いた(気がする)。構内のトイレで用を足し、0時を越えるのを待ってから改札できっぷにスタンプを押してもらいホームへ向かった。しばしのちに入線してきたながら号を見て、いよいよだという震えが襲ってきた。

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一号車の自分の席に向かうと、いきなり知らないオッサンが堂々と座っていた。「ソコ俺の席ですけど」と声をかけたらオッサンはバツが悪そうにそそくさと別の車両に去っていった。
あれいくら考えてもオッサンの行動おかしいよな。ながらに乗ってりゃ小田原で乗客増えるのは分かってるだろうに、しかも全席指定なんだから空席だったとしても検札でのかされるに決まってるやろ。
何考えとったんやアイツは。

小さなアクシデントはあったものの、幸運だったのは隣の席に誰も来なかったということだ。
席は取ったけど予定が合わなくてそのまま流したか、まさか乗り遅れたか、それとも単に満席にはなってなかったのか。よく分からんがとにかく自分は広々と席を使うことが出来た。ほんまラッキー。

使用されていた車両は183・189系電車。おい国鉄時代のマークがついてるぞ。
味はあるもののやはり古い車両。振動、走行音、シートなどが気になった。後ろに気を使うのでリクライニングもあまり倒せない。早速だが自分はイメージとの違いに苦しみだしてきた。

そして何よりムーンライトながらは「消灯しない」。乗ったときからは若干の明るさが抑えられたが、深夜とは思えんほど明るすぎる。
このシートと音と振動と明るさで寝ろみろと、ながらは挑戦状を投げつけてきた訳だ。

案の定自分は眠れなかった。

しかしこれは想定済み。時間潰し用に立川で買っておいたもやしもんの最新巻を読もう。

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我慢出来なくて小田急の車内でチラチラと読むんじゃなかった。
もう読み切ってしまった。3回くらい読み返したが眠気は全然やって来ない。
よっしゃもう一冊。本屋で偶然見つけた、大好きな岡村ちゃんが表紙を飾っていた雑誌を読もう。

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これ音楽誌じゃなくてファッション誌じゃねーか。自分には一番必要ないもんやぞ。
読み物の部分は全くなく、あっという間に読み終えてしまった。4回読み返した。眠気は来ない。
もう雑誌の衝動買いはしないと誓い、無理矢理眠ろうと目を閉じた。

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薄いモヤのような睡眠から目を覚まし、「あーこれで2時間くらいは寝たやろ」と思って時計を見たら40分くらいしか進んでいないときの絶望感は未だに覚えてるし早く忘れたい。
水曜どうでしょうで大泉洋が言っていた「逆浦島現象」を体験した瞬間であった。
この辺りから自分は、生半可な気持ちでムーンライトながらという強者に身を投じた事をただひたすらに後悔し始めていた。

後悔の合間に安っぽい微睡に身を委ねること数回、気づいたら空は白んでゆき、列車もそろそろ岐阜に着こうかというところであった。

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自分はいわゆる「大垣ダッシュ」に備えるため、そそくさと荷物をまとめ岐阜出発後には1両目後方ドアに陣を取った。
ただでさえ寝不足気味なのに、これで米原まで立ちっぱなしとなるとただの生き地獄でしかないので、椅子の確保は絶対条件だった。
そのために「乗り換えに便利」だという噂を聞いてわざわざ一号車の席を取ったんやけん。

そして大垣着。ドアの開放とともに各馬一斉にスタート。
乗り換え階段の目の前に出れたは良いもの、初めての駅ということもあり多少の戸惑いが見えた自分。どんどんと歴戦の18キッパーたちに抜かされていきます。
最終的に15位くらいで乗り換え車両にゴール。なんとか席の確保には成功した。

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こうしてぎゅうぎゅうの始発列車で米原へ。
他の人々は、乗り換えのため次の列車に駆け足で向かうが、自分はトイレ休憩を挟むために次の列車に乗ることにした。
ながらの189系はトイレが全部和式便所だったもんで、生まれた頃から洋式でウォシュレットネイティブ野郎の自分にはここを使うのは到底無理だった。

小田原以来のトイレをキメた晴れ晴れしい表情でホームに戻ると、まだ肌寒い朝の空気と柔らかい朝の日差しを肌で感じ、そこでやっと「ああ、今旅に出ているんだなぁ」という満足感と期待で胸がいっぱいになった。
あれを越えるワクワクする気持ちは、ここしばらく味わえたことがない。
旅はまだ始まったばかりだ。

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続きますえ

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