見出し画像

「優しさ」とは

私は、夢を見ていたのかもしれない。自分が「いい人である」と。よく見てみると、今まで、様々な人から都合よく扱われていただけではないだろうか、と。

私はよく、「優しい」と言われてきた。それは否定しないほうがいいかもしれない。ただ、「優しい」を「都合の良い人」と理解する人もいるのである。それは私が、他人が気づかないような細かいことにも目が向くからだろう。

私は、愛想がいい。よく笑う。だから、様々な人から勘違いをされる。「この子は自分のことが好きなのではないか?」と、老若男女問わず、そのような錯覚を抱かせてしまうらしい。

それゆえに、私は結構きつい目にも遭ってしまった。私が1度、病んでしまったのは、このような人間関係が起因しているのかもしれないと、今では思う。

流石に、急に愛想をなくすことは、私の性格上、無理であることは散々理解した。なので私は、「細かいことに目がいかないフリ」をすることにした。

例えば、目の前の人がこの前話していたことを「あれ、そうだったっけ?」ととぼけてみるなど、遂行できているかどうかすら怪しいものであるが。

しかし、そういったことをすることによって、私は少しだけ、自分のために時間を割くことができるようになった。

「その人に好かれるために、手を貸す」のではなく、「その人のために、あえて手を貸さない」ということが、優しさなのではないだろうかと、私は思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?